豪州で活躍し、日本とゆかりのあるビジネス・パーソンに話を伺うシリーズ、第1回はシドニー南西地域で不動産開発事業を展開している準大手キャッスル・グループ(Castle Group)の社主、及び最高責任者であるリッチー・ペレラ(Ritchie Perera)氏にご登場願った。シドニー、バランガルーの59階にある同氏のアパートにお邪魔して話を伺った。
(撮影:馬場一哉)
──キャッスル・グループは2007年に設立されたシドニーを拠点とする土地開発会社ですが、14年から土地分譲事業に注力、24年末までに約10億ドル規模の開発を完了させる予定と聞いております。リッチーさんが同事業を立ち上げられたきっかけをお聞かせください。
ご承知のようにオーストラリアの人口は移民政策により毎年増加しています。特にオーストラリアの都市部ではその増加に伴う住居の需要に供給が間に合っていません。その点は、2007年にキャッスル・グループを立ち上げる以前から注視していました。キャッスル・グループは、オーストラリアの遠隔地で働く鉱山会社の従業員のための宿泊施設を建設することから始まり、2014年に初めての分譲地を購入した時から、住宅開発事業に着手して来ました。私たちのシドニー北西部への投資の成果が出てきているということだと思います。
──2025年から32年までに約20億ドル規模の開発を行い、シドニーに2000戸以上の住宅の供給を実現させるそうですね。ここ10年で急成長し、今の地位を短期間で築かれたのは驚きです。
この10年間で50以上のプロジェクトを手掛けるなど、急速な成長をしてきたのは確かです。キャッスル・グループとして、昨年1年間だけでも、約4億ドルを超える住宅用地を購入しました。
── 日本の大手企業と初めてのジョイント・ベンチャーを立ち上げたと聞きました。
これまで多くの国の人びととビジネスをしてきましたが、日本企業と土地の共同開発をするのは初めての経験でした。日本人は大変誠実で、人との関係を非常に大切にするという印象を受けました。その姿勢は私の価値観にも近く、非常に共感できました。ジョイント・ベンチャーを立ち上げる場合、まずは良好な人間関係を築き、相手を見極めた上で、ビジネスを進めていくことが重要です。今回接した日本のビジネスマンは、皆さん勤勉で、真面目な方々で、信頼に値すると感じました。今後も日本企業と一緒に仕事ができる機会を作っていきたいと思っています。妻が日本人ですし、これからもより一層日本の文化に接し、いろいろな経験を積んでいきたいと考えています。
12歳の時にスリランカから移住━学問を重視する堅実な家庭で育った
── リッチーさんのバックグラウンドについてお聞かせ下さい。
私がオーストラリアに来たのは1987年、12歳の時でした。スリランカから家族でオーストラリアに移住して来ました。父親はエンジニア、母親はマッコーリー大学の教授で、学問を重視する堅実な家庭で育ちました。私自身は若いころからとにかく行動力にあふれていたと思っています。いろいろなビジネスのアイデアを考えるのが好きで、19歳の時には既にビジネスを始めていました。
──当時はどのようなビジネスをされていたのですか?
小さい時から人を喜ばせたり、楽しませたりするのが大好きでしたので、学生を対象にしたダンス・パーティーやクルーズなどのイベントを企画する仕事を始めました。幸いなことにこれらのビジネスはかなり成功し、20代前半には年収が多い時には30万ドル位まで伸びました。その頃には、音楽・ファッション・ライフスタイル・マガジンの発行なども手掛けました。
そんな中、母に連れられてアンドレア・ボチェッリのコンサートに行ったことがきっかけで、有名エンターテイナーを扱う大規模な興行事業に乗り出すことにしました。訪れたコンサートのチケット代は、1枚200ドルほどと高価でしたが、会場を見渡すと満席。その時、「私もこんな仕事をしてみたい」という意欲に駆られたのです。その後、初めてコンサートをプロモートしたのは25歳位の時でした。以降、オーストラリア各地で50回以上のコンサートを開催し、最高動員数4万人以上のイベントも開催しました。
もちろん、アップダウンはありましたが、マライア・キャリーやアンドレア・ボチェッリをはじめとする世界的に有名な歌手・エンターテイナーを数多くオーストラリアに招くことができました。事業としては、成功を収めることができたと思います。また2003年には、アジア系オーストラリア人の若者向けのナイトクラブもオープンさせました。
── 土地開発事業を始めたきっかけは何だったのでしょう?
イベント・ビジネスに少し飽きてきたころ、ある程度の資金もでき、その資金をどのように生かそうかと考えていました。2014年当時、政府のシドニー・ノースウェスト地域への新たな鉄道路線の普及、学校や病院を含む大規模なインフラ整備計画の発表など、私はシドニー北西部の急速な発展を目の当たりにしていました。その頃すでに日本企業を含む大手の開発業者は、近隣の土地開発を進めていましたし、私も土地開発事業への投資を始める決意をしました。2026年9月のシドニー新国際空港開港に伴い、鉄道路線や高速道路など、政府によるさらなる大規模なインフラ投資が始まっていることもあり、当社としても現在シドニー南西部の土地取得に注力しています。ちなみに、2014年にリバーストーン郊外の私の2番目の開発プロジェクトには、リッチー・ストリート(Ritchie Street)という名前の通りもあります。
──興行事業からはすっかり足を洗ってしまったのですか?
