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アンドリュー・ハスティー自由党下院議員

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政界こぼれ話人物編 その219

アンドリュー・ハスティー自由党下院議員
Andrew Hastie

WA州選出の自由党連邦下院議員であるアンドリュー・ハスティー(Andrew Hastie)は、1982年9月30日にVIC州のワンガラッタで誕生している(36歳)。ただ長老派教会の牧師であった父親の赴任に伴い、ハスティーはシドニーで幼少期を過ごしている。

父親及び祖父は名門校のシドニー・グラマー校の卒業生で、祖父は第2次世界大戦で勲章を受けた豪州空軍の将校であった。ハスティーも名門校のスコッツ校を卒業後、首都キャンベラにある豪州防衛大学に進学し、優等で卒業している。その後、同じくキャンベラの幹部学校を2006年に卒業し、豪州陸軍の将校となった。そして10年から5年間にわたって、世界的にも評価の高い豪州特殊部隊(SASR)の将校として、アフガニスタンを始めとする戦地に頻繁に赴いている。

さてWA州では15年の半ばに、カニング連邦下院選挙区を保持していた自由党のランドールが、突然心臓麻痺で逝去するという事件があった。その結果、同年9月に補欠選挙が実施されることとなったが、ハスティーは同選挙に出馬している。栄光あるエリート軍人のキャリアを捨てたのは、社会、国家に奉仕するという強い使命感を抱いていたハスティーが、人びとの生活に直接影響を与える政治の世界に、以前より関心を抱いていたからに他ならない。

ただ、補選ではハスティーの苦戦が予想されていた。その理由は、同選挙区を自由党が保持してきたのも、ランドールの地元での人気によるところが大であったからだ。しかも、補選が実施された週の初めに、自由党の「お家騒動」で、当時のアボット首相が失脚し、ターンブルが新首相の座に就くという一大政変が発生したからだ。

ただ、WA州のパースを本拠地とするSASRの元大尉、というハスティーの経歴が効いたのか、ハスティーは無事初当選を果たし、次の16年選挙でも再選を果たしている。陣笠議員ながら、議会の強力な情報・安全保障合同委員会の委員長の要職にある。

思想、信条だが、ハスティーは強硬右派に分類され、経済政策では経済合理主義者、社会政策では「超」が付くほどの保守派である。敬虔(けん)な長老派教会系のキリスト教徒で、ハスティーは天地創造説を信じていると見る向きもある。

人柄だが、何と言っても使命感に満ちた信念の人であり、勇敢で直言居士でもある。例えば中国に脅威感を抱いているハスティーは、昨年の5月に議場で、中国政府に近い、とかくの噂のある豪州在住の中国人実業家の、国連を舞台とした賄賂疑惑を取り上げて物議を醸したが、この爆弾発言は首相のターンブルにも事前に知らせずに行ったものであった。

ちなみに、ハスティーは思想上の類似性もあって、アボットの中核支持者の1人であったが、逆にターンブルには冷淡であった。現在は、WA州右派の大物のコーマン予算大臣に近い。家族は細君のルースとの間に2人の子どもがいる。

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