第2の祖国で五輪の夢を追う/増田奈千

タカ植松 一豪一会
第3回

「やっぱり、私にはレスリングしかない」
第2の祖国で五輪の夢を追う

レスリング選手/コーチ
増田奈千

 日本での現役時代、越せない大きな壁の前にもがき続けた増田奈千(28)のレスリング人生。大学卒業と同時に距離を置いたはずのレスリングに、いろいろなドラマを経てたどり着いたクイーンズランド州の田舎町で再び取り組み、現役復帰を決意して大きな結果を引き寄せると、内なる野望が湧き出てきた。今は、五輪を目指す選手のコーチと次世代の育成だけでなく、自らも現役復帰した選手として見果てぬ大きな夢を追う。そんな挑戦の日々を、心置きなく語ってもらった。
(取材・構成・写真=タカ植松 取材協力=ブラック・ドラゴン会)

PROFILE

ますだなち
大阪府出身。4歳から始めたレスリングで、ジュニアから国際大会に出場。岡山の環太平洋大学に進学後も58キロ級で活躍も、常に絶対王者の伊調馨の後塵を拝した。大学卒業後、現役引退。2018年、フィジー留学後に来豪。今年、本格的に現役復帰して、65/68キロ級で全豪タイトル2冠に輝いた

PROFILE

タカ植松(植松久隆)
ライター、コラムニスト。在ブリスベンの日豪プレス特約記者として、これまでさまざまな記事を寄稿。2032年ブリスベン五輪決定の報に11年前の今から興奮気味

あきらめた五輪日本代表の夢

増田(右)は得意のタックルで、すぐにテイクダウンを奪うスタイルが売り(写真=本人提供)
増田(右)は得意のタックルで、すぐにテイクダウンを奪うスタイルが売り(写真=本人提供)

 指定の場所に現れた妙齢の女性が、レスリング全豪王者であることがにわかに信じられなかった。イメージより体は小さいし、何も知らなければ、誰が彼女を日本レスリング界のトップ・クラスで活躍してきた選手だと分かるだろうか。

 それでも、増田奈千が歩んできた28年の人生は、本人の「やっぱり、私にはレスリングしかない」という台詞が物語るようにレスリング抜きでは語れない。

 「4歳で競技経験のある父に連れられてからなので、(レスリング歴は)もう24年になります。
 日本では小学生のレスリングの競技人口は多いんですけど、女子の場合は特に中学生でガクンと減ります。やっぱり、思春期であの格好が嫌だという子が多くて。でも、強い子は気にせずに続けるんですけどね(笑)。
 私は高校、そして奨学金をもらって入学した岡山の環太平洋大学でレスリングを続けました」

 増田の日本での現役時代の階級は「58キロ級」。世界最強の日本女子レスリング界には、今まで何人かの絶対王者が存在し、長い期間にわたって王座に君臨してきた。吉田沙保里しかり、伊調姉妹しかり。

 そんな絶対王者が五輪や世界選手権のタイトルを総ナメにしてきた陰には、日本国内で越すに越せない大きな壁を越えようとすることだけに終始するキャリアを過ごすことを強いられた、増田のような存在がいることを忘れてはならない。

 増田が見上げ続けた大きな壁は、五輪4大会連続金の偉業を成し遂げて国民栄誉賞を受けた、あの伊調馨だった。

 「こんなことを言うと怒られちゃうかもしれないけど、『五輪なんか絶対に無理』と思ってやっていましたからね。正直、日本のトップ・クラスだったら、誰が日本代表になっても、世界に出れば勝てるんですよ。でも、ダントツがいるから……(苦笑)」

 増田は、常に伊調の後塵を拝し続けるレスリングのキャリアに、大学卒業と同時に終止符を打った。就職先もレスリングには全く関係のない大阪府警を選んだが、警察学校に進んでわずか2週間で退職してしまう。

