オーストラリアの森や茂みによくいるマダニに何度もかまれ、獣肉アレルギーを発症したことを以前書いたが、危険生物は他にもいる。私が暮らすサウス・コースト地方の田舎町ではアリやヘビの危険が身近だが、ヒルやカメムシにも注意が必要だ。危険生物と共存する田舎暮らしの中で、時にかまれ、逃げ、身を守りながら学んだ対処法を記録しておきたい。(文・写真:七井マリ)
危険なアリの跳躍と攻撃
ブル・アントを初めて見た時、その大あごはまるでクワガタムシのようだと思った。オーストラリアに約40種が生息するキバハリアリ属のブル・アントという通称は、ブルドッグのような獰猛さに由来する。体長は最大4センチで、羽のないスズメバチのごとき存在感だ。
我が家の周辺では、オーストラリアン・ジャンパー・アント(Australian jumper ant/和名:タルサータキバハリアリ)という3センチ弱のブル・アントをよく見掛ける。巣を守る本能が強く、近づくものを敵と見なして素早く距離を詰めてジャンプし、攻撃に出る。ブル・アントの攻撃は、大あごでかみ付き、お尻の毒針で刺すという2段階式。毒針で刺されるとアナフィラキシー・ショックを起こす可能性もあるが、大あごでかまれるだけなら幾分ましだといわれる。
それでもかまれた瞬間には激痛が走り、かみ付く力は非常に強い、とは草刈り中にブル・アントの攻撃を受けた私のパートナーの弁だ。厚手のズボンの上から太ももをかまれ、他の個体の攻撃を避けるために慌ててその場を離れつつ、毒針で刺される前にどうにかアリを払い落としたという。
かまれてすぐは点のような傷があるだけだが、半日から1日経つ頃には咬傷を中心に直径10センチほどが腫れ上がり、熱を帯びて痛みも生じることがある。手の甲をかまれた時は左右で手の大きさが違ってしまうほど腫れた。症状のピークは2日で過ぎたものの、もしかまれたのが小さな子どもやペットだったらと思うとぞっとする。とはいえ住まいを守るアリの道理も理解できるので、巣穴がありそうな場所には近づかず、1匹でも見つけたら用心するのが賢明だ。
臆病な赤腹の毒ヘビ
玄関から出た瞬間、視線の少し先で黒く長い曲線が動いた。ねじれた自転車のタイヤのチューブのように見えたそれはレッドベリード・ブラック・スネーク(red-bellied black snake)だった。マットな光沢感のある黒い背中と、鮮やかな赤い腹。オーストラリア東岸の北から南まで広域に生息する毒ヘビだ。
反射的に声を上げて走って逃げた私にヘビは慌てふためき、Uターンをして茂みの中に消えていった。レッドベリーやブラック・スネークの呼び名で知られるこの毒ヘビは決して獰猛ではなく、人の気配がすればたいてい身を隠してしまう。かみ付くのは、人がヘビに危害を加えたり不意に驚かせたりした時だ。それ以降も何度か家の周りで日光浴をしているレッドベリーを見掛け、そのたび迂回して歩いたが、ここ数カ月は姿を見ない。
幸いここは、イースタン・ブラウン・スネーク(eastern brown snake)やコモン・デス・アダー(common death adder)などの攻撃的な毒ヘビの縄張りではないようだ。オーストラリアでは家の周囲で毒ヘビを頻繁に見たらヘビ駆除業者に依頼し、離れた場所に移動してもらうのが良いと聞く。ヘビはネズミを食べるため人間の暮らしに有益な生物でもあるので、程良い距離感を保てるといい。
ヒルが残す視覚的なインパクト
雨が降ると大小さまざまなヒルが出る。ヒルは基本的に毒を持たない吸血動物だが、ぬめりのある筋肉質な体や張り付く力の強さは気味が悪い。小雨の日には敷石の上で背伸びするように直立して獲物をねらっているし、雨の翌日や森の中の湿った地面にもいるので油断ならない。庭仕事の後で、靴下の編み目から中へ入り込もうとしていたヒルを見つけたこともある。
オーストラリアのヒルは黒を基本にオレンジや青っぽい個体もいて、サイズは1センチ弱から20センチまでと多様だ。やっかいなことにこの危険生物は敏捷で、ひざ丈の長靴をあっという間に登ってくる。駆除が必要な時は払い落としてから塩を掛けると良いと聞く。
ある雨上がりの夕方に、3分で済むからと裸足にサンダルで家の外にハーブを摘みに出たのがいけなかった。夕食後、ふと足が濡れているような違和感をおぼえて視線を落とすと、左足のつま先が真っ赤に染まっていた。鮮血の中にいた極小のヒルをつまみ取って捨て、見えないほど小さい咬傷を念入りに洗った。駆除後も少しだけ出血するのは、ヒルが分泌するヒルジンという物質のせいで一時的に血液が凝固しにくくなるからだ。痛みはないものの、遅発性のかゆみを伴うことと、吸血された時の視覚的なインパクトがしばらく脳裏に焼き付くことが難点だろう。
カメムシ退治は「目に注意」
この辺りによくいるカメムシは、日本で見たカメムシの2倍近いサイズ。カメムシが身を守ろうとする際に放つ悪臭も日本のものとは違うが、オーストラリアでも「stink bug(臭い虫)」と呼ばれるだけあって鼻を突く臭いには変わりない。
春から夏には庭のグレープフルーツの木に続々とカメムシが集まるので、葉や花の食害を減らすためにいくつかを長い棒で叩き落とす。地面に落ちたカメムシに、ペット兼採卵用のニワトリが嬉々として駆け寄る。人間にとっては臭い虫だが、ニワトリにはおいしい虫であるらしい。
当地の人びととカメムシの話をすると、危険だから目に気を付けて、と必ず言われる。カメムシの分泌液は強い刺激があり、目に入ると炎症を起こすという。肌に付くとやけどのような症状を引き起こすことも知り、カメムシ対策には作業用ゴーグル、帽子、長袖シャツがセットになった。
柑橘の木のカメムシを棒で叩き落とさずとも、農薬や殺虫剤を使って防除する方法も存在する。環境負荷が少ない天然成分で作られた忌避剤も売られている。ただ、病害虫を寄せ付けないための完全な対策が今の暮らし方に必要かと問われれば、そうでもないというのが率直な心情だ。虫や動物の食料が少ないせいで果樹の葉や実を食べるのだとしたら、分け合って正解かもしれない。危険生物や自然の脅威を克服するのでなく、できるだけ共存する道を模索しながら折り合っていけたら、それが私にとってあるべき形のような気がする。
著者
七井マリ
フリーランスライター、エッセイスト。2013年よりオーストラリア在住