久保田美和子さん

日本人プリマ・インタビュー
(Photo by Paul Empson)

蝶の如く、大空に羽ばたく

オーストラリア・バレエ団 『蝶々夫人』プリマ

久保田美和子さん

  19世紀の日本が描かれ、そのオリエンタルな雰囲気や哀愁漂う音楽で親しまれてい るオペラ『蝶々夫人』。これがオーストラリア人振付師スタントン・ウェルシュの手 で、世界で初めてバレエ用にアレンジされ、オーストラリア・バレエ団によって披露 されたのは1995年のこと。それから16年目を迎える今年は、同バレエ団がカムバッ ク・ツアーを2カ月にわたって開催。2月末のメルボルン公演を皮切りに、アデレー ド、シドニーを回った。その注目の主役「蝶々夫人」役に抜擢されたのが在豪日本人 バレエ・ダンサー、久保田美和子さん(32)。豪州で日本人がプリマに上り詰めるの は稀だったが、久保田さんはこのステレオタイプを覆したのだ。そんな彼女の素顔と バレエへの想いを探るべく、シドニー公演の初日を終えたところで話を伺った。

 

海外でバレエを踊りたい
  久保田さんは79年に沖縄県で生まれ、 大自然に囲まれてのびのびと幼少時代 を過ごした。バレエを始めたのは7歳の 時。少し猫背な彼女を懸念し、母が勧め たのがきっかけだったそう。森島富美 加バレエ教室に入門した彼女は、トゥ シューズを履いてつま先で踊れるように なるまで通常3~6年要するところを、 1年後にはこなし、急激な成長を遂げて いった。
 バレエに没頭するようになったのは10 歳の時だ。バレエ教室の先輩や有名なバ レリーナたちに憧れ、週1回のレッスン が週2、週3へと増えていった。11歳にな ると、若手の実力派ダンサーたちが競う 「こうべ全国洋舞コンクール」などの大 会にも参加し始め、次第に世界の舞台を 意識するようになる。そして「アジア・パ シフィック国際バレエ・コンクール」とい う、アジア太平洋の若手実力ダンサーが 競う大会にも参加した。ここで彼女の人 生に転機が訪れた。
 「このころ、本格的にバレエが習いた いと思っていたのですが、当時の日本に は、朝から晩までバレエ漬けになれると ころがなくて。海外のバレエ学校に行き たいと恩師に相談したら、オーストラリ ア国立バレエ学校を薦められました。す ると偶然、毎回コンクールに審査員とし て来ていた、国立バレエ学校の校長先生 が、私のことを覚えてくれていて。掛け 合ってみた結果、校長先生の推薦で入学 することができました」。こうして留学が決まったのは16歳の時。校長先生の指 名で留学するなんてかっこいい、と言う と、彼女は少し照れながら「本当にラッ キーでした」とはにかんだ。
 同バレエ学校に入学し、念願の“バレエ 漬け”の生活を手に入れた久保田さんは、 さらに技術を磨いていった。そして在学 中に、再びアジア・パシフィックのバレ エ・コンクールに挑んだところ、ジュニア 部門で4位に入賞。出光興産から特別奨学 金を授与されるという、快挙を成し遂げ た。そしてこの結果が励みとなり、98年 に好成績で同学校を卒業し、名門オース トラリア・バレエ団に入団した。

 

オーストラリアで見つけた、 自分の居場所
 「バレエ団」と聞くと、主役の座をか けた争いなど、どうしても厳しい世界を イメージしがちだが、久保田さんが見た オーストラリア・バレエ団は想像と違い、 「正直変わっていた」らしい。
 「イギリスやアメリカではトップ・ダン サーと群舞の間に歴然とした差があるの で、ここもきっと厳しいんだろうなと 思っていました。でも入ってみると、意 外にダンサー同士の距離が近かったんで す。別に競争心がないというわけではな いのですが、みんなのびのびしていて親 切で。家族みたいでしたよ」 オーストラリアの環境が彼女にぴった り合っていたことは分かったが、逆に日本に帰りたいと思ったことはなかったの だろうか。
 「ないですね(笑)。日本は恋しいけ ど、日本のバレエ団ではちゃんとしたお給 料がもらえない上に、専属の医療チームな どもないですし。それと比べて、オースト ラリアでは安心して踊れる環境が整ってい るので、魅力的です。また日本では何かと プレッシャーに感じることがありますが、 こちらではのびのびできる気がします。 ずっとここにいたいですね」
 自分にぴったりの環境で、久保田さん は群舞からソリストへと成長し、2010年 1月にはオーストラリア・バレエ団内で、 トップから2番目のレベルに位置する「シ ニア・アーティスト」に昇格した。同年後 期にはオーストラリアのトップ・バレエ・ダ ンサーを決める、テルストラ・バレエ・ダン サー・アワードの最終選考にも残るなどの 好成績を収めた。そんな時、久保田さんに 驚きの仕事が舞い込んだ。同バレエ団の代 表作『蝶々夫人』の11年豪州ツアーで、 蝶々夫人役に抜擢されたのだ。

日本人プリマ・インタビュー
(Photo by Paul Empson)

 

