映画『The Railway Man』日豪“和解”の歴史

FEATURE

映画『The Railway Man』—憎しみを越えて
元陸軍通訳と英人元捕虜の“和解”
文=植松久隆(ライター/本紙特約記者) 写真提供=Transmission Films、満田康弘

 

 ボクシング・デーに全豪で公開予定の映画『The Railway Man』(邦題『レイルウェイ・運命の旅路』)。先の大戦時、旧日本軍により建設された泰たいめん緬鉄道敷設に携わった英国人元捕虜の自伝を映画化した同作で、日本側の主役として欠かすことのできない存在として登場するのが、実在の元陸軍通訳の永瀬隆。知られざる永瀬の戦後の業績、そして映画『The Railway Man』が在豪日本人コミュニティーにもたらすものは何かを紹介する。

 

“死の鉄道”と呼ばれた泰緬鉄道

戦後70年が過ぎようとする今、「泰緬鉄道」という言葉を聞いて、いったいどれだけの現代を生きる日本人が、それが何かを説明できるだろうか。太平洋戦争(大東亜戦争)時の1943年7月、旧日本軍により開通されたタイとビルマを結ぶ泰緬鉄道(英名:Thai-Burma Railway)の建設現場では、多くの連合軍捕虜が動員され、過酷で劣悪な労働環境により多くの人が命を落とした。その数は、連合軍捕虜だけで約1万2,000人を超え、“労務者”と呼ばれた現地調達の労働者を合わせると犠牲者の総数は10万人以上とも言われる。多数の犠牲を生みながら貫通した鉄道は、いつしか“The Death  Railway”(死の鉄道)として知られるようになり、戦後、その“地獄”から生還した多くの元捕虜によりさまざまな記録が残された。その中の1つが、元英国陸軍の通信将校で捕虜となっていたエリック・ロマックス(2012年10月に93歳で死去)による自伝『The Railway Man』、今回の映画の原作である。

英国の東南アジア植民地施策の根拠地であったシンガポール陥落で、多くの英豪兵が日本軍の捕虜となり、俘虜(ふりょ)収容所から泰緬鉄道敷設に狩り出されたが、ロマックスもその1人。戦後も日本軍の憲兵隊から受けた取り調べによるトラウマに悩まされ続けた彼自身の過酷な体験を描いた同作は、英国本国で70万部以上売れるベストセラーとなった。その自伝の中で、彼の“復讐”の矛先を向けられたのが、当時、日本陸軍の軍属で憲兵隊の通訳だった永瀬隆(2011年に死去)。そして、戦後50年を経ようかという1993年、紆余曲折を経て、2人は劇的な再会を果たす——。

戦争によってもたらされた憎しみを乗り越えた“和解”がテーマの同作が、英豪合作として制作されたのには訳がある。泰緬鉄道建設に動員された連合国捕虜の大多数、そして犠牲者の多くを英豪兵が占める。したがって、この2カ国にとって、泰緬鉄道での自国の兵士の過酷な体験は、戦後70年を経た今も消えない傷として残っている。多くの元捕虜が自らの経験を書き綴った文献は世代を越えて読み継がれ、何度も映画、ドキュメンタリーとして映像化され、国民の薄れかけた記憶をまた鮮明なものに戻してきた。
 

たった1人の戦後処理

ひるがえって日本はどうだろう。戦後、泰緬鉄道の敷設に関わった鉄道連隊や俘虜収容所の関係者の口は総じて重かった。それもそのはず、戦後、泰緬鉄道関係者の多くがBC級戦犯として“勝者の裁き”で断罪され、111人が有罪判決を受け32人が刑場の露と消えている。このような経緯から、彼ら関係者にとっては、戦時下の体験は「触れられたくない過去」という気持ちも強かったのであろう。

しかし、旧軍関係者の中で、償いの思いを実際の行動に移して残りの人生を贖罪(しょくざい)に捧げたのが、永瀬隆、その人である。終戦からおよそ1年にわたって、英軍捕虜埋葬地の捜索部隊で通訳を務めた経験から、永瀬は、旧軍の無謀な鉄道敷設と劣悪な収容所の環境で命を落とした多くの捕虜や労務者の末路がどんなものであったかを知る。その経験から、現地での犠牲者の慰霊と鎮魂を残りの生涯の自らの責務にしようとの思いを持つに至った。

1946年7月に復員、郷里で英語学校を経営していた永瀬は、戦後20年が経とうとしていた64年、終戦後初めてのタイ訪問を実現させる。それから晩年までにタイに計134回渡航、“死の鉄道”で命を落とした連合国捕虜、そしてアジア人労務者たちの慰霊だけに留まらず、タイの青少年に奨学金を支給するための基金(クワイ河平和基金)を創設するなど、私財を投げ打っての活発な活動を行ってきた。

