人間も自然の一部なり

ケアンズ風物記こんな浅瀬近くでサメが釣れ、雨期にはジュゴンも入ってくる。2メートル前後の小さなサメは放流するけれど、3メートル以上となると養殖場は、いつも潜水作業があるので危険な存在になる。写真の背びれが見えているサメは2.5メートルくらい。砂浜に引き上げて針を外し、海へ戻した。2.5メートルの子ザメでも、掛かると、海に引き込まれそうになる

ケアンズ風物記
南緯17度の太陽
其の112 松本主計

人間も自然の一部なり



 手漕ぎの3人乗りの小舟は、作業船に引航されていた。速い潮流の頭に出ると言う。私は小舟の舟尾、5メートルほどの太い銛を抱いたスティーブンが舟表、もう1人の島民が真ん中。作業船は金曜島のすぐ前の島、Prince of Wales島に頭を向けず、いやに大きく迂回して走る。何でまっすぐ行かンネン。私は島民にわめいた。作業船のエンジン音が大きいのに、彼は声を出すな、とでも言うように口に人差し指を当て、「Dugong no got eye. But this one good」と言いながら耳をトントンとつついた。
 24歳。1966年の6月、豪州最北端、トーレス海峡の木曜島。その隣り島の金曜島に設置されていた日豪合弁の南洋真珠養殖場に技師として赴任。44年前。何も知らない、まだガキだった。