興行事業は卒業しましたが、ホスピタリティーは私の好きな分野なので、現在もシドニー市内にアジアンのレストランを6軒経営しています。最近ではジョージ・ストリートに飲茶の店をオープンしました。また、現在大規模な再開発が行われているシドニー ・フィッシュ・マーケットにもレストランをオープンする予定です。
「妻のおかげでコロナ禍を乗り越えることができた」
── キャッスル・グループの将来の計画についてお聞かせください。
2032年までに約20億ドルのプロジェクトの実現を予定しており、より多くの日本企業と提携していきたいと考えています。特にシドニー南西部には新しい国際空港が完成間近で公共交通機関も建設されており、多くの開発機会があると考えていますが、オーストラリアの他の地域においても積極的に開発の機会を探っています。現在は新たな従業員も増員し、100万ドルを超える投資など、事業成長戦略を実行しています。
──キャッスル・グループの成長は順風満帆に見受けられるのですがいかがでしょう?
いえ、やはり苦労もありました。不動産市場が2018年から19年にかけて減速した直後にCovid-19が発生し、政府によるコロナ政策が導入されてしまい、住宅用地の売れ行きが全くと言っていいほど止まってしまいました。しかし、人件費や銀行への支払いは続けなければなりません。その厳しい状況を乗り越えられた背景には、それまでに築き上げた信頼に基づく人間関係がありましたが、精神的にはかなり辛かったです。その時、一番の支えになってくれたのが、妻のはるなの存在です。当時まだ結婚はしていませんでしたが、彼女はどんな時でも私を信じ、強い気持ちでそばにいてくれました。だから私は頑張ることができたのだと思います。結婚前、私の母から「はるなはとても芯の強い良い子だから、大事にしなさい」と言われていました。本当に、はるなには今でも頭が上がりません。
━━奥様との出会いで日本との関わりも深くなったと推察しますが、日本訪問の際、最も価値を感じたことは何でしたか?
長年にわたって古くからの価値観を美しく保ち続けている日本の洗練された文化に深く感銘を受けました。他者への尊敬、礼儀正しさ、謙虚さ、強い責任感。その背景には伝統への尊重が常にあります。日本人の細部へのこだわりは世界の中でも群を抜いていると思います。特に驚いたのは、すばらしいサービスを提供した後でもチップを受け取らないという習慣です。誇り、尊厳、そして質へのこだわりがあるからこそなのだと思います。
━━奥様のご実家は大阪だと伺っております。
ええ、大阪を訪れるたび温かいおもてなしを頂いております。実は妻の叔父は、大阪で居酒屋を経営しているのですが、そこで過ごす時間は本当に心地よく私はいつも楽しみにしています。これまで、大阪、京都、東京を訪れる機会に恵まれましたが、それぞれの都市がすばらしい体験を提供してくれました。大阪は私に家庭的な暖かさを与えてくれ、東京では最先端の革新やエネルギー、そして何よりその規模の大きさに感銘を受けました。また京都は街の静かな美しさ、豊かな歴史、そして深い伝統を与えてくれました。次に日本を訪れるのが本当に楽しみです。
大切にしている思い
──頂いたメールの末尾に「Try not to be a man of success but a man of value. Albert Einstein (成功者になるのではなく、価値のある人間になれ=アルバート・アインシュタイン)」と書かれておりましたが、これはリッチーさんのモットーといって差し支えないですか。
ええ、ただ「価値」は他人が決めるものではありません。自分自身で基準・目標を作り、それを常に全うしていく努力をし、結果を残す事が重要です。それによって自分にとっての真の価値が作れるのです。利潤の追求だけをビジネスの目的としてしまうと、そのビジネスの真の価値が否定されてしまいます。人間の価値は持っている資産などでは測れませんから。
信頼できる仲間を集め、共に、プライドを持って一所懸命良い仕事をすることにより、達成感を味わうことができます。そして自分自身の幸福もつかむことが可能になると思います。毎日忙しいですが、私も常にさまざまな目標に向けて楽しんで仕事に励んでいます。それが結果としてビジネスの成功につながってきたのです。
── 多くの慈善事業にも貢献されておりますね。
社会に還元するというのは、私にとって非常に大事なことです。この価値観は私の両親から受け継いだものです。生活に余裕がない時期でも、両親は定期的にチャリティーに寄付をしてきました。そして私も2014年にペレラ財団(Perera Foundation)を設立し、過去10年間に200以上の慈善団体に170万ドル以上を寄付してきました。今後、オーストラリアの学生が日本で、また、日本の学生がオーストラリアで学べる機会を増やすために、この財団を通して奨学金制度を設けたいと考えています。
──本日はお忙しい中誠にありがとうございました。これからの活動も期待しております。
(2024年9月18日バランガルーで)