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バレエからオペラやミュージカルまで、オーストラリアで上演された話題のパフォーミング・アートをご紹介。
オーストラリア・バレエ団『マーフィー』
取材・文=岸夕夏、写真=Daniel Boud

公演タイトルの『マーフィー』とは、オーストラリアのダンス・シーンを長年けん引してきた振付家のグレアム・マーフィーを指す。オーストラリア・バレエ団はマーフィーとの半世紀にわたるダンサー及び振付家としての関りを祝福して、マーフィーのアンソロジー、6作品で2018年の幕開けを飾った。
グレアム・マーフィーは2007年まで、コンテンポラリー・ダンスを主としたシドニー・ダンス・カンパニーの芸術監督を31年間務めた。オーストラリア政府から2度にわたりメダルを授与され、1999年にオーストラリア・ナショナルトラストはマーフィーを人間国宝に定めた。オペラ・オーストラリアやニューヨークのメトロポリタン・オペラへのオペラ作品の振付けも手掛け、オーストラリア国内外へ幾多の作品を提供している。
多彩な輝きを放った30年間の作品集


2部構成となった同公演の前半5作品の最初は2005年に創作された全3幕バレエ『シルバーローズ』からの抜粋。同作品はリヒャルト・シュトラウスのオペラ『ばらの騎士』を基にしており、バレエでは高名な女優が年を重ね、名声と若い恋人を失うことへの恐れが寝室の戯れの中で悪夢となって描かれる。真っ白なシュミーズ・ドレスを着た女優マシャリーン役のアンバー・スコットは男たちに鏡を突きつけられる悪夢に苛(さいな)まれる。内なる恐怖に追い回され、終始トゥ・シューズのつま先立ちで鏡を避けようとするステップは深奥(しんおう)な怯えを表現しながらも、執着や男女の心理劇が観客の心を捉えるには、上演時間が短すぎるのではないか。
1999年初演の『Air and Other Invisible Forces』は物語のない抽象作品。漆黒の背景に白い氷山のようなセットが舞台後方に置かれ、そこにパープルのライトが照射された。衣装はファッション・デザイナー、五十川明が担当。オレンジのスカートをまとったダンサー、大気が白い布となって宙を舞う美術そして音楽が融合した舞台は視覚的に美しい。時にアボリジニダンスを想起させる身体の動きは、3人のダンサーが1つのフォルムを造形しながら、有機的なパーツが1つの物体から動いているようにも見える。歌ともつかない、巫女(みこ)が奏でるような神秘的な声と尺八の音色は、古代の儀式を思わせた。
1979年に創作された『シェヘラザード』は、モーリス・ラヴェル(1875年~1937年、フランスの作曲家)の音楽と19世紀末ウィーンを代表する画家グスタフ・クリムトの官能性を融合させた作品。『千夜一夜物語』を思わせるエキゾチックなコスチュームと舞台上のメゾ・ソプラノ歌手の歌声から、甘美で謎めいた空間が浮かび上がる。2人の男性ダンサーは両性愛的な交わりを表現し、女性ダンサーのデュエットは蛇のようなアームスでエロスを造形したが、クリエーターたちが描いた退廃的で妖艶なエロスには、オーストラリア的な健康美が微かに宿っているように感じた。
2002年創作の『Ellipse』では、打楽器が一定のビートを刻む軽快な音楽に乗って、ダンサーはエネルギーを躍動させ小気味良いダンスを披露。時には音楽の韻を踏むように、身体の一部を叩いて音を出した。五十川明がデザインしたスーパー・ハイレグ・コスチュームの前部分がふんどしのようにも見え、ダンサーのユーモラスなマイムは客席の笑いを誘い、最後に割れるような拍手が劇場に響いた。
前半最後の作品は2005年初演の『Grand』で締めくられた。同演目は敬愛するマーフィーの母であり、ピアニストのベティーに捧げたもの。冒頭、巨大スクリーンとなった前幕に、黒いドレスの浅野和歌子の印象的なソロが映し出された。ピアニストが舞台のグランド・ピアノでガーシュインやウォーラーの音楽を奏でると、ノスタルジックな古き良き時代の芳香が漂い、スイングしたダンサーの肉体が謳い、メロディーが踊った。五十川明デザインの、音符が描かれたタンクトップ姿のダンサーは、身体をピアノの鍵盤に見立てて飛び跳ね、流れるようなラインを形成。音符が命を与えられて動き出したかのようなダンスは、愉快で遊び心に満ち溢れていた。前半の5作品の中で最も大きなブラボーに包まれた。


作品から滲み出る舞踊とダンサーへの敬愛
休憩後、同夜の最後の演目は2009年に創作された『火の鳥』で締めくられた。音楽はストラビンスキーが1945年に作曲した『火の鳥』組曲。物語は、魔界に住む火の鳥を一度は捕らえたが逃がしたことで、魔王の手から火の鳥に救われるイワン王子のロシア民話を題材にしている。多様なリフトを用いたマーフィーの振付は音楽と同様、壮大で色彩豊かだ。火の鳥役のプリンシパル、ラナ・ジョーンズは見事に全身で火の鳥になりきって、圧巻のダンスだった。魔王役のブレット・チノーウェスは前半2番目の『Air and Other Invisible Forces』と『Ellipse』でも踊る大活躍で、観客に強い印象を与えた。
全演目が終わるとマーフィーとマーフィーの公私にわたるパートナー、ジャネット・ヴァーノン、五十川明が舞台に登場し、多くの観客がスタンディング・オベーションで同夜の舞台とこれまでの功績を惜しみない拍手で称えた。30年間のマーフィーの6作品を一夜で観られたことに加え、マーフィーの日本人アーティストへの高い信頼が感じられた貴重なプログラムだった。(鑑賞:4月6日/シドニー・オペラ・ハウス)

