原発、復興、経済を最優先 外交手腕は未知数−野田新首相

東日本大震災特集

 

東日本大震災特集

原発、復興、経済を最優先、外交手腕は未知数

−−野田新首相

民主党の野田佳彦代表(54)は8月30日午後、衆参両院本会議での首相指名選挙を経て、第95代、62人目の首相に選出された。野田氏は幹事長など党役員と閣僚人事の調整を続行。国会内で輿石東参院議員会長と会い、幹事長就任を打診した。党執行部の布陣を同日午後にも決める考えで、前原誠司前外相を政調会長に起用する案が浮上している。一方、政権運営の安定を目指し、組閣に先立って自民、公明両党など野党に政策協議を呼び掛ける方針。民主党幹部は、新内閣発足について9月2日が有力との見通しを示した。


民主党の新代表に選出された野田佳彦財務相は8月29日の記者会見で、東京電力福島第1原発事故の収束や東日本大震災からの復旧・復興、経済対策を最優先課題とする考えを強調した。新政権にとって、本格的な復興対策を盛り込む2011年度第3次補正予算案の編成や円高・デフレ対策がまずは喫緊の課題。外交面では、9月下旬、ニューヨークでの国連総会の場が外交デビューとなるが、野田氏の外交手腕は未知数だ。

10兆円規模と見込まれる3次補正は、復興債の償還財源が焦点。野田氏は当初、復興増税に前向きな発言をしていたが、29日の記者会見では増税の時期や税目について「政府税調が複数の選択肢を提出するのを待ちたい」と党内の慎重論に配慮する姿勢をにじませた。

福島第1原発をめぐっては、原子炉を安定した「冷温停止」状態にすると同時に、放射性物質で汚染された土壌などの除染が急務。原発再開や原発依存の見直し問題を含め、野田氏が今後のエネルギー政策をどう進めていくかも問われる。

外交では、日米同盟深化の具体化が課題。野田氏は同盟重視の考えを示しているが、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設問題は、地元・沖縄が県内移設に強く反対し、解決への展望は見えない。政府は国連総会の際に日米首脳会談を開く方向で調整するが、突っ込んだ意見交換は回避することになりそうだ。

一方、中国とどう向き合うかも焦点だ。昨年の尖閣諸島沖での中国漁船衝突事件で日中関係は悪化。大震災後、温家宝首相が福島を訪れるなどの動きはあったが、本格的な関係改善は新政権に委ねられる。

高台移転の制度設計急務、復興計画の策定作業足踏みも

菅直人首相が退陣表明後も居座り続けたため、東日本大震災からの復旧・復興対策は遅れた。発生から5カ月が経ち、被災地ではがれき処理や仮設住宅建設を中心とする復旧から、まちづくり復興に軸足が移りつつある。しかし、安全な土地への住宅移転に対する国の財政支援制度がいまだ未定なため、被災自治体は復興計画の柱となるまちづくりのデザインを描けない状態が続く。

また、福島第1原発事故による放射能汚染対策も課題で、新政権には早急な対応が求められる。

政府は7月末に復興基本方針を決定。高台移転に関して、土地造成などの費用を国が4分の3負担する「防災集団移転促進事業」を見直して対応すると明記したが、この1カ月間、検討は進んでいない。地域限定で規制緩和や税財政上の優遇措置を講じる復興特区制度や、自治体が使途を自由に決められる交付金の制度設計も同様だ。

これに関し宮城県の村井嘉浩知事は「復旧・復興は待ったなし。早く組閣をして3次補正を上げてほしい」と要望。福島県の佐藤雄平知事も「被災地の状況は依然として厳しく、一刻の猶予も許されるものではない」と、早期復興への支援を求めるコメントを出した。

仙台市の奥山恵美子市長は「これ以上の政治空白を招かぬよう、与野党が一致協力し、いまだ厳しい状況にある被災者を忘れず責任ある政治を進めていただきたい」とコメントした。

特例公債法が成立
−予算執行への支障は回避

2011年度予算の執行に不可欠な特例公債法が8月26日午後の参院本会議で可決、成立した。同法は、予算の歳入の約4割を占める37兆円の赤字国債を発行できるようにするもの。新年度に入って5カ月近く法が成立しない異常状態は解消され、予算執行が滞って社会保障などの行政サービスに深刻な支障が生じる事態は回避された。

