ひとつ覚えの人生

ケアンズ風物記
空手は大してウマくないけど、和気あいあい、楽しく、それでも真剣に稽古をしている私の道場の連中。大人も子どもも仲がよい。私はもうすぐ、69歳。さて、あと何年、稽古できるかナァ、と思う。道場の半分は女性。

ケアンズ風物記
南緯17度の太陽
其の114 松本主計

ひとつ覚えの人生



 私の空手道場の子どもクラスに入門する際、母親にしがみ付いて稽古に参加しない子どもがいる。最近、特に増えた。大切に、それでも甘やかして育てているから、気が小さいのだ。その子どもも同じだった。ほとんどの子どもは、私が手を取ってやると、何とか稽古に参加するのだが、その子は違っていた。私が近寄ると泣き出してしまうのだ。私はそんなに人相が悪い方ではないのだが、まァ大して良くもないか。とにかく子どもに泣かれると困る。その日は見学だけにしてもらった。

 私が大学卒業とともに、日豪合弁の真珠会社に赴任してきたのが、44年前。23歳。日本では郷里の伊予松山に40名ほどの小さな道場を持っていたので、赴任後、人々の要請で空手クラブを組織し、指導を開始した。会社にいたのが9年半。空手道場にその後の人生を賭けてみたくなり、退社して親子で見知らぬ田舎町、ケアンズにやって来た。35年前。私はこの時から、豪州の子どもたちと一緒に汗を流して生きてきた。
 この時代の子どもたちは本当に良かった。規律、マナー、集中力、運動神経。どれを取っても今の子どもより雲泥の差があり、やる気が溢れていた。名前を呼ぶと、YES,SIR。質問の時は、EXCUSE ME SIR。私の方が気恥ずかしいほどだった。
 学校のしつけも厳しく、悪い事をした子どもには、CANEの罰。先生は物差し程度の棒を持っており、それで生徒の差し出した手の平をひっぱたいた。これ、結構痛いのだ。
 豪州の左翼的主義主張が極端に進む、その転機となったのは、私の知る限りでは1972年から75年に及ぶウィットラム政権以降と言っていい。20数年ぶりの労働党政権は、軍役と死刑の廃止、ベトナム戦引き上げ、先住民への特別保護と権利の授与、保護手当ての大幅な分配など、社会的経済的に急激な改革を強い、その無制限な多額の出費により、国家財政の破綻の危機にまで落ち込む。首相は総督の異例の命令により左遷される。
 人間、働かなくても金がもらえたら、余程しっかりした人間でない限り、甘い汁を吸ってしまう。教育でもCANEが禁止され、しつけという重要な過程を飛び越えて、何も判らない子どもたちに過剰な人権や権利を与えたら、子どもたちだって幼稚な本能の命ずるまま、楽な方に向いてしまうはずだ。
 恐いのはその後なのだ。一番大切な人格形成期に手を抜き、甘えさせられて育てられた子どもたちは、どこか健全な精神的発達を忘れてしまった人間に育つ可能性がある。教育のカリキュラムが論理的に考慮され、それが正しかったとすれば、子どもの質は向上の一途をたどるはずなのに、逆に精神年齢は低下し、非行、イジメ、犯罪、無気力等々の弊害が増加している現象は、現在の教育の欠陥を証明している。
 ホンの数カ月前、ケアンズでのニュース。子どもが台所で駄々をこねるので、母親が持っていた料理用のシャモジで、子どもをたしなめようと尻を叩いた。子どもは翌日そのことを学校の先生に話したら、先生がレポートし、母親は法的に罰せられることになった。ここまでくると、もうこれはジョークだ。家庭のしつけにまで法律が入り込んでくる。豪州という素晴らしい国の将来をジックリと考えてみると、これは恐ろしいことだと思ってしまう。豪州が現在の政党の独裁化に進まないことを願いたい。
 子どもというものは、たしなめ、教え込み、時には怒鳴りつけ、罰することも必要で、その中で彼らの人間の品格をつくり上げるものだ。これが当たり前にできるのが、大人という人格だと、私は思っている。
 その甘ったれた子ども、結局稽古には参加しなかった。次の稽古日。また、やって来た。同じだった。ほとんどの子どもが2回目、遅くとも3回目には参加するのに、この子はどんな育ち方をしたのだろう。それでも母親がエラかった。諦めず、何度も連れてくる。10回目くらいだったろうか。私の妻に手を引かれ、とうとう道場のマットの上に入って来た。母親、嬉しかったのだろう。目を赤くして我が子の動きを見ていたものだ。
 私の道場には道場訓のようなものはない。私自身大した人間ではないので、訓話などもしない。しかし生徒たちに守らせている簡単な道場内でのマナーがある。
一、道場の出入りには礼。稽古中、床を離れる時、入る時も礼。師範の私に礼。
