マーベラス・メルボルン「ブライトンのビーチ・ハウス」

メルボルンはかつて世界一の金持ち都市となり「マーベラス・メルボルン」と呼ばれた栄華の時代があった。メルボルンを首都としたオーストラリア連邦政府ができる1901年までの50年間、メルボルンっ子はいかにして驚異のメルボルンを作り上げていったのか――。

第45回 シー・バス 海水浴の時代

ブライトン・ビーチに広がるビーチ・ハウス
ブライトン・ビーチに広がるビーチ・ハウス

メルボルンの人気スポットの1つに、東南部の海岸に広がるビーチ・ハウス(bathingboxes)がある。ブライトン・ビーチが有名だが、サンドリンガム、ブラックロックなど南東部の海岸には多くのビーチ・ハウスがある。

ブライトン・ビーチに82軒、モーニントン半島も含めるとメルボルン全体で1,860軒のビーチ・ハウスがある。ビーチ・ハウスは、英国の海岸で使用されたバス・マシンに起源を持つ。海中を囲ったプール(Seabaths:第45回参照)と起源を同じく、女性を男性と分ける目的があった。

産業革命が英国で進行する中、富裕な中産階級が増加し、繁栄のビクトリア女王時代が始まり、旧来とは違った新しい道徳(ビクトリア道徳)が背景にある。メルボルンでは、植民直後の1840年代から海水浴が流行したが、男性は全裸で泳ぐのが普通であったため、女性が海水浴を楽しむには特別な設備が必要であった。

女性の海水浴は昼間には奨励されず、夕方から夜間にかけて楽しまれた。ビーチで男性と女性がお互いを見ることはなく、公共エチケットは特に女性に対して強要され、バス・マシンが登場した。

バス・マシンは女性用小型馬車で英国連邦で流行した。
バス・マシンは女性用小型馬車で英国連邦で流行した。

メルボルンで、男女一緒に海水浴を楽しんだのは1917年が最初で、メルボルン市民プールで男女一緒に泳いだのは第二次大戦後である。バス・マシンは、馬車の後部に女性がのれる木製の小部屋を備えており、木枠にキャンバス地を張ったものなど各種あり、小部屋の最後部には外部に出るドアとしてカーテンが張ってあった。馬車の最後部から海に入って行って、馬は馬車から離して陸上に係留された。女性は自作の簡易水着や普段着でカーテンから海水に入って海水浴を楽しんだ。

多い時には、英国ブライトン・ビーチには数千台のバス・マシンがビーチを埋め尽くした。ビクトリア女王も専用の移動更衣室を持っていた。バス・マシンとは言っても馬車に違いはなく、不便であったため固定式の一種の別荘であるビーチ・ハウスが19世紀半ばから流行した。メルボルンのビーチ・ハウスは、1,860年頃から家族、友人が海辺で楽しむために作られた。

1900年頃から増え続ける建築申請やビーチ・ハウスの混雑のため、行政当局によって建築材料、サイズ、建築方法、強度など様々な制限が設けられるようになり、どのビーチ・ハウスもほとんど同じ形状となっている。唯一、制限がなかったのが色彩であり、自分のビーチ・ハウスの個性を出そうとして、オーナーは競って独自のカラー・リングを施している。


文・写真=イタさん(板屋雅博)
日豪プレスのジャーナリスト、フォトグラファー、駐日代表
東京の神田神保町で叶屋不動産(Web: kano-ya.biz)を経営

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