親にできること--私の場合

継承日本語教育を考えよう
昨年行われた運動会の模様。「子どもが愉快であれば、学ぶ事多し」。羽仁もとこさん(自由学園創設者)の言葉

Heritage Language 継承日本語教育を考えよう

日本語力だけでなく、継承するべきもの…。
   親にできること--私の場合



 継承日本語を学んでいる子どもたちのバックグラウンドはさまざまです。私の教えているクラスの子どもたちも、すべて異なった言語環境に置かれ、言語生育歴も違います。しかし日本語学習の目的は1つ、日本が好きであり日本語を使えるように努力できることでしょう。今月からいくつかの実例を挙げ、親や教師が子どもにしてあげられることを考えてみたいと思います。
  私には今年20歳になる娘がいます。ハイスクールを終えた後、1年間のギャップ・イヤー(遊学制度)を利用し、日本で生活してきました。現在は大学で日本語を取り、悪戦苦闘しながら、さらに日本語に磨きをかけようと努めているところです。
 小学生の時に2度、日本で実家近くの公立小学校に2週間ほど体験入学をさせてもらいました。当時はまだノーザン・ビーチに日本語学校はできておらず、わが家ではオーストラリア人である父親の強い願いで、まずは英語をきちんと身に着けさせたいと、英語主導の生活をしていました。
 私が地元の小学校で日本語を教えていたこともあり、友達と一緒に参加する週1度の日本語学習は楽しみだったようです。日常的で簡単な挨拶程度はできましたが、日本語は外国語の域を脱していませんでした。
 ハイスクールに入り、9年生からオープン・ハイスクールで日本語を学習しました。どうしても日本語を学習したいということで自分で学校に掛け合い、このオープン・ハイスクールのコースを獲得しました。
 10年生の時に、アメリカのシカゴの高校との3カ月にわたる交換留学があり、代表選出に参加していたのですが、ある日突然、シカゴより日本に行きたいと言い出し、実家の近くで個人的に留学生を短期で受け入れてくれる高校を探すことになりました。
  ネットでいろいろ調べ、直接高校にメールを送りお願いしたところ、ラッキーなことに都立高校から受け入れてもいいとの返事が来ました。この高校は毎年、シドニーの高校との交換留学をしており、娘の熱意を高く評価してくれたのです。
 約2カ月間、初めて私抜きで祖母と生活をすることになりました。祖母は英語が話せませんので日本語を使わざるを得ず、学校でも多くの友達に囲まれて、日本語を使うことに慣れることができました。そして、この時に日本人としてのアイデンティティーを確立したようです。
 高校卒業後、1年間日本に行くと宣言した時に、仕事をするなら行ってもいいと父親に言われ、また親子で職探しをすることになりました。またまたラッキーなことにフルタイムの仕事に就くことができ、仕事を通して言葉ばかりではなく日本についても実に多くのことが学べました。
 小さいころから日本語学校に通わせていれば、もっと自然に英語と日本語が使いこなせたかもしれません。しかし、我が家の事情でこんな道を親子二人三脚で歩んできました。これからは1人でしっかりと歩いていってくれると信じています。


継承日本語教育を考えよう

JCS教育支援委員会
シドニー日本クラブ(JCS)会長、担当理事、日本語学校代表者により構成され、JCS日本語学校3校の運営支援、継承日本語教育の研究・普及に努めている。日本語スピーチ・コンテストや「継承日本語」に関するワークショップを開催
シーハン宏子(しーはんひろこ)
プロフィル◎文部省の派遣でシドニー日本人学校教師を3年間経験。その後、地元の小学校、ハイスクールで日本語指導。現在、JCS日本語学校NB校で継承語としての日本語を指導。JCS教育理事。IHシドニー日本人コンサルタント

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