
オーストラリア国内の平和への動き、
メンバーの平和への思いをお伝えするコラム
第53回
歴史と未来責任 − 橋下大阪市長「慰安婦」問題発言を巡って
中村ひで子(JfPメンバー)
「私たち自身が『証拠』です。暴力、脅迫によって私たちは強制的に日本軍の『慰安婦』にされました」と、橋下大阪市長が「慰安婦」は強制であったとする証拠はないと公言したことを受けて、韓国の金福童さんは悲痛な思いで訴えた。
1991年、韓国で金学順さんが名乗り出たことをきっかけに中国、インドネシアなどの国々からも自分も慰安婦にされたと次々に女性たちが声を上げ始めた。オーストラリアでは、オランダ系のジャン・ラフ・オハーンさんが50年の沈黙を破って過去を語ったことが多くの人々の胸を打つ歴史的な出来事となった。
このような勇気ある被害女性たちに触発された研究者や、女性グループの国境を越えた調査、運動が活発化したことは周知の通りである。その頂点が、ジャーナリストの故・松井やよりさんらが押し進め2000年12月に東京で開催された民衆法廷「女性国際戦犯法廷」であった。それまでの調査結果や証言の数々を踏まえ、国際的に活躍する専門家たちで構成された「法廷」は、「慰安婦」制度は当時の国際法に照らしても人道に対する罪であり、昭和天皇、軍部、政府にその責任があると断じた。
1993年の河野談話は、軍の管轄下で「慰安所」を運営、女性たちに悲惨な苦痛を強いたと認めているのに、2007年、安倍首相が「狭義の強制でない」と述べ、国内外から大批判を浴びたことは記憶に新しい。その相似形が今回の橋下氏の発言である。
金学順さんのカムアウトから20年も経ているのになぜこのように元「慰安婦」の方たちを何重にも傷つける発言が時のリーダーたちによって度々繰り返されるのか。それは戦後とられてきた政府の対応があまりに曖昧だったためではないかと私は思う。同時に思い起こすのは、ドイツやオーストラリアの謝罪の仕方である。ドイツは、ホロコースト被害者に謝罪、補償を行っている。1985年、ヴァイツゼッカー西ドイツ大統領は「過去に目を閉ざすなかれ」と歴史的な演説を行い、世界から注目された。また、2008年、ザ・ストールン・ジェネレーションに対し謝罪したラッド豪首相のスピーチに私たちは感動した。もちろんその後のアボリジニ政策が実のあるものに変化したかは議論がある。しかし、同じ過ちを繰り返さない決意が国民に広く共有されたことは確かだろう。
日本では、「慰安婦」問題が教科書に記載されない実態がここ10年の間に顕在化した。橋下市長発言はこうした歴史認識の欠如から生まれたのではないか。「慰安婦」問題は私たち1人ひとりが向き合う現在の、そして未来責任をも問われる厳しい今日的課題であることを再確認しておきたいと思う。

Japanese for Peaceプロフィル
2005年3月に設立した日本人を中心とする平和活動グループ。毎年8月に広島・長崎平和コンサートを開催。そのほか多数のイベントを企画すると同時に、地元のグループや活動家、他民族のグループとも交流を持ち、平和活動のネットワークを広げている。
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