オーストラリアの新聞をはじめ、テレビ、ラジオ、映画、書籍などのメディアで今話題のもの、または面白い記事やエピソードを毎月1つ取り上げ、そこから見えるオーストラリア社会を在豪日本人の視点で紹介する。
第25回:フェイク・ニュースの時代に
CNNの記者を指差し「フェイク・ニュースだ!」と叫ぶトランプ米大統領の映像はあまりに強烈だった。トランプ大統領はツイッターでも、特定のメディアをフェイク・ニュースだと罵り続けている。
ネット上などに溢れる虚偽のニュースに対して使われるこの言葉。しかし、超大国の大統領がフェイク・ニュースだと攻撃しているのは、権威あるメディアとされているニューヨーク・タイムズ紙やワシントン・ポスト紙などだ。ここまで来ると何が虚偽で何が真実なのかさえあいまいだ。
新聞の危機
フェイク・ニュースという言葉が取りざたされる背景には、これまで主流だったメディアの衰退がある。毎朝自宅のポストに届けられる新聞を読む人がどれだけいるだろうか。若い世代に限らず、多くの人が携帯電話をタップしてニュースを読むようになった。ソーシャル・メディアにざっと目を通すだけで、その日のヘッドラインぐらいは把握できる。
ロイ・モーガン・リサーチによると、昨年オーストラリアで紙の新聞を購読した人の数は41%に当たる815万人(14歳以上)で、前年比で4.3%減少した。
同国で新聞が窮地に追い込まれていることの表れは人員削減だ。最近では、シドニー・モーニング・ヘラルド紙やエイジ紙を抱えるフェアファックス・メディアが、ジャーナリストの4分の1に当たる125人の削減を発表。それに反対する記者らが、5月の来年度予算案の発表と重なる重要な時期に、1週間に及ぶストライキを行なったことが話題になった。フェアファックス・メディアは1年前にも大幅な人員削減を行なったばかりだった。
競合するニュース・コーポレーションもまた、8億1,700万ドルの損失を8月に発表。保有するオーストラリアン紙やヘラルド・サン紙の帳簿価額が40%近く減少したことが影響した。
番犬としてのメディア
一方アメリカでは、昨年の大統領選挙以来、信頼できるメディアとしての新聞に勢いが戻ってきている。ピュー・リサーチによると、ニューヨーク・タイムズ紙のデジタル購読数は昨年、50万増えて前年比47%増となった。ウォール・ストリート・ジャーナル紙の昨年のデジタル購読数も23%増となっている。
同様に好調なワシントン・ポスト紙では、何百人ものジャーナリストを新たに雇い、テクノロジー関連の人員も3倍に増やしたという。
ジャーナリズムの質に投資するその戦略は、人員削減を繰り返すオーストラリアのメディアのやり方とは対照的だ。「デジタル・ジャーナリズムの未来は、スイカの爆発やつまらないペットの技を披露するような低俗な方向へ向かっている。そんな時代にワシントン・ポスト紙が目指すビジネス・モデルでは、スクープと質の高いジャーナリズムが必須」だと書くのは、ニューヨーク・タイムズ紙(電子版:2017年5月19日)のコラムニスト、ジェームズ・B・スチュワート氏だ。
5月にメディアを騒がせたトランプ大統領のロシア疑惑では、真実を追求するワシントン・ポスト紙とニューヨーク・タイムズ紙が連日、スクープ合戦を繰り広げた。その醍醐味を目の前にして、権力の「番犬」というメディアの役割を再認識した人も多いのではないだろうか。
そのワシントン・ポスト紙は3月から、1面の題字の下に新たな標語を載せている。「民主主義は闇に死す」フェイク・ニュースが飛び交い、大統領の言葉がファクト・チェックされる時代だからこそ、闇の中に真実という光を差し込まなければ民主主義が崩壊してしまう、そんなメディアとしての使命感がうかがえる標語だ。
事実を伝える
アメリカでジャーナリズムがその底力を見せつけた5月、オーストラリアは、多くの人に尊敬される1人のジャーナリストを失った。長年にわたり公共放送ABCで海外特派員やラジオのプレゼンターとして活躍したマーク・コルビン氏だ。

亡くなる前に出版された自伝的著書『ライト・アンド・シャドー』の中でコルビン氏はこう述べている。「キャリアを通して心掛けてきたことは、いかなる政治的立場にも偏らない公平さを装うのではなく、実際に公平に伝えること」
死を追悼するテレビ番組(7.30レポート、同年5月11日)では、ABCのリー・セールズ氏が、コルビン氏がジャーナリストとして大切にしていたのは「意見」ではなく「事実」だったと語った。
保護主義か自由化か、移民制限か多文化主義か、右派か左派かなどで分断される今の世界。ジャーナリズムに求められるのは、いずれかの側についてそれに迎合することではない。フェイク・ニュースの時代に求められるのは「事実」だ。
新聞や雑誌などの紙媒体はなくなるかもしれない。メディアは完全にデジタル化するかもしれない。しかし情報が錯綜するデジタルの世界で、質の高いジャーナリズムに対する需要はよりいっそう高まるだろう。
メディアが形を変えていくその変革期を、ジャーナリズムがうまく乗り切ってくれることを願うばかりだ。
クレイトン川崎舎裕子
Hiroko Kawasakiya Clayton
◎米系通信社の東京特派員(経済・日銀担当記者)を経て、2001年よりオーストラリア在住。クイーンズランド大学院にてジャーナリズム修士号を取得後、03年からライター。キャンベラを拠点に社会事情などについての記事を雑誌や新聞に執筆する
Web: twitter.com/HirokoKClayton