【対談】日本を世界とつなぐ女性リーダー/メラニー・ブロック氏

日本を世界とつなぐ
女性リーダー

Melanie Brock Advisory CEO
Melanie Brock
 ✕ doq®代表
作野善教

 日系のクロス・カルチャー·マーケティング会社doq®の創業者として数々のビジネス・シーンで活躍、現在は日豪プレスのチェア・パーソンも務める作野善教が、コミュニティーのキー・パーソンとビジネスをテーマに対談を行う本企画。今回は、日豪両国を舞台に国際シーンで活躍する女性リーダー、メラニー・ブロック氏にご登場頂いた。
(監修:馬場一哉、撮影:クラークさと子)

PROFILE

メラニー・ブロック

メラニー・ブロック
世界と日本をつなぐ支援事業を行う株式会社メラニー・ブロック・アドバイザリー・代表取締役社長。日本を拠点に国際的な舞台で活躍し、2010年~15年には豪日交流基金・理事会役員を務め、10年から豪日経済委員会・理事会役員、在日オーストラリア・ニュージーランド商工会議所(ANZCCJ)会頭、16年から名誉会頭、18年からNSW州ビジネス・シドニー・アンバサダー、19年からセガサミーホールディングス株式会社・社外取締役、豪州政府機関アドバンス・グローバル・アンバサダーを務める。11年福島県飯舘村・名誉村民賞、「活躍が期待されるオーストラリアのリーダー50人」(非営利団体Advance)にも選出された

PROFILE

さくのよしのり

さくのよしのり
doq®創業者·グループ·マネージング·ディレクター。米国広告代理店レオバーネットの東京支社とシカゴ本社でAPAC及び欧米市場での経験を経て、2009年にオーストラリアと日本をマーケティングとイノベーションでつなぐことをビジョンにdoq®を設立。ニューサウスウェールズ大学AGSMにてMBA、Hyper Island SingaporeにてDigital Media Managementの修士号を取得。2016年より3年連続NSW州エキスポート·アワード·ファイナリスト、19年シドニー·デザイン·アワード·シルバー賞、Mumbrellaトラベル·マーケティング·アワード·ファイナリスト、移民創業者を称える「エスニック·ビジネスアワード」ファイナリスト

作野:日本を拠点に活動されていますが、元々のご出身はWA州と伺っています。どのような経緯で海外を拠点に活動することになったのでしょう。

ブロック:私はアルバニーという、当時人口1万50 0 0人以下の小さな町で生まれたのですが、実家がロータリー・クラブの交換留学生のホームステイを受け入れていたこともあって、海外への関心は子どものころから強く持っていました。

作野:アルバニーは海もきれいで食べ物もおいしい素敵な町ですよね。それでも外へ出たいと思われたのですね。

ブロック:1970年代当時、海外の情報を入手するのは難しく留学生から聞く話は刺激的でした。それもあり、地元より外の世界に興味が向かったのだと思います。父との約束で16歳になってからロータリー・クラブのプログラムに申し込み、交換留学先の候補国リストから、第3希望まで、知らない言語を学べるデンマーク、西ドイツ、カナダのフランス語圏のケベックを選びました。しかし最終的にはロータリー・クラブ側の決定で、全く知らない日本へ行くことになり、ショックで大泣きしました。その後、結局30年も日本に住んでいるので、今も友人に笑われます(笑)。

作野:最初は乗り気でなかったのですね。言語に関してはいかがでしたか?

ブロック:高校でインドネシア語とイタリア語を学びましたが、日本語は初めてでした。当時、オーストラリアにとって日本語の習得者の育成が重要ということで、ロータリー・クラブはあえて日本語を第2言語として学んでいない人を選んだらしいと後から聞きました。留学先の青森県八戸市から受け入れの手紙をもらった際に、百科事典で調べたら八戸は人口24万人の都会と書かれていて、アルバニーと比べて大都会だと大喜びしました。ところが実際に八戸に着いたら、大都会ではないなと(笑)。八戸ではホームステイをしながら、ミッション・スクールの女子校へ1年通いました。

作野:生活環境の中で英語を話す相手はいましたか?

