ホテル隔離ルポ、シドニーから東京へ(3)
──強制隔離いよいよ終了、隔離終了までの流れとその後
(文・写真:馬場一哉)
空港到着後、行き先を知らされぬままバスに乗り込み、到着したのはまさかの実家至近のホテル。デリバリーやネット・ショッピング、差し入れなどを駆使しつつ強制隔離は無事終了した。隔離終了までのプロセス、及び終了後の移動などについて最後のレポートをお届けしていこう。
搭乗便に陽性者が出たら隔離延長
隔離期間中は3日、6日、10日目と一定期間ごとにウイルス検査が義務付けられており、僕の場合は6日隔離のため3日、6日目と計2回検査を行うこととなった。
「隔離施設での検査」と聞くと、多少大げさな絵を思い浮かべる人もいるかもしれないが、実際は、誰かと対面するようなこともない非常にシンプルなものだ。
検査の流れ
検査該当日、朝6時になると検査キットがドアノブに掛けられる
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キットを回収し、中に検体を入れる容器と漏斗が入っていることを確認
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容器に唾液を一定量まで入れる
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検体を入れた容器のみ袋に入れドアノブに掛ける
空港到着時の検査で既に陰性という結果は出ているため、ほとんど心配する必要はないのだが、仮に陽性反応が出てしまった場合、強制隔離期間が14日間に延長されることになる(元々の期間を終えた後、別の施設へと移される)。また、自身は陰性であっても搭乗していた飛行機から陽性者が出た場合、濃厚接触者扱いとなり隔離期間延長となる。ちなみに検査結果が陽性だった場合は部屋に連絡が入るが、陰性だった場合、特に連絡は入らない。
そのため3日目の検査日、僕は夕方くらいまで1日中もやもやした時間を過ごすことになった。結局夕方暗くなっても連絡はなかったため陰性は確定したと判断した。
この時点で出国時間72時間以内のオーストラリアでの検査、羽田空港到着時の検査、そして隔離3日目の検査と既に3度の検査をパスしていることになる。陰性のお墨付きを3度連続で頂き、かつホテルの部屋から一歩も出ずに過ごしている自身の状況。それを鑑みるに「もはやこれほど安全だと保証されている人間は他になかなかいないのではないか。そういうわけで諸君、そろそろ私をここから出してくれ」と声高に主張したくもなるが、隔離期間が3日に縮まる直前に入国してしまったのは自身の間の悪さ(僕が入国した数日後、オーストラリアNSW州からの入国者の隔離期間は3日に短縮された)。ただ、隔離ライフも特に大変なのはリズムを作るまでの最初の1〜2日。3日目の折り返し地点を過ぎる頃には多少、楽しむ余裕も出てくるものだ(第2回レポート参照)。
隔離ホテルを後にし、羽田空港へ
さて、いよいよ6日目の退所日。朝食を食べ終わるとさっと部屋全体を掃除。ハンドタオルもバスタオルも布ではなく使い捨てのものが用意されていたため、水回りを拭き洗いしタオルごとゴミに。余った差し入れなどをバッグに詰め、最後のパッキングを終えるとあとはもう退所を待つのみ。
3日目の検査では陰性だった場合には連絡が入らなかったが、この日は退所時間の連絡が入ることになっている、
今か今かと待ち受けていると、午後1時過ぎに電話が鳴った。
「バスの時間が確定しました。午後3時出発です。密を避けるため退館の時間を細かく指定しております。午後2時45分になりましたらロビーまでお越し下さい」
いよいよ退所の時が来たのだ。僕はこのタイミングで記念に食べようと思っていた「寿」の印字がされたなるとの入ったインスタント・ヌードルを食すべく、お湯を沸かした。「寿」の意味など細かいツッコミはさておき、「寿退所」というわけだ。麺をすすりながら6日間の強制隔離期間について思いを馳せる。
確かに最初はしんどさが勝っていた。だが、制限ある中でも工夫をこらし、隔離ライフの質向上を図った数日間はなんだか少し楽しくもあった。もう一度と言われればもちろんNOだが(笑)、なかなかできない経験として決して無駄ではなかったと思っている。
午後2時45分、ロビーに降り貸与されていた体温計とホテルのカードキーを返却。手続きはあっけなく終了し、バスに乗り込むことになった。バスは定刻を多少過ぎ午後3時5分ごろホテル前を出発した。
東池袋の入り口から首都高に乗り、行きとは逆ルートで羽田空港へと向かう。繰り返すが滞在ホテルのあった場所は皮肉にも僕の実家近くで、羽田到着後、僕は再びここに戻ってくることになる。
首都高速に乗るとほどなく、同じく近くにある妻の実家の裏を素通り、その後僕の実家のマンションが立ち並ぶ大通りの上を通り、その後、ビルとビルの隙間から実家の姿を臨むことができた。
6泊7日のホテル滞在を終え、空港へ向かう道すがら遠ざかっていく実家の姿を眺める。その状況は、どちらかといえば旅の終わりのそれに近い。
首都高から都心の街並みをじっくりと目に焼き付ける。普段は運転しながら通るため、首都高から景色をじっくり眺める機会などそうそうなかった。間近に見えるオフィスビルの中には、たくさんの人がそれぞれの仕事に邁進している姿を垣間見ることができる。改めて上から眺める東京の街は、実に精巧に作られたジオラマのようで、いくら眺めていても飽きることがない。レインボーブリッジの姿が遠巻きに見えてくるといよいよ東京湾。羽田空港はもう間近だ。