その永瀬の活動を長年追ってきたテレビ・ディレクターの満田康弘(瀬戸内海放送)は、著書「クワイ河に虹をかけた男(梨の木舎刊)」の中で、永瀬の戦後の業績を「たった1人の戦後処理」と表現する。時には、あらぬ中傷を受けながらも信念を持って続けられた献身的な活動は、多くが満田によってドキュメンタリーとして映像化されており、多くの人々の関心を戦時下の泰緬鉄道で起きた悲劇に向けさせる助けとなってきた。

 

高評価を支える日本人の貢献

コリン・ファース、ニコール・キッドマン、真田広之という、それぞれ英豪日を代表する名優が出演、9月のトロント、10月の東京と国際映画祭で立て続けに高評価を受けている映画『The Railway Man』。実は、その撮影の一部は、昨年、QLD州のブリスベン、ゴールドコースト近郊で行われた。作品には、多くの日本人キャストやスタントマン、エキストラが出演。撮影現場には経験豊かな日本人アドバイザーも帯同した。今回の作品でも、日本人が日本人役をきちんと演じることで、作品のリアリティーとクオリティーが高められたのは間違いない。高評価を得る作品の陰には、それぞれの持ち場でがんばった日本人キャストやスタッフがいることを念頭に公開される作品を観れば、映画の観方も少し変わってくるだろう。

いずれにしても、この作品の公開が、献身的な「戦後処理」を行ってきた永瀬隆という人物の顕彰になり、さらには、祖国日本と今暮らす豪州との間に起きた戦時下の悲劇に対する世代を越えての相互理解の促進に繋がることを期待したい。そして、永瀬とその支援者だけが長年担ってきた泰緬鉄道に関する「戦後処理」について、我々在豪の日本人社会が少しでも意識し、行動するようになれば、それは素晴らしいことだろう。


戦後48年を経て再会、和解を果たしたロマックス、永瀬両氏
(写真提供:満田康弘)

試写会を終えた時、周りの多くのローカルの観客は泣いていた。しかし、筆者の眼に涙はなかった。日本人にとって、この映画の扱うテーマは非常にセンシティブなもので、「感動」というのとは少し違う思いを抱くのかもしれない。クリスマス気分が抜け切らないボクシング・デーではあるが、ぜひ1人でも多くの日本人が筆者が感じたのと同じ真摯な気持ちでスクリーンを見つめてくれるのであれば、この記事を書いた意味があるというものだ。(文中敬称略)


■『The Railway Man』
監督:ジョナサン・テプリツキー
出演:コリン・ファース、ニコール・キッドマン、真田広之ほか
12月26日より全豪で公開

ジョナサン・テプリツキー監督からの日豪プレス独占のメッセージ


ジョナサン・テプリツキー監督

「2013年10月の東京国際映画祭での『The Railway Man』の上映は、とても素晴らしい経験となりました。日本の観客の感情豊かな反応は、今までに多少見聞きしたことのあるストーリーに興味を持ったというに留まらない、とても深い何かを我々に気付かせてくれました。それは、日本人がこの映画で描かれた歴史的事実を直視するだけでなく、何が起きたかを理解した上で受け入れるには抵抗のあるその事件での、日本の果たした役割すらも受容する、日本人の率直な自責の念、そんな思いが伝わってきたからです。1人でも多くの日本人に見てもらいたいと考えています」

永瀬隆さんとカウラ


(右)永瀬さんが陸軍の通訳に志願したころの写真(写真提供:満田康弘)/(左)永瀬さんの陸軍軍属としての身分証明証(写真提供:満田康弘)

永瀬さんは、ある豪軍将校との奇縁に導かれ1989年、カウラを訪問した。終戦直後の墓地捜索隊で行動をともにしたジャック・リーマン元中尉の遺族を訪ねる目的で来豪した永瀬さんは、その際に訪れたカウラで、市民が手入れをしてきちんと整備された日本人死者墓地の光景に大きな感銘を受けた。「この恩をいつかは返さねば」と考え、リーマン氏が戦後の4 8〜52年の間に管理主事を務めた横浜・保土ヶ谷の英連邦戦死者墓地での戦没者追悼礼拝の実行を思いつく。95年に始まり今も続く追悼礼拝は、永瀬さんとリーマン氏の奇縁によって生み出され、多くの元捕虜も参列するなど貴重な日本と連合国側の和解の舞台となってきたのである。

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