ブロック:校長と神父さんは英語圏の人でしたが、生活の中で言葉の壁の高さは感じました。とても寒かったことと、ホームステイ先の家族の八戸弁も印象的で、「行く」を「いぐ」と発音することなど、私は戸惑いつつも言葉を覚えていきました。帰国後、18歳の私には将来のビジョンもない状態でしたが、まずは本格的に日本語を勉強することを目的に西オーストラリア大学に入りました。そこで日本人の先生に「プロフェッショナルとして日本語を使いたいなら青森弁を直しましょう」とアドバイス頂き、授業後、居残りをしながら、イントネーションまで厳しく指導を受けました。
 正しく使える日本語を学ぼうとするほど、自分のレベルの低さが分かりました。英語ももちろん難しいですが、日本語は標準語、方言、敬語などの表現の違いや、平仮名、片仮名、漢字もあり、私はその複雑さを勉強するのが好きでした。

作野:日本語の上達に伴い、将来のビジョンは見えてきたのでしょうか。

ブロック:通訳になりたいと思い、大学2年修了時、WA州政府の奨学金でもう一度日本へ行き、東京の日米会話学院で1年間勉強しました。中国人も多いクラスで、漢字が得意でなかった私も1日150個くらい覚えなければならず、先生に抗議しました。すると「英語話者であることはハンディキャップではない」と、とても厳しく言われました。今思えば、厳しい先生たちに囲まれていたことが良かったのだと思います。
 その後、大学卒業のためにオーストラリアに一度戻りました。仕事をしながら勉強を続けると共に、日本で出会い婚約した日本人男性と結婚しました。
 80年代後半当時、日本はまだバブル経済に湧いていた頃で、多くの日本企業がオーストラリアで不動産を買収していました。そのため、日本からの移住者のアテンドの仕事は多くありました。とはいえ、アップダウンのある業界でということもあり、更に自分の日本語力のレベルアップを図るため、QLD大学の会議通訳の修士課程に入りました。同時通訳のテクニックを学びながら、改めて、「いかに自分ができないか」を感じました。

作野:研鑽を積んでなお、更に自身に対して厳しい態度だとお見受けします。

ブロック:オーストラリア人は国民性として、少ししか知らないことでも「知っている」とする傾向がたまにありますが、日本語の勉強にはそれとは逆の姿勢が必要だと思います。日本行きの奨学金申請の面接で「Say ‘symposium’ in Japanese(シンポジウムを日本語で言って)」と言われた際に、私は日本式の発音ができませんでした。英語であっても知っているとせず、日本語の発音、現実に即した表現がとても大事だと教えられました。

作野:オーストラリアのリラックス感と日本の厳しさという、2つのカルチャーの良いところをミックスしながら日本語を学んでこられたと。

ブロック:そうですね。でも日本人ではないので、オーストラリア人の自分をどうやってそこに対応させるかというチャレンジもありました。無理に「日本人化」することや、オーストラリア人としての要素を否定することも違う。異文化交流は難しいですね。

シングル・マザーとして異文化の日本へ

作野:オーストラリアに戻られた後、再度日本に拠点を移したきっかけは何でしたか。

ブロック:子どもが3歳と2歳の頃に、住んでいたパースの家から物件の都合で引っ越さなくてはいけなくなり、どうせ引っ越すなら全く別の場所へ行こうと、ロンドンかニューヨークか東京を考えました。既に離婚しておりシングル・マザーで、貯金も少なく、固定の仕事もなく無謀でしたが、通訳業のクライアントの東京の社宅に6カ月無料で住めませていただけることになったのです。その後、結局東京には26年暮らしました(笑)。

