日の出と鶯餅色の顔 他

極楽とんぼの雑記帳

エッセイ190
ブレア照子
イラスト・タイトルデザイン:森本順子

日の出と鶯餅色の顔

 夏時間が終わろうとする3月の朝、岬の道はまだ薄暗い。犬を連れて向こうから来る人の顔がはっきりと見えるころには水平線上の空は深い赤、美しく映える雲、2、3匹の野うさぎが歩道ぎわに出ていることがあるが、人の気配に気付き、小さな白い尻を振りながらぴょこぴょこ灌木の茂みに逃げ込む姿がユーモラスで可愛い。やがて水平線から三日月のような細い太陽が覗き、ゆっくり昇り始める。私は地球が回転しているのを自覚する。朝日が水面に浮き上がった瞬間私は手を合わせ「お日様、今日も地球に恵みをありがとうございます」と言って頭を下げている。肉眼で太陽を直視できるのはこの時以外ないのでは ?
 そんなある朝、ふと振り向いた時「えっ !? 」と、我が目を疑うようなことがあった。時々出会う、犬を連れた母子らしい2人連れが歩いてくる。ところがである、小学校高学年かと思われる少女の顔がグレーがかったうぐいす餅に見え、ぞっとした。ちょっと横を向き再びこちらを向いた時も同じで輪郭は判然としなかった。だが近づくに連れうぐいす色は失せ、普通のオーストラリア少女の顔色に戻っていた。なぜ少女の顔があんな色に見えたのか、たぶん真っ赤な太陽を直視した直後だったからではと思ったので、妹に電話で聞いてみたらやはりそうだった。妹曰く「それは補色現象の残像よ」。そしていろいろ説明をしてくれた。
 夏時間が終わり、岬へ出かける時間帯が変わった。40~45分ほどの散歩中に日の出を拝み、朝食時間(7時半)までに帰るのはちょっと無理だ。これから段々日は短くなり朝の外気も冷えてくるだろう。
 昇り始める真紅の太陽を見るのが散歩の目的、楽しみだった。そして、必ず浮かんでくる1つの情景がある。1976年、53歳で退役した夫と2人、終の住処と決め、居を移したNSW州北沿岸、オーストラリアの最東端バイロン岬の灯台を見晴るかすオーシャンショアズでの記憶である。太平洋を見渡す丘の上、タウンハウスのバルコニーで眺めた日の出。朝寝坊の私が見た日の出の記憶らしい記憶は、まぁ、ないに等しい。水平線から真紅の日輪がしずしずとせり上がるのを、私は直立不動の姿勢で見守った。荘厳さに身の引き締まる思いだった。
海の果て真っ赤な日輪せり上がる
刻一刻を夫(つま)と見守る

 太陽がぽっかりと全身を水平線上に現した瞬間の感動 ! 指差して私はまるで悟りを開いたかのように厳かな( ! )口調でこう言った「太陽は本当にまんまる ! 」。夫が何と答えたか ? 頷くと指の長い大きな掌を私の頭に置き、黙って“にー”っと微笑んだのである。それは、夫独特の微笑みだった。
太陽はまんまるなりと嘆ずれば
吾を見返り微笑みし夫(つま)

 亡夫と眺めた北沿岸の日の出。33年の歳月は逝き、生きて南沿岸の日の出を見る私がいる。今も昔も同じ太陽を。
あの朝を思い出せとや赤々と
いま陽は昇る海鳴りの中

 ここに来て1年、日は昇り、日は沈み、夜の帳がおりる。ベランダへの重い引き戸を開けると、海鳴りはその響きを増して私の部屋へ流れ込む。TV、CDなどを消した後、聞こえるのは風か海鳴り。どちらの音も私は好きである。人によっては煩わしく、侘しく、気の滅入る音かもしれないが。

手首の手術

 去年の11月末から5月初旬にかけ、右親指から手首7~8センチ、突然襲う激痛に、全くお手上げの態だった。クリスマス前、GPに「痛みが続くようだったらスペシャリストの診察を」と言われたのに、3月号の拙記『2009年の幕あけ』で述べたような事情もあり、何の手配もせずいたずらに遠回りをしたことが今さらのように悔やまれる。
 当ホームのすぐ近くに評判の良い鍼医がいると知った私は早速予約。31年昔のことだが、転んだよその子どもを起こそうとして、わ~っ ! ぎっくり腰 ! 物理療法もさして効果がなく、藁をもつかむ思いで鍼医を訪れたところ数回で完治した。鍼術への信頼感はそれ以来だ。この手の痛みも…と期待して出かけた。前夜から左耳後部の骨(解剖学的に何と呼ぶのか知らぬ)を間隔を置いて瞬間的に襲う錐揉みもようなするどい痛みにも効くかと思って。
 鍼は耳の後ろや首の辺りに数本打たれたようだが、それっきり。以後1度も痛みに襲われていない。がっかりしたのは手首の方だ。3度目に訪れた時「申し訳ないけれど貴方の症状を私は治せない」と鍼医に言われたのである。諦めきれぬ私、GPの紹介で町の理学療法所の鍼医を訪れたが5週間目に「医者の診察をお薦めします」と言われ、ショック ! クリスマス前にGPの提案通り、すぐに手を打たなかったツケがこれ。
 専門医の説明を私なりに解釈すると「腱に水が溜まり炎症を起こして腫れ、狭くなった鞘 ? が神経を刺激して…」。怪しい解釈だと笑われそうだが。
 5月6日、キャンベラの病院で全身麻酔による手術を受けた。さて、手術後1カ月が過ぎようとする今、痛みの襲撃は減ったが親指と手首の意識しない向き、動きで電流が走るような痛みに思わず声を立てる。親指の第2関節から手首にかけての表面はいまだ痺れている。本当に治るのかしらん ? 不安だ。来週から受ける理学療法の成果に望みをかけよう。

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筆者プロフィル/ブレア照子(Teruko Blair)
1925年生まれ、広島市出身。旧制女学校卒。45年、広島市内の自宅で被爆。第2次世界大戦終戦の数年後に知り合った豪軍人ウィリアム・ブレアと結婚し、53年に来豪。82年に死別した夫との間に3人の子どもがいる。現在サウス・コースト在住。著書に、本紙に連載していたエッセイをまとめた「オーストラリアに抱かれて」、現在も本紙連載中の「英語とんちんかん記」(ともにテレビ朝日出版)がある。本連載のイラストを手掛けるシドニー在住の絵本作家・森本順子は実妹に当たる。

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