アラビアンナイトの町と人々 アラブ首長国連邦ドバイにて

国際ニュース反射鏡
アラビアンナイトの町と人々
アラブ首長国連邦ドバイにて

 アラビア半島に抱え込まれたようなペルシャ湾に面したアラブ首長国連邦(AEU)7つの首長国の1つ、ドバイ首長国。その首都ドバイで3日ほど過ごした。2月は、最も過ごしやすい良い季節。東部アフリカへの避寒旅行ついでに立ち寄った。36年前、1973年7月、赤軍派にハイジャックされた日航機がドバイに着陸した。その時、ドバイで取材したので再訪してみたかったからだ。かつて砂漠の商人の町は今、国際バブル都市だ。


国際ニュース反射鏡
ペルシャ湾岸には、モノレール工事が進み、アラビア風の欧州系ホテル(中央)は観光名所だ

 1973年は石油ショックの年。田中角栄氏が首相。ハイジャックが頻発した。ハイジャック機を追う形でドバイという見も知らずの空港に着いて驚いた。当時の羽田空港より立派で、ターミナルビル内の公衆電話で、東京に国際電話がダイヤルでかけられたことだった。一方、港ではアラビアンナイトの千夜一話に出てくるようなダウ舟という小さな木造の交易舟が浮かんでいた。

国際ニュース反射鏡
海沿いの高級リゾート・ホテルのロビーでは、アラブ服の従業員がアジアからの観光客へ記念撮影サービス

9カ国人のスチュワーデスと
 今、大阪からEmirates(アラビアの藩主、首長の意)航空でドバイ国際空港第3ターミナルへ直航で11時間。客室サービス係は、フィリピン、バングラディシュ、ケニア、スペイン、韓国、タイ、ブラジル、オーストラリア、日本と9カ国人。食事は、イスラムも食べられる洋風、ベジタリアン用、日本食風と三様。グローバルな航空会社で、お国ぶりは感じられない。酒類も飲める。アラブ・イスラム国UAEを本拠とする航空企業とは思えない、不思議な空間だった。
 ドバイ居住者は、100国籍以上。人口135万のドバイ首長国で、ローカルといわれる生粋のドバイ人は10%ちょっと。町に住み、社会を支えるのはExpatriate(移居人)といわれる外国籍人だ。都心の中級ホテルに泊まったが、インドやパキスタン、フィリピンの宿にいるような感じで、アラブ世界に来た気はしない。
 ホテル従業員はインドやパキスタンなど南西アジア人、フロント係はフィリピン女性で、夕方のスーパーはフィリピン女性であふれていた。いわゆるドバイ観光やビジネス客がいる高級リゾート・ホテルは、海辺の隔絶された場所にある。

国際ニュース反射鏡
ドバイ都心のバス停前には出稼ぎフィリピン人向けアパートの空き部屋を知らせる張り紙が

姿のないローカル、ドバイ人
 ローカル。つまり地元ドバイ人は、空港の入国管理官、高級ショッピング・センターの買い物客でしか出くわさない、という旅人には不思議な町だった。
 アラブ・イスラム社会では、せん塔や丸いドームがあるモスクや、コーランの祈りの声に出会うものだが、ドバイはとても世俗的で、英語が通じる、車社会だった。
「あなたは、とても良い季節に来た。夏は50℃で、とても歩けたもんじゃない。夜になってもコンクリートの町は余熱で不快だ。ドバイは富みの町というが、ひどい格差のゆがんだ国際社会だよ。人間観察には、もってこいの町だね」
 朝食で隣席のイギリス老人は、雪のロンドンから脱出してた、とドバイ観を語ってくれた。
 車の流れをぬって、ペルシャ湾に通じる入り江の旧港へ歩いて行った。1970年代に見たダウ舟のような小型の運搬船は健在で、数十隻が積荷に囲まれていた。

国際ニュース反射鏡
建設現場のような町で、クレーンと工事中が目立つ。世界最高800メートルのビル(右端)は天に伸びつつある

アラブ商人の伝統は生きている
 中国や韓国製のTV、タイの自動車用ゴム部品、中古車の部品、中国の毛布、繊維品、フィリピン製のフルーツ缶詰、南西アジア製の皿、ベッド、家具、簡易トイレのタンク、袋詰めのコメ。荷札には「ドバイ・トランジット」、イランやほかの首長国行きと、伝統的なアラブ風交易地ドバイの姿があった。
 一方で、巨大な空港の3つのターミナルビル内の免税店街。ドバイ都心の巨大ショッピング・モールには、欧州と日本の銘柄品が並び、中東観光の先進国人、日本女性のショッピング天国となっていた。
 アラブの交易地ドバイは、どうして国際的ブームの地になったのか。
「01年9月11日のニューヨーク同時テロ、米国によるイラク戦争で、米国に流れていたアラブのオイル・マネーが、ドバイに逆流してきた。開放的なドバイでは外国人の投資や不動産所有が自由なので、国際的な投機マネーがあふれてきた」。
「08年9月15日のリーマン・ブラザーズ倒産に始まる米国発の金融危機は、建設・不動産バブルに響いてはいるが、道路、港湾、地下鉄、モノレールといった公共事業は続いているから、打撃は軽い」。
 と定住の外国人は見ていた。そういった経済コンサルタントの見方が載っていた英語新聞には、「地元の診療所は、患者減で悲鳴をあげている。南西アジアなどからの労働者がいなくなったので採算割れだ。患者減が長引くと、どうなるか…」という記事があった。


日本人学校は250人も
 公共事業の多くは、日本の大手建設会社が関与している。国際的なショッピング地、ドバイに出荷する日本のメーカー、流通業者は少なくない。
 ドバイ日本人学校の児童・生徒は増え続けて、新学期にはその人数は250人を超す。シドニー日本人学校の194人(2月11日現在)と比べても、ドバイの日本社会は小さくはない。
 外国人に支えられているドバイ。かつてハイジャック日航機の着陸を認めた、当時の皇太子はその後首相となり、首相一族はドバイ開発事業の核となっている。石油マネーのアラブ人や、中東やアフリカ大陸東部の経済を握っているインドの富豪や投機家たちの姿は、町を歩いていては見えない。砂上の桜閣なのか、ドバイ人は商い上手で生き抜けるのか。「首長航空」のエコノミー席で、隣席はヨルダン人と、象牙海岸(アフリカ西部)人だった。


筆者紹介・青木公(あおき・ひろし)朝日新聞社友。日豪プレス創刊時に朝日新聞シドニー支局長。定年後、東南アジア、中南米、アフリカ大陸などの途上国を毎年、訪問・取材。現在、国際協力機構(JICA)サポーター。著書に『ODA最前線』『中高年はつらつと海を渡る』『ブラジル大豆攻防史』ほか。海外日系紙に寄稿


 CJM Lawyers  Harding legal 幌北学園 kidsphoto nichigowine
日豪プレス 配布場所   日豪プレス 新刊発行    Oishii Japanese Restaurant Guide Covid-19 最新情報

新着記事

新着記事をもっと見る

NICHIGO CHANNEL


新着イベント情報

新着イベントをもっと見る