作野:決して楽ではない状況から、それは大きな決断でしたね。

ブロック:息子2人は英語が母国語ですが父親は日本人です。彼らが日本人とのハーフであることを肌で感じるために、日本への「なつかしさ」を持たせたかったのです。その思いから、私は通訳の仕事を頑張ろうと、東京のオーストラリア大使館で働き始めました。

作野:子どもを2人連れての日本での新生活、ご苦労もあったとご推察します。

ブロック:日本に着いたのは11月初めだったのですが、保育園には月初にしか入園できない決まりだったので翌月まで待つなど、ルールの厳しさに悩まされました。そういった体験からフレキシビリティーの不足が働く女性の足を引っ張っている部分もあり、現代のシングル・マザーの苦しみも分かっているつもりです。

作野:日本の非合理的なシステムには、どのようにご対応されたのでしょうか。

ブロック:日本は内側から変えられない時に、外圧を上手く使って変革を起こすことがありますが、海外の人が「こうするべき」と上からの目線になると、聞く側は納得しにくく受け入れにくいですよね。だから自分の意見が必要な外圧なのか、合理的な状況にするために何が必要かなどを考え、さまざまな視点をミックスするようにしてきました。

日豪間の橋渡し

作野:大使館などの仕事を経て、ご自身でも起業されました。

ブロック:通訳の仕事を通して、日豪の商談や交渉の場での壁は言葉だけではないと気付きました。両国におけるビジネスのルール、提案の仕方、解決策の見つけ方などの違いを知り、もどかしい思いと共に両者をつなぐ立場の人間になりたいと思ったのです。

作野:なるほど。そのような思いから現在、日豪間の商談をスムーズに進め、人や企業のマッチングをするコンサルタントとして活躍されているわけですね。

ブロック:日本企業との商談ではまとまるまでミーティングを繰り返すことになります。それに疲れたオーストラリア人から「あと何回行く必要がある?」と聞かれますが、私は「日本人が良いと言うまで」と答えてきました。ですが、最近はパンデミックで日本も決断に時間をかける習慣を変える必要性を迫られていると感じています。日豪関係においても今は重要な時期だと感じています。
 新型コロナのワクチン接種も、日本は承認までに時間がかかりましたが、プロセスは徐々に進んでいます。一方オーストラリアは、ターゲットは明確でも開始してからの進行は遅れています。ある意味で、その「違い」に問題解決のヒントがあるのではと思います。

作野:オーストラリアには「とりあえずやる」という姿勢が見受けられ、日本には「準備を完璧にする」という風潮がありますね。

ブロック:私もオーストラリアのやり方が嫌いではないですが、もう少し謙虚になってほしい時もあります。一方で、2番目以降の人や負けそうな「underdog」を応援したり、手を差し伸べたりするオーストラリアの文化は、私も好きな部分です。パンデミック下の日本でも、シングル・マザーや生活困窮者などに、そろそろ本格的に手を差し伸べる状況を作る必要がありますね。標準的であることが良しとされますが、その基準から外れた人や違いのある人も当たり前に受け入れられる日が、いつかは来ると思うのですが。

作野:オーストラリアは「標準」以外にもフォーカスしていると感じます。

ブロック:例えば学校では、発達傾向に違いのある子どもには専任の先生や、特別なプログラムが用意されます。オーストラリアの人口は約2500万人で、日本の約5分の1ですから、状況の変化にも対応しやすい土壌があります。
 ただ、島国のオーストラリアから外に目を向けない人たちもいて、コロナ禍でその傾向は強まっていると感じます。国境閉鎖で国際的な行き来がなくなることで、私が最も危険視しているのは、さらに視野が狭まってしまうことです。
「オーストラリアはCOV I D -19に一番的確に対処している国」と言う人がいますが、英語でいう「smug(1人よがりの)」だという気がする時もあります。状況が良い時は確かにマスクなしで生活できますが、感染が広がればすぐに州境を閉じ、外国との行き来もしにくいと考えると、本当にこれがパラダイスかはわかりません(編注:インタビューは6月1日時点)。

作野:自分たちは幸せで正しいと思っているけれども、大きな視点で見ると遅れを取っているかもしれないわけですね。もしかしたら欧米はウイルスへの自然免疫ができて経済活動も早く戻るかもしれません。ちなみにブロックさんは、今後の日豪関係をどう展望しますか?