 養殖場の労働力はIslandersと呼ばれる島民。このころの島民は我々日本人と同様、トタン屋根の上からジャガイモを転がすようなヒドイ英語をしゃべった。そして私はトーレス海峡が世界的に著名なジュゴンの多産地で、その動物は盲目、したがって聴覚が異常に発達していることさえ知らなかった。
「Look, Dugong kaikai grass」。ジュゴンが草を食んでいる、と言うのだ。私はスティーブンの指の先を凝視した。何も見えなかった。なおも見つめた。1分も経ったろうか。その地点の海面にポコッと何か黒い物が浮き上がり、そのままスルリと海中に没した。
「マチモト、TIME」。スティーブンの潮風で濁った目が光っていた。次に浮き上がるまでの周期を計れ、と言いたいらしい。
 1分も経たないうちに黒い物が再び浮いた。今度は私の目でもハッキリと見えた。時間を見るとほぼ同じ周期で浮いてくる。
「Young one good kaikai」。周期が短いジュゴンは若い。そしてウマイと言う。彼の赤い口がヌメリと笑った。ジュゴンは哺乳動物の海牛類で肺呼吸。定期的に浮上して酸素を取る。
 豪州東海岸部は年間を通し海からの南東の季節風を受ける。この風は11月ころから方角を徐々に変え、島の人々がノーウエス、と呼ぶ北西の風になる。外洋から島を押し流すような強い潮流。艦砲射撃とはかくあらん、と思わせる雷と空一面にヒビを入れる稲光。ノーウエスが伴ってくる養殖場泣かせの雨期の序章である。
 強い潮流は島民たちにはいろいろなミヤゲ物を運んでくる。その最大のものが、ジュゴン。肉類の入手できない島では、海亀とともに貴重なタンパク源なのだ。
 Dugong、ジュゴン !! 島民たちがざわめいた。雨期の近いある午後の一服の時間だった。対岸の島、Prince of Wales島のすぐ前にいると言う。金曜島とは800メートルほどの狭い海峡を隔てている。私には何も見えない。島民たちの目は鳥のように鋭いのだ。仕事中だから遠慮しているものの、ジュゴンが欲しくてウズウズしている彼らの思いが伝わってくる。1頭を捕獲すると50人以上の島民の食糧となるのだ。仕事が手に付かない様子の島民たちに、海事責任者だった浜口さんの許可が下りた。行って来いヨ。私が誘われたのは、ただ単に時計を持っていたからだ。
 当時の島民たちは貧乏で、モーター付きの舟など誰も所有できなかった。良くて手漕ぎのボート。それさえもない島民が多かった。その小舟に乗り、潮の流れを読んで漁に出る。
 ジュゴンを見つけると、潮の上流に舟を回す。潮流の速度とジュゴンの浮く周期を読み、その周期の間にちょうど小舟をジュゴンの浮く地点に持ってゆく。潮の流れに乗せるのは音を消すためだ。音を立てるとジュゴンが逃げる。この島民たちの勘働きは、もう神業に近い。浮き上がったジュゴンが小舟近くであった時、その一瞬にかけて突き手は銛に体重を乗せて海中に飛び込んで行く。長い銛の先端には3インチほどの、放射状に開いた穂先が取り付けてある。1インチもあるジュゴンの固い脂肪層に穂先がめり込んだ時、銛は自動的に外れるようになり、穂先だけが残る。穂先には強いロープが付けてある。ジュゴンは凄まじい力で逃げる。ロープが全部伸び切るまでに突き手は舟に戻らねば海中に取り残されてしまう。小舟を引き回すジュゴンが呼吸のため海上に浮いた時、すかさずロープを手操り込む。突き手の技術が悪いと、ロープが体に絡むことがある。海中に引き込まれてしまうのだ。ある突き手は不運にもロープが首に絡み、彼の死体は2日後に発見された。ロープとの摩擦で彼の首はほとんど千切れかかっていたという。壮絶な漁法である。あの目標も何もない海上で、遠くから音を立てないように舟を流し、浮き上がるジュゴンと同時に同じ場所にいなければならない。これはもう動物の本能的な勘働きに近い。
 時間をかけて引き込んできた
ジュゴンに、突き手は再度海中に飛び込み、水中に押さえ込む。最終的にはジュゴンを窒息死させるのだ。
 ジュゴンと海亀漁により、長い歴史を支えられてきた島民たち、アイランダー。ここに彼らの食文化の源流がある。手漕ぎの小舟で同じような大きさのジュゴンを捕獲するのは、並大抵のことではない。だからこそ男どもは1人でジュゴンを仕留めた時、一人前の男として認められたのだ。これが彼らのプライドになった。
 少し古いのだが、私の手元に1998〜99年の豪州連邦政府のアイランダーとアボリジニに対する一般豪州人への補助金のデータがある。1970年代後半から議論され始めた豪州先住民族に対する補助金は、ほぼ20年後にこうなっている。医療費、1人頭3,067ドルに対して1,713ドル。住居費、1,428ドル対206ドル。教育費、2,263ドル対857ドル。雇用手当て、446ドル対147ドル。金額の少ない方が豪州人。
 これらは10年前の数字だ。現在の散財を惜しまない労働党政府では、数倍になっているに違いない。つまり以前小舟も持てなかった島民たちの生活は、一般平均的豪州人よりもはるかに豊かになってきているのだ。
 その上、年間を通しキロ40ドルにもなるCrayfish(エビ)漁は、彼らにとってボーナス並の現金収入になる。どの島民も高速エンジンを装備したボートを所有し、彼らの行動範囲は確実に広くなった。以前1日がかりで体力を消耗したジュゴン漁は、早朝にチョイト出て朝食前にひと仕事できるようになったのだ。
 島にはスーパーが開店し、肉も簡単に購入できる時代、タンパク源をジュゴンや海亀に頼らなくてもよくなった。
 人間物を持ち豊かになってくると有難味を失くし、心が驕ってくる。知らぬうちに己の文化や誇りを忘れ、欲を出し、遊び心が強くなる。1頭のジュゴンを必死の思いで仕留め、自然の恵みに感謝していた島民のプライドは、豊かさの中に少しずつ消えてしまいつつある。機動性があるから島民の中には、1頭で十分なはずのジュゴンを、見つけるだけ捕獲する者も出てくる。世界的珍獣は減少の一途を辿るはずだ。
 近年のブッシュ・ファイアーには目を見張るものがある。犠牲者も出た。山火事は以前から局部的に発生していたけれど、大事には至らなかった。なぜだろう。
 以前は定期的に焼いていた。野焼きのやり方を熟知しているアボリジニらが延焼のないように適当に区分しながら、集落の周りを焼いた。それが自然保護政策で全面禁止になった。自然の木々や雑草が1年に脱皮する残骸は相当な量になる。これが数年積もったら恐ろしいことになる。火薬庫を抱えているようなものだ。集落の近辺だけでも焼いた方がいいのではないか。
 私の家は裏が広くてブッシュなので、たくさんのフルーツを植え込んだ。パパイヤ、マンゴー、ライチ、パッションフルーツ、レモン、オレンジ、アボカドなど。ところが少し色付いてくると、全部鳥に食べられて私どもの口には入らない。鳥が彼らの栄養のために食べるのなら仕方がない。Cockatoo(オウム)はヒドイ。半かじりにして実を落とし、枝を噛み切っていく。
 人間だけは動物とは別格で、自然を管理できると考えるのは人間の思い上がりかもしれない。人間もまた自然の一部なのだ。人間がいかに自然と共生できるのか。そのバランスを保護政策の下でいかに反映させることができるのだろう。
 豪州人は牛や羊を平気で殺す、明治まで日本人の主要タンパクは鯨だった。島民はジュゴンや亀を食べる。各々の食文化は尊重すべきだがこれにはバランスと民族の認識が絡んでくる。自然保護を世界に誇る豪州。その保護の真意が本物であるなら、先住民族に限り、何を殺生してもいいという論理は通らない。豪州人のプライドとモラルが疑われない、バランスある保護を見たいものだ。


まつもと・かずえ●
昭和17年2月1日生まれ。東京水産大学増殖学科卒業。1966年木曜島でPearls Pty Ltdに勤務。75年に退社。その後ケアンズに空手道場「Matsumoto Karate Academy」を開く。現在、オーストラリア空手連盟ノース・クイーンズランド代表

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