第3回 トイレで、国の事情が見えるような…

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絵本作家・森本順子氏がPEACEBOATで巡った世界1周の船旅の記録
文・イラスト・題字=森本順子
第3回 トイレで、国の事情が見えるような…
寄港予定の前日には必ず「寄港地説明会」が行われる
 現地事情や下船手続き、帰船リミットそのほかの重要な注意事項が、一般客、若者たち、おりづるプロジェクトのそれぞれに詳細に説明される。その説明の中に唖然とさせられる事項があった。整備された観光地は別として、証言交流が主目的の訪問地などでのトイレ事情についてである。


一応便器は水洗式だが、流す水はまず出ないと覚悟する事
トイレット・ペーパーは大概備えてないので、各自持参の事
使用ずみのペーパーは、そばにある箱に捨てる事(その箱に蓋がない時があった !)
手を洗うための水も出ないことが多いので、各自、ウエット・ティッシュなど必携の事
「ヒヤーなんぎなこっちゃ。でも、まさか…」。そのまさかを現実に体験した時、この国の人々にはこれは日常茶飯事、格別疑うことでもないのか ? などと不審に思った。と同時に複雑な思いにかられた。日常にあって当然、ないのが不思議。清潔なトイレ、いくらでも引っ張り出せる贅沢なトイレット・ペーパー、過剰なほどに流される綺麗な水、手を洗えばペーパー・タオルやドライヤーで乾燥し、突然の断水でもない限りこうしたことに意識して感謝することもない。遥か昔に体験した敗戦直後の惨たんたる暮らしの記憶など皆無に近い今、富める暮らしに慣れきった人間たちの一種の傲慢さを思うこと、しきりであった。
 それにしても、近来経済大国に伍するかと言われ、世界で6番目の核保有国であり、軍備の強化をうたうインドでの、その「まさか」は些か納得のいかぬものではあった。
インドの南端に近い西岸に位置するコーチン
 入り江だらけの鉛色の海は、藻や浮き草か、はたまたゴミなのか、得体の知れないものが浮きつ沈みする。ここが多くの外国貨物船が往来する貿易港で、インド経済を象徴する産業都市なんだって ? と思ううちに、ガクンと船は接岸した。
 さすがに色黒の白目ばかり目立つ。たくさんの記者やカメラマンの間を抜け、乗り込んだバスは、舗装の破れにガタピシ、シートベルトは無論ない。
 さまざまな商品を低い軒先までいっぱいに並べ立てた商店街に入ると、街一番とおぼしき会場に到着。掲げられた、アーチ型の青い大看板に、白ペンキで書かれた「WELL COMES PEACEBOAT ! 」の文字。その下をくぐるとサリーをまとったたくさんの女性たちが、我々の眉間に黄色い絵の具状のものを指で押し付け、真っ赤な小さな薔薇の花を1本ずつくれた(その薔薇はそれから3カ月後、シドニーに持ち帰り、黒いドライ・フラワーとなって今も書棚の一角に飾られている)。
 壇上に並ぶ、お歴々の長いスピーチ、被爆者代表による証言、そして、コーチン市とPEACEBOATにより「核のない世界に向けたコーチン宣言」が共同発表された。
 現地の平和活動家が支える、貧困層の不就学児童たちによる反核反戦の劇「白い花」上演。おりづるプロジェクトは5箇所に分れ、現地の大学生、教師、主婦、児童など、(中には6時間もバスを乗り継いで参加したグループもある由)そうしたたくさんの熱心な参加者に取り巻かれた中で、さまざまな形で、被爆証言を展開した。
 ところが、まず日本語で語るのを英語に通訳するのだが、これが通じない人たちには、さらにヒンズー語での説明が要る。イギリスの植民地だったインド、英語は大丈夫と思っていたが…。長崎から参加の女性は、被爆死した姉を弟が焼く悲劇を自作の紙芝居で証言されたが、英訳のまた訳、どこまで理解されたのか、心もとない。
 会場の壁に展示された広島と長崎の原爆投下後の被災状況、ボロボロになって虫の息の被爆者たちなど、たくさんの写真を参加者たちは熱心に見入っていた。
 高い天井は何かの葉で網代編みのようにされ、所々で回っている扇風機だけでも、なんとか汗だくにならずにすんだ。予定時間超過。迎えのバスを待つ間に、トイレに行った。順番が来て…あとは、ご想像にお任せしよう。用も足さず、ほうほうの体で退散しながら疑問が湧いた。あの女性たちは着ているサリーを、いったいどんな風にまとめて用を足すのだろう ?
 ようやく帰船。遅くなった夕食。糊の利いた真っ白いテーブル・クロスや、花のように折られた、パシッと立つナプキンがひときわ眩しく、ありがたく思われた。

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PROFILE もりもとじゅんこ◎
1932年3月31日生まれ、広島市出身。シドニー在住。45年8月6日13歳の時、広島市で被爆。82年50歳でオーストラリアへ移住。著者自らの被爆体験を描いた英語版絵本「My Hiroshima」ほか、日本民話の英語版絵本「鶴の恩返し(The White Crane)」「一寸法師(The Inch Boy)」「わらしべ長者(A peace of straw)」「なめとこ山の熊(Kojurou and The Bears)」「仁王とどっこい(The Tow Bullies)」など著書多数。84年から4年連続で豪州児童図書評議会賞を全国3位、2位、2位、1位受賞。97年と98年にNSW州児童文学賞およびオーストラリア児童図書評議会賞1位を受賞。

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