参院で野党が多数を占める「ねじれ国会」の中、11年度予算は参院で否決された後、憲法の衆院優越の規定に基づいて成立した。一方、予算執行の裏付けとなる特例公債法の成立には、野党の協力を得た参院での可決が必要。同法の成立は菅直人首相が掲げた退陣条件の1つでもあった。

8月に入って民主、自民、公明の与野党3党が、民主党の衆院選マニフェスト(政権公約)の主要施策見直しで合意。これを受けてようやく今国会で成立する運びとなった。

 参院本会議に先立って開かれた財政金融委員会は、同法案を賛成多数で可決した。

「やっと来たよ」手を合わせ 原発3キロ圏、初の一時帰宅
−福島

東京電力福島第1原発事故から5カ月半。警戒区域に指定されている半径3キロ圏内の住民が8月26日、初めて一時帰宅した。「戻れるなら戻りたい」。立ち入り規制が長期に及ぶ見通しの中、住民らは与えられた2時間で貴重品や思い出の品を袋に詰めながら、故郷への思いを強くした。

原発の北西約2キロの双葉町細谷地区。「あった」。3月11日の震災発生当日以来、初めて自宅に戻った舘林キク子さん(47)は2階のたんすの奥から結婚指輪を取り出した。子どもの成人式の写真、通帳、衣類…。メモを手に、家具が倒れたままの部屋で持ち出す品を探す。「悲惨な状況。とても住めない」と嘆いた。

「やっと帰って来たよ」。夫の孝男さん(57)は自宅裏のお墓に持参した花と線香を供え、両手を合わせた。兼業農家でコメを作っていたが、目の前の田んぼには雑草が生い茂る。「2月に新しい田植え機を買ったのに1回も使えなかった。がっかりだよ」。

政府は原発3キロ圏について、警戒区域の指定を長期間継続する方針だが、孝男さんは「やっぱりうちが一番」と力を込めた。「何とか調整してもらいたい。うちらが悪いんじゃないんだから」。

原発から南西約2キロの高台にある大熊町夫沢の特別養護老人ホーム「サンライトおおくま」では、入所者の持ち物を家族らが取りに戻った。敷地からは2号機の原子炉建屋と林立するクレーンが見える。

「安全と思っていたし、安心していた」。母親(81)の衣類を持ち出した渡辺和恵さん(61)がつぶやく。同町大川原の自宅も警戒区域内のため、会津若松市で避難生活を送る。「原発事故が収束して、みんなが早く帰れれば…」と涙ぐんだ。

肉牛、停止解除後初の競り
1カ月ぶり、価格は下落−宮城

東京電力福島第1原発事故の影響で出荷停止となっていた宮城県産の肉牛が8月26日、仙台市中央卸売市場で約1カ月ぶりに競りにかけられた。放射性セシウムの汚染による出荷停止が、19日に解除されたのを受けた。ただ、県は安全性をアピールしたものの、1キロ当たりの価格は通常より200〜300円、安かった。

この日競りにかけられたのは、汚染された稲わらを食べさせていない89頭の枝肉。県は全頭について、国の暫定規制値(1キロ当たり500ベクレル)を下回ったことを示す「放射性物質検査結果通知書」を添付した。

仙台市中央卸売市場では従来、1日で約150頭が取引されていた。しかし、牛の放射能汚染状況を検査しなければならないため、当面は1畜産農家当たり1頭の出荷に限り、市場での1日の枝肉取引は最大90頭にとどまる。この日、和牛を出荷した同県大和町の佐々木勝博さん(57)は「競り再開は一歩前進だが、検査は1つの農家で1頭ずつ。次はいつ出荷できるか分からず、先が見えない」と不安げに話した。

平和と震災復興願う − 遺族「力合わせ乗り越える」
終戦記念日に全国戦没者追悼式

66回目の終戦記念日を迎えた8月15日、政府主催の全国戦没者追悼式が、東京都千代田区の日本武道館で開かれた。天皇、皇后両陛下と菅直人首相、遺族や政府関係者ら6,109人が参列。戦争の犠牲となった約310万人(軍人・軍属約230万人、民間人約80万人)の冥福を祈るとともに、東日本大震災からの復興を願った。