 「自分の自由を一番に尊重する考え方が(学校に)あまりに合わなさ過ぎて、すぐに辞めちゃいました。親にはすごく叱られましたけど(苦笑)。
 その後は、本当にレスリングしかやってこなくて全く社会経験がないことに嫌でも気付かされましたね。元々、米国にいる従姉の影響もあり、海外生活や英語習得に興味があったので、1年半くらいお金を貯めてからフィジーに留学しました」

 聞けば、フィジー留学は割安な英語学習留学先として人気で、多くの若者がフィジーを経由してからワーキング・ホリデーで豪州に渡るという。増田もまさにそのルートでダウンアンダーの地を目指したのだった。

ジェシカ・レイバーズ=マクベインとの出会い


 「フィジーでの友人たちが、豪州で(セカンド・ビザ申請のために)ピッキングをするファームを探したり、豪州の情報をFacebookで集めているのを見て、軽い気持ちで『もし、チームがあれば、豪州各地をレスリング武者修行しながら回るのも面白いかな』くらいに思ったんです。
 そのころはレスリングから離れてしばらく経っていたけれど、離れたら離れたで、またやりたいなって気持ちが徐々に出てきていました」

 初めての異国の地で、きっぱりと別れを告げたはずのレスリングとの距離感が予期せずぐっと縮まった。やはり「自分にはレスリングしかない」という思いも相まって、増田はある行動に出た。

 「Facebookで『豪州、レスリング』と検索したら10件くらいのページが出てきたんです。その全部につたない英語でメッセージを送ってみたところ、1人だけ返事をくれた人がいて、その人が豪州全土のレスリング・ジムのボスを集めたグループ・チャットを作って、そこに私をポンと飛び込ませたんです」

 すぐにはそこでつながったコンタクト先には頼らなかった増田が、フィジーからシドニーを経てたどり着いたのは、ブリスベンから北に1時間半ほどのカブーチャーにあるブルーベリー農場。2017年12月のことだ。

 「ピッキングって聞いていたのに、行ってみたらパッキングだったり(笑)、真夏のビニールハウスに長袖長ズボンでの作業はまるで現役中の減量みたいだし……。なんか、こんなことやっていてもなと思って、スパッと辞めました。
 さぁ、次はどうしようとなって、ようやくレスリングの人脈に頼ろうかと。カブーチャーから1番近いのは現在の監督の所でしたけど、お金が底を突いていたので、3カ月間ブリスベンのジャパレスで働いてから彼のジムのあるジンブンバに向かいました」

 この時に頼ったのが、ブリスベンの北に1時間ほど車を走らせた所にあるジンブンバで総合格闘技ジム「ブラック・ドラゴン会」を主宰するジョーディー・レイバーズ=マクベイン。そして、その妻であるジェシカとの出会いが、彼女のその後の人生を大きく変えることになる。

 「彼らのジムで子どもたちにレスリングを教えてくれれば、滞在費なしで3カ月、彼らの家に住まわせてくれるという条件でした。
 聞けばジェシカは、ムエタイと柔術の達人で、柔術のトレーニングの一環で始めたレスリングにすっかり魅了されて、初めて会った時点でレスリング歴3年くらいだったんです。
 でも40歳近いという年齢を全く感じさせず、すごく運動神経が良くて、頭も良い。少し教えただけですぐ修正できるし。そんな彼女に、本格的に東京五輪を目指したいから力を貸してくれって言われて」

 ひと回り上の選手のコーチ兼スパーリング・パートナーを務めるうちに、彼女のレスリング選手としての眠っていた闘争本能が少しずつ目を覚まし始めた。かつては「行けるわけがない」と諦めていた五輪の晴れ舞台に、指導者として出場したい――。自分の目指すものがクリアになった。

 「日本の女子レスリングって世界で敵無しなんです。日本人としてはうれしいけど、外に飛び出した立場だと、同時に『日本人に勝ちたい』という気持ちが出てくるんです。自分では無理だから、コーチとしてですけど。
 吉田沙保里さんのライバルだった山本聖子さん(筆者注:MLBダルビッシュ有投手夫人)の米国代表コーチとしての教え子が、リオ五輪で吉田選手に勝ったのを見て、すごく格好良いと憧れていました。私も同じ道を目指そうって決意して、ジェシカと始めた二人三脚もかれこれ3年目です」