『蝶々夫人』で見つけた大切なこと
  バレエ『蝶々夫人』はクラシックを基 盤とし、さらにコンテンポラリーの要素 も取り入れた新感覚バレエ。優雅な動き とアクロバティックな動きの絶妙なコン トラストが魅力的な作品だ。ストーリー はバレエ用に少しアレンジされている が、オペラと同じく、蝶々さんと呼ばれる15歳の少女の悲恋を描いたものだ(詳 しくは右記あらすじを参照)。久保田さ んは、第1幕では幼く純粋な少女を、そし て第2幕では強い意志を持つ母親を演じ、 見事に1人の女性、蝶々の感情の起伏を表 現した。筆者はシドニー公演を観たが、 特に日本女性ならではのしとやかな振る 舞いを、顔の傾き加減や、滑らかな手の 動き、繊細なステップで表現したのがと ても印象的だった。このキャラクターは どうやって築かれたのか。
 「宮崎あおいさんが出ていた大河ドラマ 『篤姫』を見て研究しました。日本女性 の頭や手のしぐさを見習おうと思って」 現代風に解釈された『篤姫』を役作り のベースにしていたのには少し驚いた。 しかし、ここで久保田さんが感じ取った 大和撫子のイメージは、古き日本の女性 像をより繊細に描き、若い観客にも理解 できるように表現する上で、重要な役を 担っていたのだ。 さらに、蝶々夫人役を演じることで改め て確認したことがあるという。それは、1 つ1つの振りに託されたメッセージを真っ 直ぐに観客に伝えることこそが、この作品 で踊る上で重要だということだ。
 「ステップを追うというよりも、その中 に託された意味をお客さんに正確に伝え ることが一番大切だと思いました。実は 昨年、振付師のスタントンさんがバレエ 団に来てくださったのですが、その時に 振り付けに込められたいろいろな意味を 教えてくださって。彼の話を聞いて、こ れが一番大事なんだなと共感しました」

 

バレエは体で表現するアート
  また同作品では、自身の新たな可能性 に気が付き、もっといろんな役に挑戦し たくなったそう。
 「普段はハッピー・エンドもので踊ってい たのですが、今回は初めて悲劇のヒロイ ンを演じて、意外とこんな役もできるん だなぁって思いました(笑)」 しかし、それを発見するまでには苦労 もしたという。
 「夫の浮気に動揺して自決する時に、号 泣するシーンがありますよね。でも私は そこでどうしても派手にわんわん泣けな くて。恥ずかったんでしょうね(笑)。 監督に何度も指摘されましたよ。でも千 秋楽に向けてだいぶ慣れてきたのでよ かったです」。こうして演技力も向上 し、役のレパートリーが広がった彼女は 続ける。「今度は『ロミオとジュリエッ ト』や『ジゼル』など、さらに奥深い作 品に取り組んでいきたい」
 同作品での経験を踏まえ、彼女はバレ エを“体で表現するアート”と表現した。
 「バレエのキャラクターたちはオペラの ように舞台上では喋れないけれど、体で気 持ちを表現したり“話したり”できる。とて も特殊ですてきなアートだと思います」 バレエはよく白鳥に例えられる。水上 では美しく振る舞い、水面下ではアス リートの如く一生懸命に水をかいてい る。久保田さんもその白鳥のように、鍛えぬかれた美しさを持ち、努力家で、爽 やかな笑顔を兼ね備えた清々しい女性 だ。彼女の今後の活躍に期待したい。
(インタビュー=編集部・森あずさ)

 

バレエ『蝶々夫人/Madame Butterfly』あらすじ
  舞台は19世紀後半の長崎。アメリカ海 軍中尉のピンカートンは、結婚紹介所の ゴローの口利きで芸者をしていた15歳の 蝶々さんと結婚するが、やがてアメリカへ 帰国。3年が経ち、生活費も残りわずかと なった蝶々さんだが、大金持ちのヤマドリ 公爵の求婚にも耳を傾けず、生まれた息子 を大切に育てながら、女中のスズキとと もにピンカートンの帰りをひたすら待つの だった。
 ある日、アメリカ領事のシャープレスが ピンカートンからの別れの手紙を持ってく るが、蝶々さんの喜ぶ姿を見て申し訳なく 思い、用件を伝えられずに帰っていく。そ こに書いてあったのは、ピンカートンが、 かねてから付き合っていたケイトと結婚を していたという事実。そうとは知らずに、 蝶々さんはピンカートンと息子の3人で幸 せにアメリカで暮らすことを夢見ていた。
 大砲の音でピンカートンが戻ったことを 知り、大喜びで正装着に着替えて夫をひと 晩中待ち続けた蝶々さん。しかし翌朝、夫 に似た蝶々の息子を前にケイトが立ち尽く しているところを見て、真実を知る。
 息子をケイトに託すことに同意した 蝶々さんは、青い目の息子に別れを告げ た後、父親の形見の短刀でのどを衝いて 自害する。


日本人プリマ・インタビュー

PROFILE
1979年5月12日沖縄県八重瀬町生まれ。7歳で森嶋 富美加バレエ教室に入門し、16歳で来豪。名門オース トラリア国立バレエ学校に入学し、1997年に開催され た第6回アジア・パシフィック国際バレエ・コンクール で4位に入賞。出光興産から特別奨学金授与される。 1998年には同バレエ学校そ卒業し、同年にオーストラ リア・バレエ団に入団。豪州や海外のツアーでキャリ アを積んだ後、2010年にシニア・アーティストに昇格 し、2011年2月~4月に開催された同バレエ団による バレエ『蝶々夫人』で主役を演じ、活躍した。5月か らは、同バレエ団によるバレエ『British Liaisons』に も参加する。

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