式典の冒頭、菅首相が「不戦の誓いを新たにし、世界平和の確立に全力を尽くす」と述べた後、「大戦では、アジア諸国の人々に多大な損害と苦痛を与えた」と昨年と同様に、日本の加害責任に言及した。

さらに「大震災で多くの命と故郷が奪われた。戦後の廃虚から立ち上がった経験を持つ私たちは、被災地と日本を必ず力強く再生させる」と誓った。

参列者は正午に1分間の黙とう。天皇陛下のお言葉に続き、父がフィリピン東方海域で戦死した甲府市の河西佐智子さん(67)が遺族代表として、「わが国は大震災からの復興に向け、懸命に取り組んでいる。英霊が愛したこの国の発展に向け、力を合わせて乗り越えていかなければならない」と追悼の辞を読み上げた。

横路孝弘衆院議長も「ヒロシマ・ナガサキを体験した私たちが、なぜ原発の安全神話に寄りかかってしまったのか、痛恨の極み」と強調した。

厚生労働省によると、参列した遺族は4,817人で、このうち最年長は夫を亡くした東京都多摩市の馬場宮子さん(97)、最年少は曽祖父が戦死した沖縄県うるま市の宮城海皇ちゃん(5)。

東日本大震災で被災した岩手県からは40人、宮城県から58人、福島県から41人の遺族が参列した。大震災後の節電を受け、会場内の冷房温度は高めに設定され、代わりに氷柱が設置された。

「これでちゃんと中学生に」震災で5カ月遅れ卒業式
−宮城・南三陸の小学校

東日本大震災の津波で校舎が全壊した宮城県南三陸町立戸倉小学校が8月21日、卒業式を行った。約5カ月遅れとなった卒業式に出席した現在中学1年の卒業生は「これから人の役に立てるよう頑張りたい」と、新たな出発を誓った。

戸倉小は校舎が津波にのまれ、児童2人と講師1人が死亡。卒業証書も水と泥をかぶった。式は、同小が移転先で校舎に使っている同県登米市の廃校となった小学校の教室で行われ、戸倉小関係者は「最も遅い卒業式ではないか」としている。

式には、卒業生23人や保護者ら計約100人が出席。卒業生は緊張した面持ちで、汚れを落とされた卒業証書を麻生川敦校長から受け取った。

麻生川校長は「5カ月余り遅れたが、全員と会えたのはこの上ない喜び。津波で何もかも失ったという気持ちがのしかかるが、6年間の素晴らしさは皆さんの記憶の中に刻まれている」と式辞を述べた。

津波で自宅が流され、仙台市の中学校に転校した佐々木要君(12)は「卒業式をきちんとしないまま中学に行ってしまったが、これでちゃんとした中学生になれると思う」とほっとした表情を浮かべた。戸倉中学に通う須藤未帆さん(13)は「久しぶりにみんなに会えて良かった」と笑顔。「これまで多くの支援をもらった。これからは私たちが人の役に立てるよう頑張りたい」と語った。(時事)



核兵器による破壊の悲惨さの象徴、人類全体への警鐘として 世界遺産に登録される広島市の原爆ドーム

コラム

私の心はヒロシマ人

原爆と原発は同じた

8月6日朝8時15分。広島平和記念公園で、66年目の平和記念式があった。テレビの生中継を見ながら、1962年と63年のふた夏、あの式典の真っ只中にいたのを思い返した。2011年の平和宣言で初めて、原子爆弾だけでなく原子力発電所が登場した。66年目の異変だった。文=青木公(元朝日新聞シドニー支局長)

筆者はヒロシマ駐在の現役ジャーナリストとして、2年続けて平和記念式を取材して発信した。当時、良い核爆弾と、悪い核爆弾があった。奇妙な感じがするだろうが、62年8月まで「いかなる核実験にも反対」だった日本社会が、2つに分かれかけ、63年8月には、政治的についに社会党系と共産党系に分裂してしまった。