ジョーディー(中央)とジェシカ(左)夫妻は、増田の人生を変えた恩人(写真=本人提供)
ジョーディー(中央)とジェシカ(左)夫妻は、増田の人生を変えた恩人(写真=本人提供)

 結論から言えば、そのジェシカとの東京五輪への道は既に途絶えている。コロナ禍が、40歳にして最初で最後の五輪の舞台を目指し続けてきたジェシカの夢を奪ったのだ。

 出場していれば、ほぼ確実に五輪出場権を物にできたであろうオセアニア選手権にもコロナ禍で出場できず、最後に残ったヨーロッパでの最終予選出場も断念したことで、ジェシカと増田の東京五輪への夢ははかなく消えたのだ。

 ただし、夢は叶わずとも、ジェシカとの出会いが増田の人生を大きく変えたことだけは間違いない。

 「年齢を感じさせずセンスもあるジェシカを教え始めると、予定していた3カ月はあっという間に過ぎて、彼女をもっと指導して一緒に五輪に行きたいという気持ちも強くなっていたので『もうええや、ここおろう』って(笑)。結局、ワーホリの期間の全部をジンブンバで過ごしました」

 ビザがなければ、豪州にいたくてもいられないのが短期滞在者の宿命。常に悲喜こもごもを生み出すビザ事情だが、ここでも増田を救ったのはレスリングだった。

 「ワーホリ・ビザが切れる前に、監督から日本でのレスリングの実績でタレント・ビザを申請してみようと言われ、19年12月に申請しました。『もし、奈千が伊調馨に勝っていれば、彼女が金メダリストだった』と監督のお母さんが良い感じで実績をアピールしてくれたり(笑)、豪レスリング協会も推薦状を書いてくれたりしたことで、昨年10月、ようやくタレント・ビザが降りたんです」

豪州代表として五輪を目指す

地元ブリスベンで行われる11年後の五輪選手を育てるのが大きな夢だ(写真=本人提供)
地元ブリスベンで行われる11年後の五輪選手を育てるのが大きな夢だ(写真=本人提供)

 この国で長く挑戦を続ける最低限の資格でもあるビザを得てからの、次なる目標とビジョンを増田は既に明確に持っている。

 「ジェシカが目指す来年のコモンウェルス・ゲームに、コーチとして帯同するのが直近の大目標。そして、少しでも多くの子どもたちにレスリングに触れ合ってもらうことで、豪州レスリング界の全体的な強化につなげて、32年のブリスベン五輪に出場するローカルの豪州代表選手を育てたいですね」

 ビザ面での不安が解消されるのと時を同じくして、増田は本格的に現役選手としての復帰を果たした。その現役復帰初戦となった5月の全国選手権で、あっさりと65キロ、68キロ級の2階級を制覇。5年以上のブランクを全く感じさせない強さで豪州王者2冠に輝き、周囲を驚かせた。

 「レスリングを好きだって、今、やっと思えました。日本での現役のころは嫌々やっていた部分もあった。選手の時に、もっと強くなりたいという気持ちを持てなかったそんな私が、指導者として晴れの舞台に立ちたい、更にはまた選手としてチャレンジしたいという気になれたのも、全てジェシカの存在があってのことです。
 それに、やっぱり、私にはレスリングしかないんです」

 そう殊勝に語るが、全豪王者を穫れば、オセアニアそして世界へと夢は膨らむ。永住権だけでは、五輪などの国際大会に豪州代表として出場することは叶わないが、方法はある。豪州に帰化して、豪州代表になれば良いのだ。

 「実はもう考え始めていて、必要な手続きも進めたいと思っています。豪州代表には誰でもなれるわけじゃないから」と、近い将来的にはグリーン&ゴールドに身を包んで国際大会で戦う可能性を否定しなかった。

 自分には、レスリングしかない――。そう悟った増田に怖いものは何もない。コーチと選手の二役で将来的な五輪出場を目指し、遮二無二トレーニングに励んでいく彼女から目を離せない。

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