1週間、ホテルのみの滞在だったが最後に楽しく東京観光をすることができた。そんな感傷に浸っているうちバスは空港へと到着した。
さて、正気を取り戻そう。旅の終わりの感傷のようなものに浸ってはみたものの、僕はまだここにきて何もしていない。ただ、一度日本への滞在を終えて帰国するような感傷に浸ってから、改めて自由の身になって東京の町に戻るという意図なき演出はなかなか悪くなかった。実家近くのホテル滞在、その後羽田へと戻され、また実家へと帰る。非効率ではあったものの、無駄から得られたものもまたあったと感じている。
空港内でオープンしている店舗はわずか
さて、先程「自由の身」と書いたが、あくまで強制隔離からのリリースであり、自主隔離はまだ続く(トータル14日のため残り8日)。海外からの帰国者は次の待機拠点(僕の場合は実家)への移動に際して公共交通機関を利用することは禁止されている(詳しくは以下のリンク参照を)。
■羽田空港(交通手段に関して)
https://tokyo-haneda.com/information/2021/detail_00011.html
■成田空港(交通手段に関して)
https://www.narita-airport.jp/jp/news/corona_publictransport
バスを降りた後、どの程度行動の自由があるかはその時になるまで分からなかったが、解散後、特に制限・監視されるようなことは何もなかった。つまり、迎えなどが来るまで、空港内は自由に動けるわけだ。それまで厳しく行動制限されていたこともあり少々拍子抜けすると共に、不特定多数の人々との接触が必然的に生じるため強制隔離した意味がなくなってしまうのでは、などとの疑問も生じたが本記事の趣旨ではないのでここでは突っ込むまい。
さて、僕の場合は、妻がカーシェアリング・サービスを利用して車で迎えに来てくれることになっていたが、車の空きの関係で到着は午後7時頃になるとのことだった。空港到着後、改めて時計を見ると午後4時。なるほど、3時間もある。妻からは「待たせることになってごめん」と言われたが「なに、もう6日も待ったんだ。誤差の範囲だよ。ゆっくり気をつけておいで」と寛大に答えておくことにした。
その実、僕は空港内の飲食店でゆっくりと寛ぐ時間を楽しみにしていたのだ。なにせ6日間、ホテルの部屋から一歩も出ていなかった身である。6日間、お酒も飲まずじっと我慢した身である。おつまみを肴にビールで出所を盛大に祝いたいではないか。お酒を飲みながら好きな本を読んでいれば3時間なんてあっという間だ。
というわけで、むしろ長い待ち時間は歓迎すらしていたのだが、空港内を歩き回るうち、そんな気楽なことを言っていられない現実に直面することになった。なぜなら多くの店がシャッターを閉じていたからだ。
ただ、幸いにも寿司、おでんのお店など、いくつか空いているお店を発見できた。ただ、利用者の多くは空港職員などで、僕のようにゆっくり店で滞在を楽しもうと考えているような変わり者はほぼ皆無だった。久々のビールはおいしく、つまみに頼んだおでんも美味だったがなんとなくあまり長居はできないなと感じ1時間で退店した。その後、空港内のベンチで本を読みながら妻の到着を待つこととなった。
水際対策に関わる勤勉なスタッフたちに敬意
到着時の空港、隔離ホテル、各現場ではたくさんのスタッフの方たちが夜遅くまで働かれていた。隔離生活をする僕たちももちろん大変ではあるが、それを献身的に支えるスタッフの方々の姿を見るにつけ、僕は「やはり日本人は真面目で実直で勤勉だな」との思いを深めた。
もちろん、各スタッフそれぞれ胸の内に思うところはあるだろう。激務に文句を言いたくなることもあるだろう。それでも嫌な素振りを微塵も見せず、時には笑顔で接してくれる姿に、心静かに関心させられていた。
また、面白いなと思ったのが、それぞれのセクションでスタッフの方々の属性が明らかに異なっていた点だ。バスへの案内、ドライバーなどバス周りのスタッフはバス会社関係者、あるいはその関係筋から派生して集められたであろう中年男性が多く、一方、隔離ホテルのスタッフは年齢、国籍など含めて多様なバックグラウンドを持っている人々が多かった。仕切りは旅行代理店やホスピタリティー業界だろうか。スタッフにはテンポラリー雇用の人々もきっと多くいるのだろう。
一方、空港内の対応スタッフのほとんどがおそらくは20代前半〜中盤、あるいは学生かと思われる若い女性で、皆、黒髪で何となく同じセグメントに含まれる方たちのように見受けられた。航空業界の若手の女性たち、あるいはその卵かなどと推察。
空港、移動のバス、隔離ホテル、それぞれ水際対策に関連して動員され、役割をまっとうすべく奮闘するスタッフの方々。彼ら、彼女らがどのような思いでこの特別な業務に従事し、また、何を感じているのか。現場の実際をじっくりと取材してみたら、いろいろな課題がそこから浮き彫りになってくるに違いない。
隔離される側であった僕からのレポートは以上で終了となるが、もし運営サイドのスタッフでお話をお聞かせ頂けるような方がいれば遠慮なく、弊社編集部宛に連絡頂ければ幸いだ。
本記事がこれから隔離を経験される帰国者の方々にとって、少しでもお役に立つことを願っている。
P.S. 隔離中、日本のニュース番組やワイドショーなどを観る機会が少なからずあったが、隔離期間に関して「3日、6日とかごちゃごちゃ言わず、どうせなら全員6日とかにしちゃえばいいんですよ」という発言を耳にした。水際対策の徹底という観点では確かにそうなのかもしれないが、その渦中にいる当事者としては少々複雑な気持ちになった。ものごとというのは意外にちょっとした発言で決定してしまうこともあるのだ。
(了)