米ソ対立の狭間で

時は米ソ対決の時代。ソ連の核実験支持派と反対派が、それぞれ非難しあって、平和運動が原水協と原水禁の2系統となってしまった。原爆被爆者は、政治のうず巻きにしらけてしまった。ソ連邦の崩壊で、やっと本来の鎮魂の場に戻ってきた。

ヒロシマ式典のかなめ、原爆慰霊碑には『過ちは繰り返しません』という文言が刻まれている。日本語特有の文体で、主語が省かれているように思える。原爆を落された側が、なぜ、過ちを繰り返さないと言わなければならないのか。瞬時に20万人を死傷させたアメリカこそ、繰り返さないと誓うべきではないか。そんな思いがヒロシマ人の胸中にはある。「人類は、原爆投下を2度とやらない」という解釈がたぶん、妥当なのだろう。

ヒロシマ、ナガサキ以降、2度と被爆者を出さないのが、毎夏の平和宣言の思いだったが、そうはならなかった。

杉並から始まった

54年3月初め。中部太平洋で操業中の静岡県焼津港のマグロ漁船、第5福竜丸がアメリカの水爆実験による死の灰をかぶり、9月に無線長だった久保山愛吉さんが亡くなった。その間、5月に東京・杉並区の主婦が街頭で始めた原水爆禁止の署名運動によって、日本の反核運動が芽生えた。ほぼ20年後に、反核・平和運動が分裂してしまったのは、先述した通りだ。

さて、その後、筆者はアメリカ西部勤務となったが、ヒロシマ人として、核の追跡は続けた。

カリフォルニアの本格的な発展は、日米戦争がきっかけとなった。核兵器開発も西部諸州で進められたので、開発現場へ出かけた。ニューメキシコ州のホワイト・サンズは、最初の核爆発があった荒れ地だ。オッペンハイマーなど高名な科学者たちが東部からやって来た。爆発記念碑もあった。今も放射能をおびた白い花こう岩が光っていた。

ネバダ核実験場を見聞して

次は、ネバダ州の核兵器実験場。ギャンブルの首都ラスベガスから遠くない。

核廃絶を理想とするオバマ大統領のもとでも、地下核実験は続けられている。

同盟国のジャーナリストだからだろうが、炭鉱の立て抗のような地下核実験場に降り立つと、一見すると鉱山と変らない構造だった。明るいトンネル内を作業車が走り回っていた。

今は使われていない、砂漠地の地上核実験場では、月のクレーターのような巨大な穴や、コンクリート造りの家屋や倉庫が、爆風でひしゃげたままの姿で残骸として放置されていた。

ヒロシマ、ナガサキでの効果を試した現場を見聞して、ヒロシマ人としては心おだやかではなかった。

米国駐在の暮らしの中で、筆者と同世代の市民にヒロシマ観を問うと、パール・ハーバーはどう思うのか、と反問されたことがある。

ヒロシマの被爆者が、欧米人にこう聞かれることがある。「アメリカに恨みは持たないのか。報復を考えないのか?」

その答えは、「アメリカ市民個人は、うらまない。しかし政府は謝るべきだ。平和や人間への罪はあると思う」。

といった問答になるそうだ。ヒロシマ・ナガサキ以降、たしかに核爆弾は落されていない。核兵器保有国は増えたが、人類への罪として問われるので使えなくなってしまった。

フクシマは節約美徳生んだ

それが、東電福島原子力発電所の事故で、66年ぶりに放射線汚染が身近に迫ってきた。原発から200キロも離れた筆者の居住地でも、臭いも姿もない放射能を運ぶ風や雨にさらされることになった。

灯火をともす平和な原子力が、突然、生命を脅かす怪物として現われた。原発から3キロ圏は住めない。20キロ圏内も安全とは言えない。食物を通しての内部被爆が、食卓にも忍び込んできた。

原爆と原発は別物ではなく、平和時でも人類を脅かす魔物だということを、日本人は知り、世界にマイナスのモデルとなってしまった。

東電福島に限らず、原発の地元には、迷惑料として支払われる交付金で、役場や公民館、図書館は立派になり、雇用の場も増えた。そんなプラス面は、吹き飛んでしまった。

どうするか、模索中だ。①少なくとも減原発、②危険なのは止める、③太陽熱、水力、風力など再生可能なエネルギーを増やす…。

この夏に限って言えば、電気の使い手、工場や消費者が節電に努め、結果として20%ほど節約でき、停電の危機は避けられた。家庭では、熱中症を避けるため、適度にクーラーを使ってよいことになった。節約という美徳が甦った夏だった。


