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オーストラリア人にとって、アンザック・デーの意味とは?

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ガリポリ上陸作戦で兵士8,000人以上が犠牲に

(Photo: David Clode on Unsplash)

 オーストラリア各地では25日、戦死者を追悼する「アンザック・デー」の式典が開催された。東部シドニー中心部のマーティン・プレイスにある戦没者追悼碑の前では、午前4時30分から夜明けの礼拝が行われ、日刊紙「シドニー・モーニング・ヘラルド」(電子版)によるとマーガレット・ビーズリー・ニューサウスウェールズ(NSW)州総督、クリス・ミンズNSW州首相、退役軍人会(RSL)のミック・ベインブリッジ会長をはじめ8,380人が参列した。

 同紙によると、ベインブリッジ会長は「シドニーはこの数週間、打ちひしがれていた。地域社会がアンザック・デーのために集まるのは本当に良いことだ」と述べ、市民が団結して連続発生している刺傷事件を乗り越えることの重要性を訴えた。

 アンザック・デーは、第1次世界大戦中の1915年4月25日に開始された連合国によるオスマン帝国(現在のトルコ)への上陸作戦「ガリポリの戦い」で、甚大な犠牲を出したオーストラリア・ニュージーランド連合軍(ANZAC)の兵士を追悼する祝日だ。

 この時、オーストラリア連邦の発足(1901年)からまだ14年しか経っておらず、国家としては生まれたばかりだった。初の大規模な海外派兵となったこの作戦で、オーストラリア軍は戦死者8,141人を含む2万6,111人の死傷者を出した。

 100年以上経った今でも、この日は各地で追悼式典が開かれているばかりか、退役軍人会(RSL)が運営する会員制クラブでは毎日1回、客や従業員がガリポリ半島の方向を向き、黙祷を捧げるところも多い。それほどガリポリの戦いは、オーストラリア人のアイデンティティーにとって、重要な歴史の1ページとなっている。

■ソース

Anzac Day: just the therapy Sydney needed to heal a ‘broken heart’(Sydney Morning Herald)

Gallipoli(Australian War Memorial)





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