目標を定めて、夢を実現させよう

ワーキング・ホリデー・メーカーを応援!
「目標を定めて、夢よう」
ワーホリの先輩 ピッキーズ代表取締役・青木慎也さん
 

世界を動かすビジネス・リーダーたちも若いころはみんな無名だった。ワーキング・ホリデーで日本から豪州へやって来たばかりの若者たちだって、将来の可能性は限りなく大きい。そんなワーホリの1人だった青木さんが語る、夢を実現させる方法とは?
 
 
 

現在はバンダバーグの「ピッキーズ」で代表取締役を務め、インドネシアでのオーガニックTシャツの製造、輸出入などのビジネスも展開する青木慎也さん。1995年にワーキング・ホリデーでオーストラリアへやって来た人の1人だ。「日本では旅行会社の添乗員として働いていたので、若くして日本国内のほとんどの観光地へ行き尽くしていました。まだ20歳という尖っていた年齢でしたから『日本は狭いな。次は海外だ』なんていきがって、海外へ出ることにしたんです。姉がシドニーに住んでいて、のんびりした住みやすい所だという印象があったので、オーストラリアに決めました。

ワーホリ・ビザは当時1年しか出なかったのですが、日本の荷物は全部整理して、すっかり最初からここにしばらく住むつもりでやって来ました(笑)。海外で永住するという夢を、必ず実現させるつもりでした。こちらへ来てからは、しばらく語学学校に通ってから、ゴールドコーストの旅行代理店でガイドとして働きました」

旅行代理店でのキャリアを積み、現在もオーストラリア各地に支社を持つ大手旅行会社でビザのスポンサーをしてもらうことも決まり、順調にゴールドコースト在住という夢を実現させていった青木さん。五輪前のシドニーでオペレーション業務などを経験した後、26歳という年齢でゴールドコースト支店の支店長となった。「まぁ、ほかに人がいなかったということもあります(笑)。ゴールドコーストはカウンター業務だけで、ガイド業務を一時閉めてシドニーが統括していた時期があったのですが、再オープンが決まった時に、唯一のゴールドコースト経験者として抜擢されたんです。でも、ほかの支店長たちは30代後半の人が多かったですから、一番歳下としてテーブル掃除などをしたりしながら(笑)会議などに出席していました」。そう笑いながら謙遜する青木さんだが、旅行代理店時代は、28歳でブリスベン支店をオープンさせ2支店の支店長となるほどの辣腕の持ち主だった。

 


ピッキング卒業生たちにも慕われている青木さん。左から坂元秀人さん、青木さん、木場悟司さん

『ピッキーズ』誕生秘話

「ずっとそのまま、旅行代理店に骨を埋めるつもりだったのですが、たまたま2005年に30歳になったころ、バンダバーグへ遊びに行ったんです。ちょうど、ワーホリ・ビザの改正があって、ファームの仕事をすればもう1年セカンドが取れるということになった時期で、旅行会社として何かできないかということをよく考えていました。

そんな時に、こんなこと言うと皆に馬鹿にされるのですが(笑)、夢を見たんです。ピッキングの仕事をしなさいって。会社や関係者にはとても怒られましたが、旅行代理店での仕事をすぐに辞めて、バンダバーグへ行きました。

新しいことをイチから始めるには30歳という年齢はギリギリだと感じていたのと、この法改正の時期にやらなければチャンスはないと思い立ったんです」

こうして、現在ではバンダバーグでピッキングをする日本人ワーホリ・メーカーに多く利用されている、シェア・ハウスや仕事の斡旋など総合的なサービスを提供する企業「ピッキーズ」が誕生した。だが当時、日本人にピッキングの仕事を紹介する業務というのは完全に新しいビジネスであり、どの程度需要があるのか、提携できる農家の現状はどうなのか、ビジネスとして成り立つのかということは全くの未知数だった。「勝算があって始めたわけではありませんでしたが、最悪、自分が働けばいいと思ったんです。何があっても死にはしないだろうな、と(笑)。どんなことがあっても、とりあえず自分でピッキングの仕事をすればなんとか食べていけると思いました。日本からこちらへやって来た時もそうでしたが、一度こうと決めると止まりません。目標さえ決めてしまえば、あとは何とかなると信じています」

ゴールさえ決めてしまえば、後はそのためのステップを1つ1つクリアしていくだけだという青木さん。バンダバーグへ来た最初のころは、畑で野菜をもらってきて食べたりしながら、事務所の机の下に寝袋を敷いて寝泊まりしていたこともあったと言う。初めは本当に何も分からないところからのスタートだった。

 
ピンチにやりがいを感じる

旅行代理店を辞めるまでは、支店長という安定した地位も収入もある仕事を続けていた青木さん。どうして、「ピッキーズ」設立という未知数の可能性にかけることができたのだろうか。「ピッキーズを始めた時は、それまで支店長を務めていたとか、そういうことはあまり深く考えたことがありませんでしたね。田舎でも別に不便だとは思わなかったし。どんな状況でも、どうにかする方法は必ずあると思うんです。ピンチでどうしたらいいかと頭を悩ませている時が、一番仕事にやりがいを感じている時かもしれません。

例えば、オーストラリアでは修理を頼んでも、約束した日には来てくれないということが多いですよね。でも、それで文句を言っていてもしょうがないので、だったらどうすればいいのかを考えればいいと思うんです。そういったことを見越して、お客様の不満が出ないようにその溝を埋めるためにはどうすればいいのか。

言葉もそうです。来豪当初、自分は英語が全く話せなかったのですが、その時先輩によく言われたのが『言葉ができないんだったら、その分確認しろ』ということ。言葉は、もちろんできた方がいいに決まっていますが、できないなら何度でも聞いたりと、それをカバーする努力をすればいい。日本にいたらこういう感覚は育たなかったかもしれませんね」

最後に、現在頑張っているワーホリ・メーカーへのメッセージを聞いた。「ワーホリの皆さんへ仕事を紹介していて農家の方によく言われるのは、『日本のワーホリの人には、もっとイエスかノーかはっきりしてほしい』ということ。何を考えているのか分からないのが一番困る、と言われるんです。どうしていいのか分からない時、オドオドするのは恥ずかしいからと、無表情になって自分を守ろうとしている人が多いように思います。でも、そこからもう1歩踏み出して、分からなくて恥ずかしくても自分の感情や意思を表に出さなければ、コミュニケーションは生まれません。そして目標を持って、恥ずかしがらずにその夢を実現していこうとすれば、きっと道は開けます。

例えば、永住権を取りたいと思うのだったら、じゃあ必要なIELTSはどれだけなのか、それを身に着けるためにはどうすればいいのかと、よく考えれば具体的に進むべき道が決まってくるはずです。そうしたら後はそれを実行するだけ。

私も、今はまだ夢の半ばで、実現に向けて頑張っているところです。ワーホリは、チャンスです。皆さんも、ぜひ一緒に頑張りましょう」

 

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