ブリスベン南郊 某サバーブ

最後に電話ボックスを使ったのはいつだろう。思い出せないくらい前だから、少なくとも10年以上前だろうか。7、8年くらい前の帰国時、新宿でどうしても電話を掛けなければならなくて公衆電話を探した。「あ、そうだ、あそこなら」と昔の記憶を頼りに向かった新宿駅西口。“新宿の目”の交番の前にずらりと並んでいるはずの公衆電話がものの見事に撤去されていたのには驚かされた。
そんな例を引くまでもなく、公衆電話は携帯電話に瞬く間に駆逐され、電話ボックスも一気に過去の産物になった。この国でも、もともと日本より見掛けることのなかった公衆電話は、ほぼ壊滅状態。街角の電話ボックスもあまり見掛けなくなって久しい。
ある日、犬の散歩で調子付いて結構長く歩いた。足の向くままに歩いてたどり着いた隣のサバーブのあまりなじみのないエリア。ふとした視線の先、薄暮にたたずむ電話ボックスをとらえた。そう言えば、家を買う前の借家の真ん前に電話ボックスがあったな。娘が産まれた直後だから17年前、まだ、ブリスベンに裸足で歩く人が山ほどいたころだ。当時は、国際電話をコーリング・カードで掛けていた時代。家の前の電話ボックスには、カードを握りしめた移民と思しき人たちが夜な夜な電話を掛けに来ては大声で話していた。
「お前ら何時だと思っているんだ。こっちには赤ん坊がいるんだよ」と注意したら、インド人と思しき女性に「こっちはこんな時間でも、あっち(インド)はそんなに遅くないのよ」と言い返されて苦笑したこともあった。今思い出しても、何とも身勝手な反論だな……。なんて、銀色の無機質な公衆電話を眺めながら、しばしノスタルジーに浸っていた。
早くしろよとばかりに愛犬が軽くほえた。ハッと我に返り歩き出し、程なくして振り返ると少し薄暗さが増した街頭に電話ボックスがぼんやりと浮ぶ。16年前のあの借家の前の電話ボックスのデジャヴのような景色だった。

植松久隆(タカ植松)
文 タカ植松(植松久隆)
ライター、コラムニスト。ブリスベン在住の日豪プレス特約記者として、フットボールを主とするスポーツ、ブリスベンを主としたQLD州の情報などを長らく発信してきた。2032年のブリスベン五輪に向けて、ブリスベンを更に発信していくことに密かな使命感を抱く在豪歴20年超の福岡人