日本に届けよう、「がんばろう!」の思い

戦後かつてない被害を被った祖国のために、遠く離れたオーストラリアから何かできることはないか−−。多くの在豪日本人のそんな思いが、各地で力強い動きとなっている。本紙に寄せられたリポートや今後予定されているイベントなどをお伝えする。※メルボルンのチャリティー活動はP69に掲載。

【リポート】

“子どもたちにこれからも何ができるのだろう?”
ホームステイ・プロジェクトで福島の10人の子どもたちが来豪


ウィロビー・カウンシルの協力により実現した、アボリジニ・アー ティストのワラナーリ氏のパフォーマンス体験と交流会の様子

8月8〜18日、シドニーと日本のボランティアから成るグループ「シドニー・レインボー・ステイ・プロジェクト」により招かれた10人の子どもたちが福島県のホットスポットと言われている福島市、いわき市、郡山市などから来豪し、シドニーでの楽しい夏休みを過ごした。

受入れ家庭のボランティアの皆さんから温かいおもてなしを受け、また数多くの日系企業、レストラン、個人、カウンシル、ロータリー・クラブ、学校などの協賛協力を得て、ポート・スティーブンス・イルカ・ウォッチング・ツアー、シドニー水族館、野生動物4WDツアー、アボリジニ・パフォーマンス、地元の学校での交流や、折々に日本食ランチも提供され、盛りだくさんなプログラムとなり、オーストラリアならではの数々の貴重な体験を満喫した。

福島に戻った子どもたちに電話インタビューをしてみた。

−−シドニーで楽しかった思い出は?

「3月の原発事故以来ずっと外遊びや校庭での体育が禁止だったから、外で思いっきり遊べたのが一番楽しかった!」(小6・中1男子)、「野生のコアラを見つけたり、触れたり、イルカを見に行ったり。初めてでわくわくした」(中1男子)、「夏休みなのにいつも家族で遊びに行く海にも行けず、シドニーのビーチで遊べたのが良かった。シドニーの海はとてもきれい」(中2女子)、「ホームステイ先のマミィ、ダディや、子どもたちと仲良くなったこと!」(小6男子・中2女子)、「学校交流が楽しかった、グレネオン校に通いたいと思った」(小6男子)、「野菜やお肉をたくさん食べた。安心して食べれたので」(小6・中2男子)、「いろんな人に会ったり、たくさんの新しい体験をしたこと」(高2男子)「みんなに優しくしてもらえたこと」(全員)

−−福島に帰ってからの生活は?

「野菜や牛肉の食べられない生活に戻った。去年のお米やパンが主食」「お母さんは妹や弟と遠くへ避難しているので、お父さんと2人だけの生活。寂しい」(小6男子)、「外での体育や部活がずっと禁止」「校庭が除染作業中」(中1男子・中2女子)、「学校が放射能避難を勧めているので夏休み・冬休みが長くなる予定」(中2女子)、「2学期になったら多くの同級生が転校していて、居なかった」(小6・中1男子)、「放射能は怖いし、もう外では遊べない。原発は良くないと思う」(中2女子)

福島の親御さんからは、「震災・原発事故以来、子どもたちをどこにも連れて行っていないので、素晴らしい夏休みになった」「選びたくても、福島では地産地消のためか地元産の野菜しか手に入らない。何を食べさせたらいいのか…。子どもたちの内部被曝が心配。子どもがシドニーに居る間は自分も心が休まった」「下の子は既に県外の実家に長期避難させている」「(避難区域外は)行政や学校の対応もバラバラで家庭で判断するしかないのが現状」「積算被曝量を少しでも下げるため冬休みにも子どもを避難させたい」「安全なところへ子どもを転校させたい」「転校を具体的に検討している」と、皆さんが放射能汚染への不安を訴えるとともに、子どもたちの夏休みの間の1次避難を可能にしたホームステイ・プログラムと現地の協賛・協力者の方々へのお礼の言葉を口にされていた。