ブロック:過去10年ほど、オーストラリアは中国との関係を強化していましたから、日本の市場やニーズに関心を持ちながらも、深い理解には至っていなかったと思います。しかし10年先を考えた時、日本社会がどう変わり消費者が何を必要とするかを、オーストラリア企業にはしっかり考えて欲しいです。日本に合うビジネスを生み出すために、積極的なリサーチや勉強が求められています。

作野:オーストラリアは日本に近いのに日本人には意外と知られていない国。その上で、日本人が憧れるオーストラリアの要素は何かと考えると、私はライフスタイル、ウェルビーイングではないかなと。それを良い形で日本に輸出できたら、日豪のマッチングにおける鍵になるのではと考えています。

ブロック:マッチングの鍵となる日豪の相互理解には、メディアも重要な役割を果たすでしょう。一般的なオーストラリア人の日本のイメージに東京はあっても、九州など地方は知らないでしょう。ウェルビーイングを商品やサービスとして提供するなら対象の情報がもっと必要です。日本側も「日本の何を知ってもらうか」を、パンデミックの中でも考え続けるべきだと思います。

コミュニティーからサポートを得る

作野:読者に向けて届けたいメッセージはありますか?

ブロック:今は育児や生活に家族の手を借りることも簡単ではありませんから、大事なのは自分と同じ立場の人とのネットワークを持つことだと思います。私が子どもと共に日本へ行った時の保育園のお母さんたちや、オーストラリアでビジネスをしている女性のコミュニティーには、本当にお世話になって、今も言葉で表せないくらい感謝しています。ですから、少しだけ前に踏み出してコミュニティーの一部になってみることをお勧めしたいです。

作野:活躍する日本女性をフィーチャーしたコミュニティーも作られたそうですね。

ブロック:日本でも、ビジネス、学術、教育、家庭など、多くの分野で頑張っている女性がいます。その存在を祝おうと、Twitterで1年間365日、日本語と英語で彼女たちのプロフィールを投稿する「Celebrating Women in Japan」というプロジェクトを手掛けました。日本は恥を重んじる文化ですし、人の迷惑にならないように主張を控えがちです。それでも、プロジェクトを通して日本女性の強さや素晴らしさを知ったと、英語圏の人から今もフィードバックをもらいます。

作野:実は、知人女性がその1人に選ばれ、そこでブロックさんを知ったことが今日につながったのです。

ブロック:素晴らしいですね! オーストラリアにも約10万人の日本人が住んでいると耳にしているので、在豪日本女性バージョンもできるかもしれません。オーストラリアのジェンダー政策も万全ではありませんが、日豪が双方に学び合うことで解決法が見つかる可能性もあるので、その手伝いをしたいと思います。

作野:女性の活躍機会が増えれば、日本経済における労働力も上がります。

ブロック:そうですね。オーストラリア企業の人が日本企業へ行くと、お茶汲みは女性で、幹部に女性がいないなどということは一目瞭然ですが、その状況をなくせば、双方がもっと対等な目線で話がしやすくなるはずです。実際、優れた女性がたくさんいるのは事実ですから、表に出てこられるような環境が大切。日本に住む私の孫が大人になる20年後に、男女平等の日本を見たいですし、私もできる限りの貢献をしたいです。そして、今のオーストラリアについて日本で知ってもらい、今の日本についてオーストラリアで知ってもらうことで、共に良い方向へ展開できたらと思います。

作野:日豪双方から、共に頑張っていきたいですね。

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