「ガリポリ兵士個別再埋葬を」

99年目前に再び要求挙がる

 オーストラリアとニュージーランドは第一次世界大戦前までのイギリスの戦争には英軍の一部として参戦していたが、トルコのガリポリ上陸作戦では両国が初めて独自にAnzacと呼ばれる部隊として参加した。そのため、独立宣言を経ていないオーストラリアが徐々に独立国家化していく過程の一つとして、1915年4月25日のガリポリ上陸作戦初日をAnzac Dayとして記念する行事が毎年行われている。

 上陸作戦は軍事行動としては、急峻な崖の上にトルコ軍の壕が設置されており、そこから何一つ遮るもののない砂浜に上陸する無謀な計画だったとされている。結局膠着状態のまま死傷者が増えてゆき、ダーダネルス海峡を抑えるガリポリ半島の占領を果たさないまま、イギリス軍、フランス軍、アンザック部隊などの混成軍は撤退した。

 現在は戦争を知らない世代が英雄主義的なナショナリズムでアンザック・デーのガリポリ詣でをするようになっているが、白人青少年のクロヌラ人種暴動時のように若者がオーストラリア国旗を身にまとう姿には抵抗を感じる大人も多い。何年か前には前夜のロック・コンサートの後、会場にはビールの空き瓶やゴミが散乱し、泥酔した若者があちこちに寝込んでいる姿でトルコ国民のひんしゅくを買った。また、アンザック・デーはトルコ国民がオーストラリア国民に対して好意を示しているのであり、オーストラリア人がガリポリを自分の領土のように振る舞うことにはオーストラリア国内でも批判が出ている。

 一方、1915年当時、困難な膠着状態の中で戦死者を集団埋葬しており、今もそのままになっているが、遺骨を再発掘し、一人ずつ墓碑を建てて埋葬すべきだという声が挙がっている。同年5月8日には半島南端のクリチアの激戦で200人以上に豪兵が戦死しており、そこでは2箇所に集団埋葬されているとの証言もある。現在は、2万人の名前がケープ・ヘレスの祈念碑に刻まれているが、埋葬場所は判明していない。

 西部戦線のフロメルでは1916年の戦闘で250人の豪兵と英兵が集団墓地に埋葬されていたが、発掘され、遺骨の身許を調査し、2010年までに新しい墓地に再埋葬された。遺族の中には再埋葬を望む声も大きいが、戦史家のビル・フォガーティ氏は、「ケマル・パシャ・アタチュルクは、『トルコの領土で倒れた英仏やアンザックの兵士はトルコの土地に眠っている。今は彼らもトルコの息子達だ』と語ったが、彼が正しいと思う。ガリポリには大勢のトルコ兵士も集団埋葬されている。その土地に今はオリーブの木が植えられている。トルコ側が遺骨を発掘しようとしないのに、オーストラリアからトルコに出かけていって、掘らせてくれというのはあまりにも無神経だ」と遺骨発掘・再埋葬には反対の考えを語っている。(NP)

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