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旦那はオージー「「ハーフの子」はモデルになれる?」

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第57回
「ハーフの子」はモデルになれる?

【前回までのあらすじ】
極寒の北海道から、オーストラリアへ家族4人で移住。オージーの夫との一風変わった日常生活を綴っている。

話は私たちがまだ北海道に住んでいた15年前にさかのぼる。娘がまだ1歳になったばかりで、私は育児休業中でかなり雑誌や本を読みあさっていた時期だった。その中でも特に、ハーフの子どもがモデルとしてたくさんのっているファッション雑誌に、いつも心を奪われていた。

ある日、「ハーフの読者モデルちゃん募集」という記事を見つけて、東京の親戚の住所を借りて、応募したのだった。そして、見事に書類選考を通過!

東京の編集部から電話が掛ってきた。

「〇月〇日△時に都内の××公園まで来てください。大丈夫ですか?」と聞かれて、私は「ハイ、大丈夫です!」と都民のようなフリをしたのだった。読者モデルであるからモデル料などは出ず、雀(すずめ)の涙ほどの交通費が出ると言う。それでも、私は「可愛い娘を、世の中の人に見せたい」という、親バカそのものだったので、迷いはなかった。何せ当時の娘は、金髪に青い目、白い肌にほんのりピンク色に染まった頬が可愛い、白人そのものの女の子だったのだ(そのため、純日本人の私と歩いていると、顔を見比べられ、「え? この人が母親なの?」と表情で語る人が多かった)。

イラスト=たこり
イラスト=たこり (Web: takori.go-jin.com)

夫には「わざわざ飛行機代を掛けて、単なる読者モデルのために上京する」とは言えず、「貯まったマイレージを使って行くのでお金は掛からないから」と説得して、東京行きのチケットを取った。

しかし待ちに待った出発日の前日に、何と娘は高熱を出してしまった。「明日になったら、きっと良くなるはず」と思ったが、回復せず。熱がある娘を飛行機に乗せて東京まで行くわけにはいかない。上京を断念したことを伝えると、夫は「それが良い。だいたい、娘をモデルにするつもりもない」と言われてしまった。

「娘をモデル・デビューさせる」という私の野望は、泣く泣く断念せざるを得なかった。ところが今では、「なぜ当時はそんなアホなことを考えていたのだろう?」と思っていることを付け加えておく。


ポップ登美子
北海道札幌市出身。オージーの夫と2人の子どもと共にノーザン・テリトリーに在住中。本紙コラムの他にも、「地球の歩き方」海外特派員などでのフリーランス・ライターや日本語ガイド、日本語教師としても活躍中

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