【WH日記】本場オーストラリアでラグビー修業 ── 小能壮一さん

第7回

がんばるワーキング・ホリデー・メーカーにフォーカス

みんなの「ワーホリ・ダイアリー」ちょっとだけ拡大版

オーストラリアでがんばるワーキング・ホリデー・メーカーを紹介。



左から2人目が小能さん。チーム・メイトと

 

今回登場のワーホリ・メーカーは?

小能(このう)壮一さん

1988年生まれ・東京都出身
趣味・特技:スポーツ観戦、映画鑑賞
 

プロを目指し、本場オーストラリアでラグビー修業

ラグビー選手としてさらなる成長を目指し、オーストラリアの地にラグビー留学。プロを目指し、日々ラグビーの練習に励む小能さんが、その後の人生を大きく動かすことになるラグビーと出会ったのは中学1年生のころだった。

「中学校では父親がやっていた関係で最初はバスケ部に入ったんですが、敵にぶつかるとファウルになるというルールがどうしても自分にはなじまなくて、1カ月も続かなかったんです。そんな時にたまたま同じクラスの仲が良かった奴らに誘われてラグビー部の見学に行ったのが最初でした。初めて練習に参加した時からこれは面白いぞと思ったんです」

しかし、当時は背も小さく体が細かったこともあり、心配した母親から入部を止められたという。だが「やりたいことをやれ」という父の方針もあり、最終的には「始めたからには辞めない」ということを約束する形で許可が出された。性格にも合っていたのだろう。小能さんの才能はたちまち開花する。

「中学3年の時に、関東地域の学校から代表に選ばれて、ラグビーの聖地『花園』で全国の代表と戦ったんです。『花園』と聞いてぴんと来ない人もいるかもしれませんが、野球でいう『甲子園』と同じです。そこで試合ができたのは、自分のラグビー人生の中でも特に印象に残ってます」

中高一貫の学校だったため、高校に入ってからも引き続きラグビー部に所属。中学時代、高校時代、ともに東京都でベスト4と健闘はしたが、それでもトップに名を連ねるレベルまでは上ることができなかった。

「大学への進学を考えた時に、ラグビーを続けようか迷ったこともありました。しかし、高校のラグビー部を引退してから、急に毎日の練習がなくなって、その日々があまりにつまらな過ぎたんです。ラグビーをやらない生活を送ることがどうも想像できなかったし、大学に行く意味も自分には分からないなと思いました」

ラグビーを続けることを目指し、小能さんは関東学院大学に入学する。ラグビーの名門校だ。

「皆ラグビー推薦で入ってくる奴らばかり。当然のように高校でも『花園』に出ているし、ユース日本代表に選ばれている奴も普通にいました。自分も一生懸命やってきたつもりですが、やはりレベルの差は感じました。最初はついていくのも大変で、すごく刺激を受けましたね。もっとがんばらなきゃ。上には上がいるもんだと思いました」

各高校でそれぞれ一番うまかったようなプレーヤーたちが集まっている部活。その中に混じれることが本当に楽しかったという。だが、そんなある日、クラブを、いや世の中を震撼させるような事件が起こった。大麻取締法違反容疑で部員2人が逮捕・起訴され、その後レギュラー選手1人を含む2〜4年生の計12人の大麻吸引が発覚したのだ。監督は引責辞任、ラグビー部に対しては、対外試合の自粛期間が設けられたのである。

「僕が1年生の時に事件があって、それでいい選手も入ってこなくなりました。それもあり、結局大学在学中、タイトルに絡むことはなかったですね」

思わぬ不幸に見舞われる形にはなったものの、それでもラグビーを続け、3年時には実業団チームに誘われる。しかし、そんな最中、今度はリーマン・ショックが世の中を震撼させる。

「その会社もリーマン・ショックの影響でクラブの強化を取りやめることになったんです。ラグビーはやりたいけど誘われているチームがないという状態になり、どうしようもなく、就職活動を始めたんです」

就職活動も順調に進み、大手印刷会社への内定がほぼ確定。しかし、その段階で小能さんは再び深く自問自答する。

「肉体的にはまだラグビーができる。それなのに、なぜやめる道を自分は選ぶのか」

決まりかけていた会社に頭を下げ、それからは一転、自分を取ってくれるチームを必死に探し始めた。やはりラグビーをどうしてもあきらめることができなかった。その熱意が買われたのか、かつて1部リーグに所属していた強豪IBMへの所属が決まった。