プロジェクトからは、「受け入れ家庭さんをはじめ、多くの賛同者からのご協力を得て、すばらしい夏休みを福島の子どもたちに過ごしてもらうことができました。募金やこれらのご支援なしには実現することは不可能でした。この場を借りて皆様にお礼を申し上げます。これからも活動を続けて行きますので、今後ともお力・ご支援を賜りたく、お願い申し上げます」とのコメントがあった。

(取材・文=香取夏野)

■シドニー・レインボー・ステイ・プロジェクト
協賛・協力企業個人一覧を活動報告とともにHP掲載中。問い合 わせ、今後のホストファミリー/ボランティア・スタッフ登録 はHPから。
Web: sites.google.com/site/rainbowstaysyaney(日本語・英語)

 


MLA駐日代表メラニー・ブロック氏(左端)と牧草を受け取った福島県相馬市の肉牛生産者

オーストラリアから被災地農家に乾草を提供
MLA豪州食肉家畜生産者事業団

MLA豪州食肉家畜生産者事業団(本社:オーストラリア・シドニー、駐日代表:メラニー・ブロック)が推進中の、東日本大震災被災地復興支援活動「いっしょにがんばろう、日本」の一環として7月24日、オーストラリアの牧草(乾燥飼料)が被災地の福島県相馬の肉牛生産者に届けられた。

MLAは5月14日にシドニーで開催した慈善バーベキューに東北の肉牛生産者3人を招待、その際に被災地農家が最も必要としているのが牛の飼料となる乾草であることを知り、ただちにオーストラリアから乾草を被災地に届ける手配をした。

乾草を搭載したコンテナ船はオーストラリアを出航し日本に到着後、MLA駐日代表のメラニー氏自らが被災地に赴き、7月24日に福島県相馬市の肉牛生産者に届けられた。また、8月2日には第2弾として岩手県陸前高田市と、福島県南相馬市にも届けられた。

メラニー駐日代表は、「日本が厳しい状況に置かれている今、同業者として援助の手を差し伸べるのは当然のこと。豪州肉牛生産者も、大震災と津波で東北の方々が被った甚大な被害に深く心を痛めており、慰めや励ましの言葉だけでなく、具体的な支援が何かできないかと考えていた。被災地の状況は5月の時点からさらに困難を極めているようだが、少なくとも私たちに今できることは被災地に乾草を届けること」と述べた。

陸前高田市出身の肉牛生産者の小沢睦子さんは、「国境を越えて差し伸べられた支援は、私たち東北の肉牛生産者を勇気付け、私たちが決して孤立していないことを気付かせてくれた。たいへん感謝している」と謝辞を述べた。

MLAは「いっしょにがんばろう、日本」活動として、駐日オーストラリア大使館らと協力して行った被災地への食糧支援のほか、快適生活研究家・田中ケン氏ならびにNPO「ピース・プロジェクト」が既に複数回にわたり実施している炊き出し、そして慈善バーベキューで集められた寄付金を元に被災地の学生のための奨学金を設立するなど、今後も被災地復興支援活動を引き続き実施していく予定という。

 


ボンダイ・ビーチで元気いっぱいに遊ぶ子どもたち

被災地の子どもたちがシドニーでホームステイ体験

被災地の中高生9人が8月初旬から2週間、シ ドニーを訪れた。日本のキリスト教教会をベー スとした団体「東北リリーフホームステイ」の支援によるもので、航空会社、豪州の教会などと協力して費用をまかなった。

9人はそれぞれに震災の傷を負っていた。親戚や友達を亡くした子、仮設住宅での生活を余儀なくされた子。震災後には当たり前のように死骸を見た、何時間も並んだのにお菓子1個しか買えなかったという話もあった。

オーストラリアではホームステイをしながら、英会話、ビーチや動物園でのアクティビティー、地元の人との交流会と元気いっぱい楽しんだ。

印象的だったことを聞くと、意外にも一様に「人」という答え。「出会う人が皆優しく迎えてくれて、とても嬉しかった」「同じ経験をした8人と出会い、友達になれたことが励みになった」。帰国時には皆帰りたくないと涙し、また日本で9人で会うこと、シドニーに戻ることを約束して帰っていった。

