日本軍特殊潜航艇のシドニー攻撃から75年

シドニー住民を戦争の現実に目覚めさせた事件

 1942年5月31日、夜陰に紛れ、日本海軍の3隻の特殊潜航艇がシドニー湾に潜入した。1隻は間もなく湾内に張り巡らされた防潜網に引っかかって自沈し、1隻は爆雷攻撃を受けて沈没、1隻はシドニー湾から脱出したまま行方不明になっていたが、2006年に民間ダイバーがシドニー北部の沖合の砂底に沈んでいる艇体を発見し、現在はオーストラリア連邦政府によって文化遺産に指定、保護されており、艇体の沈んでいる水域は標識のブイを浮かべて接近禁止になっている。

 ABC放送(電子版)が伝えた。

 潜入前には潜水母艦からの偵察機がシドニー湾上空を飛んだとの説もあり、また母艦の砲撃でローズベイの民家が被害を受けたとされている。

 特殊潜航艇から発射された魚雷はシドニーの海軍基地ガーデン・アイランドに停泊していた米軍艦「シカゴ」の下をくぐり、岸壁に係留してあったフェリー改造の宿泊船「クタブル」に命中、オーストラリア兵とイギリス兵の合わせて21人が死亡した。

 攻撃の目的は連合国の通商破壊とされているが、それまで戦争を対岸の火事と考えていたオーストラリア国民を驚愕させた。このシドニー攻撃の前のサンゴ海海戦、6月のミッドウェー海戦ですでに日本軍は劣勢に回り、1945年の敗戦へとつながっていく。

 湾内に沈んだ特殊潜航艇の乗組員4人は豪海軍シドニー基地司令官が丁重な海軍葬を行ったため、司令官は世間の非難を浴びた。しかし、海軍葬の真意は、日本軍の捕虜になっている豪兵の待遇を改善させることが目的だったとされており、遺骨は同年10月に河相達夫公使に付き添われて日本に返されている。
■ソース
Sydney remembers Japanese submarine attack on harbour 75 years on

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