しかしその1年後、小能さんはまたも自らの進退に思いを馳せる。

「IBMでラグビーを続けるという道はもちろんあるのですが、チームの成績があまり良くなかったこともあって、この機にさらに昔からの思いをかなえてみようかと考えるようになったんです」

ラグビーの本場であるオーストラリアやニュージーランドでいつかラグビーをしたい。以前より漠然と抱いていた思いが社会人1年目の終わりくらいから突如、現実的な夢になって浮上してきたのだ。

思い切って、会社を辞め、ラグビー留学を目的にシドニーの地を訪れたのである。その後、知人の伝手をたどり、イースタン・サバーブス・ラグビー・ユニオン・クラブに所属。ラグビーを続けることを断念しそうになっていた1年前から一転、ラグビーの本場で修行に励むことになったのである。

 

ラグビー選手としてできるところまでやっていきたい

2011年秋の来豪後は早速クラブに合流し、数カ月間にわたり、トレーニングに励んだ。週に2、3回、走りこみや基礎体力作りを行い、その合間に、アルバイトや英語の勉強などに励んだという。アルバイトで働いていた日本食レストラン「仏舎利」のオーナーの理解もあり、ラグビーを優先した生活を送ることができたそうだ。そのかいもあり、シーズン中は試合にも何度も出場することができた。

13年4月〜10月にかけての2シーズン目はケガに苦しめられたものの、最後にぎりぎり復帰を果たす。試合にも出場することができ、チームの戦績はベスト4。まずまずの結果を収めることができた。

現在、2シーズン目のチャレンジを終え日本に帰国している小能さんは「試合が終わった時には、悔しさというよりは、このメンバーでもう試合ができないんだという悲しさが込み上げました」と振り返る。

「オーストラリアのクラブが素晴らしいのは、全員のラグビー選手がどこかのクラブ・チームに所属していて、そこをベースにチーム内のレベルの高い人がプロに行くという構造です。僕のチームにもプロの選手がいました。プロはシーズンが終わるとクラブ・チームに戻ってきて練習に合流します。テレビで観ていたような人たちと一緒に練習できるというのが最初は本当に信じられませんでした。彼らは当然、ラグビーに対する意識も高いし、体つきもぜんぜん違う。世界最高峰のリーグでやっている人たちと練習できるというのは本当に素晴らしい体験でした。毎日がワクワクの連続でしたね」

ラグビーのみならず、生活の面でも学ぶことは少なくなかったという。

「オーストラリアの多くの若者は皆、個がしっかりしていて大人だなと感じました。しかし実際に年齢を聞いてみると僕と同じくらいか、もしくは歳下ばかりで、僕もしっかりしないといけないと思いました」

帰国後、現在はクラブ・チームに所属しながら、週末はラグビー、平日は父親の会社を手伝う生活をしているという。だが、ケガでつぶしてしまった今シーズンにリベンジするために来シーズンもまたシドニーに来ることを視野に入れているという。

「ラグビー選手としてできるところまでやっていきたい。どこでやめるかは考えていないです。プロ・ラグビー選手になるためにも、もっともっと頑張りたいと思います。ワーキング・ホリデーは目標を持って海外で何かをしたい人にとっては本当に素晴しい制度だと思います。自由に活動できるので自分次第で有意義に時間を使えます。シドニーは気候も良いし、楽しいこともたくさんあるので流されそうになることもあるかもしれませんが、そんな時は初心を忘れずに頑張ってほしいと思います」

ワーキング・ホリデーとしてオーストラリアで頑張る人々にそう小能さんはエールを送る。いつの日か彼がプロのリーグで活躍する姿を見られる日が来ることを心待ちにしたい。

「ワーキング・ホリデー・メーカー」募集!
 当連載に登場いただけるワーホリ・メーカーを募集しています。自薦、他薦は問いません! あなたの周りの輝くワーホリ・メーカーをぜひ紙面で紹介させてください。ご連絡は「推薦理由」等、詳細をお書き添えの上、編集部(nichigopress@gmail.com)まで。

 

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