 

園児がチャリティー・コンサート
「キラキラ星」など日本の歌を合唱

シドニーのダーリング・ポイントにあるセント・マークス幼稚園で8月10日、七夕チャリティー・コンサートが開かれた。同園は各クラスで毎年支援する対象を決めて募金活動をしており、今年はその中の1つの3・4歳クラスが東北地方の被災した子どもたちを支援するためのコンサートを開いた。当日は多くの来場者の前で子どもたちが、英語の歌のほかに、「キラキラ星」「蛙の歌」を日本語で披露した。コンサートには、シドニーで活動する書家のれん氏も日本文化を紹介するための書のパフォーマンスを依頼され、ボランティア参加した。

同クラスは、震災発生後からコンサート開催に至るまでの5カ月の間に、手作りのビスケットや本のしおりを売ったり、チャリティー・バーベキューなどを行い、既に780ドルの寄付金を集めている。コンサート当日、先生がこのお金で何をしてあげたいか聞くと、子どもたちからは、「車を買ってあげたい」「木を買って家を建ててあげたい」「寿司を送ってあげたい」などいたいけで無邪気な答えが返ってきた。

同会に参加したれん氏は「日本の希望」「希望、勇気、強さ、愛、夢」の2つの大書を書き、園に進呈。「震災から5カ月が過ぎて話題が風化しようとしているこの時期に、日本人どころかアジア人もいないクラスの園児が、東北の子どもたちのために募金イベントを開いてくれるなど、本当に嬉しいこと」と語っていた。

 

【告知】

チャリティー・ジャズCDで復興支援

オーストラリアのジャズ・レーベル、ルーファス・レコードは8月、豪州で活躍するジャズ・ミュージシャンたちの心温まる演奏を収録したチャリティーCDを発売した。全25曲からなるこの2枚組CDは、CDショップ「Birdland」の店内またはウェブサイトで26ドル(この内10ドルが寄付)、またルーファス・レコードのウェブサイトで25ドル(この内5ドルが寄付)で販売されている。集まった寄付は日本赤十字社を通して被災地の復興支援に充てられる。

■Birdland
住所:Shop 3, Level 4, 428 George St., Dymocks Bldg., Sydney NSW
Tel: (02)9231-1188
Email: birdland@birdland.com.au
Web: www.birdland.com.au

■Rufus Records
Web: www.rufusrecords.com.au

日本の原子力エネルギー政策について講演
田中利幸・広島市立大学教授

元メルボルン大学政治経済学部客員、現在は広島市立大学広島平和研究所の田中利幸教授が9月25日、オイル・ショックや地球温暖化対策として、また政府や電力会社の安全神話キャンペーンにより推進されてきた原子力エネルギー利用の経緯とともに、今後のエネルギー政策の在り方などについて、シドニーで講演する。

8月には敷地内で毎時1万ミリシーベルト(10シーベルト)以上という超高濃度の汚染箇所も見つかり、福島第1原発では収束のための作業環境がさらに悪化している。メルトスルー、メルトアウトした燃料がどこまで落ちて行っているか誰にも分からず、もし水脈に触れたり、また残る格納容器内燃料や大量に保管されていた使用ずみ核燃料の温度が再び上昇する事態になれば、爆発の可能性もあると言う。

なぜ世界的な地震国であり、原子爆弾投下による唯一の被爆国である日本に、これほど多くの原発が作られたのか?そして日本のエネルギーの今後は?興味深い講演の収益は、経費を除き、福島の子どもたちのためのシドニー・ホームステイ・プロジェクトへ寄付される。

■田中利幸教授講演会
日時:9月25日(日)3:30PM〜5PM
場所:ドゲティー・センター(Dougherty Community Centre, 7 Victor St., Chatswood NSW)
参加費:大人$20(JCS会員、コンセッション$15)
※経費を除き、収益はすべて福島の子どもたちのためのシドニー・レインボー・ステイへ寄付される
問い合わせ
Email: yukikosal@yahoo.co.jp
Tel: 0414-758-295

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