作法の心
人は生きていくために多くのことを学びながら育ちます。第1に、命を守るため、危険を察知し回避する方法を教わります。火・ガスの扱い方や道具の安全な使い方、交通ルールなど、幼いころから親や先生に教わりながら、自分や周りの人を傷付けないように、適切な方法を身に付けていきます。
しかし、子どものころ、ことあるごとに正すように言われるのは、いわゆる「作法」ではないでしょうか。作法はなぜ大切なのでしょう。子どもを育てる時、安全に暮らす方法を身に付けさせるだけなら、親が口うるさく作法を教え込む必要はないですよね。
おおよそ家庭というものの記憶の中で、子ども時代というのは朝起きてから寝るまでずっと何かしら親から言われっぱなしです。顔の洗い方から歯磨きの仕方、お手洗いの使い方に至るまで、生活の全てにおいて作法を指導されます。あまりにしつこく注意されるので、ふくれっ面や口答えをした覚えも多々あるのではないでしょうか。
しかし、それでも親が諦めずに子どもに教え続け、きちんとした作法の中で生活をしているうちに、自ずとその作法の心や意味を理解できるようになっていきます。
例えば、洗面であれば水をできるだけ無駄にしない、食事は食材を限りなく無駄にしない、お風呂やお手洗いは次に使用する人のために清潔にして退出するなど、作法には「大切にする」「奇麗にする」「他を想う」という心が込められています。当たり前のことのように思えるかもしれませんが、その「当たり前」が非常に難しく、難しいからこそ何度も指摘されることでもあり、当たり前のことを当たり前に行えることは非常に重要で尊いことだと思います。
身と心は1つです。緊張すれば姿勢や表情に表れますし、ほっとすれば緩みます。逆に言えば、緊張して物事に手が付かなくても、深呼吸をして1つひとつの所作を落ち着いて行えば心の落ち着きも取り戻せるということです。
まずは身近なところから整えましょう。美姿勢で食事をしていますか。手を止めて快く人の話を聞いているでしょうか。生活における全ての立ち居振る舞いは、自分自身の心に帰結します。靴をそろえたり、掃除をしたり、「ありがとう」と言えたり、もっと難しい「ごめんなさい」が言えたり、そんな当たり前のことをほんの少し意識して生活するだけでも心は落ち着くものです。そして、その心の落ち着きは己を律し、万物に優しくなっていけるのだと思います。
このコラムの著者
教育専門家 福島 摂子
教育相談及び、海外帰国子女指導を主に手掛ける。1992年に来豪。社会に奉仕する創造的な人間を育てることを使命とした私塾『福島塾』を開き、シドニーを中心に指導を行う。2005年より拠点を日本へ移し、広く国内外の教育指導を行い、オーストラリア在住者への情報提供やカウンセリング指導も継続中