一、名前を呼ばれた時、技へのアドバイスを受けた時などの返事は必ず、ハイ。
一、道場での欠伸(あくび)禁止。
一、私の説明は足をそろえて聞く。腰に手を置かない。腕を組まない。
 これだけで少なくとも生徒は謙虚に育つ。過去、何人かは学校での喧嘩に巻き込まれた者もいた。私は喧嘩をするナ、とは言わない。ただし絶対に自分から手を出すナ。顔は殴るな。相手が悪い時は十分にやれ、と言ってある。まァ、何度か学校から電話もあったけど、後始末は私の責任だ。
 さてその子ども、1年後には妹も入門して4年、何とか四級の紫帯になるまで頑張った。1年近くもあまり上達しない状態が続いていたが、稽古の継続により少し体ができかかっていたので、これから少し気合を入れてやろうと思っていた矢先、稽古を止めさせる、と母親が言う。訳を聞くと、「ぼつぼつほかのスポーツをやらせようと思っています」。
 豪州の学校は学期ごとに自由に選択できる科目がある。学期は長くて3カ月。週1回の科目だから、合計して10回程度の授業になる。私も以前ケアンズのあちこちの学校から依頼され、学期ごとに空手の指導に行っていた。数年前にもう止めた。2度と学校の指導には行きたくない。1クラス20余名の中で、真面目にやっているのはホンのひと握り。稽古中、話しまくる者、シンドイからと座り込む者、勝手に列から離れる者、とにかく指導できる雰囲気ではない。ヤル気が全くないのだ。担当の先生は、我関せず、と新聞を読んでいる。
 1人の生徒が、わざとコロンで床に手を付いた。手首をケガしたと喚く。ころげ方からしてケガする訳がないので、私は放っておいた。ところが先生が出て来て、生徒を医務室に連れて行った。戻って来た先生、曰く。「仮病とは判っていても、治療をした、という事実が必要ナンですヨ」。なるほど、責任逃れか。イヤな世の中になったものヨ。そんなことをしなければならないから、余計にガキどもを付け上がらすことになる。
 こんな生徒に広い視野を与えるための学期ごとに選択できる課目など、無駄なことヨ、と思った。テーマを短期間ごとに変えることは、逆に1つ事に熱中せず、飽きっぽく我慢のない、少しかじっただけで知ったかぶりの屁理屈をこねるような人間像を大量生産するのではないか、と危惧したものだ。広い視野。いい言葉だ。しかしそのためには条件がある。誰もが簡単に感受できるものではない。年齢相応に到達できる最低限の成熟度が必要なのではないか。
 ほかのスポーツをするのに稽古を止める子どもの最後の稽古日。掛かり稽古にした。何人かの上級者が前に立ち、彼らに向って息の続く限り、ガンガンと攻撃を仕掛ける。上級者はほとんど攻撃を返さず、適当にさばく。
 止めてゆく子どもは、私が面倒を見てやった。最初の内はこわごわと技を出していた。攻撃が弱いと逆に押し返す。攻撃の手足をつかんで投げる。それがプレッシャーとなり目がつり上がるように必死になってきた。息も切れる。泣き出した。それでも止めさせない。キツイ稽古で、子どもたちがダラけている時に時々行うようにしている。
 その子ども、妹ともども、これが何とあの時の泣き虫小僧かと思うような、見たこともない強い突きを何度も打ってきた。ここまでになったか、と嬉しかったが、同時に、これからが楽しみという時に止めさせてしまう親の浅慮が悔まれた。こんな時は自分の力の至らなさを痛いほど実感させられる。
 空手の稽古を始めて55年以上。ケアンズでプロの道場を開いて35年。馬鹿のひとつ覚えのように空手をやって生きてきた。成功というにはほど遠い、チマチマとした単純な人生で、自慢できるようなものは、何もない。強いて言えば、武の道という人を倒す技術を、心身という人間を鍛えるレベルまで高めたのは、世界中で日本民族のみである。これは日本人、という民度の高い人種により、初めて可能になった誇るべき伝統の1つだ。まァそれを信じ、守ってこれまで生きてきたことかナァ。
 今の日本人は、自国の良さを知らなさ過ぎる。外国にいる人は、日本の良さを知るべきだ。月刊『致知』という雑誌を読むといいヨ。


まつもと・かずえ●
昭和17年2月1日生まれ。東京水産大学増殖学科卒業。1966年木曜島でPearls Pty Ltdに勤務。75年に退社。その後ケアンズに空手道場「Matsumoto Karate Academy」を開く。現在、オーストラリア空手連盟ノース・クイーンズランド代表

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