出倉秀男の日本料理と歩んだ豪州滞在記
~オーストラリアでの日本食の変遷を辿る~
其の参拾八
「フュージョン ・スタイル」 の始まり
1980年代 後半、それまで人気だったオーソドックスな料理から、多国籍文化の中で生まれてきたフュージョン・スタイルという新しい流れを感じられるレストランが増えました。若いシェフたちが、オーストラリアの持つ独自性を生かし、更にエスニックなエッセンスを取り入れ、自由な発想と高いセンスで、レストラン業界に旋風をもたらし始めたのです。
同時に、オーストラリアのフード・メディアやホスピタリティ・インダストリーは、国内でのスター・シェフ誕生の土壌を育みました。各々、独自性のあるメニューでシェフ同士を競い合わせ、オーストラリアのフードシーンを盛り上げ、後にオーストラリアのシェフが世界でも注目を浴びる時代がやってきました。
そのシェフの1人が、みなさんもよくご存じの日系オーストラリア人の和久田哲也氏です。彼は師匠の故トニー・ビルソン氏から学んだフレンチの手法を土台に、日本料理のアクセントを加えた独自のジャパニーズ・フレンチ・フュージョンを生み出し、それをDegustation(会席料理のメニューの流れを取り入れたお任せのコース料理)として発表しました。そして、このスタイルがオーストラリア富裕層のグルマンたちから絶賛され、世界へと飛躍するきっかけとなりました。
短い修行期間にも関わらず、彼が持つ繊細なセンスとビジネス・マインドはここオーストラリアで新しいウェーブを創り出し、メデイアは一様に驚きを持って迎えました。数多くの賞を獲得し、更にはOrder of Australia(OAM)という国家勲章を授与。OAMを獲得した初めての日系人であることに加え、料理人というのも初めてのことで非常に喜ばしいことでした。
シェフの仕事は、体力はもちろん、精神的にもタフなもので、その上、ビジネス手腕が問われます。気力とプライドを保ち続けるのは簡単ではありません。しかしながら、ものを作り上げ、提供し、その喜びを分かち合う、こうした人との関わり合いは、シェフだからこそ味わえるものでもあります。我々の作り上げる料理が文化の向上に貢献することが、オーストラリアで認識され始めたことはとてもうれしいことでした。和久田氏は、NYタイムズが選ぶ「世界で最も影響のある100人」のにも選ばれるなど、常に注目を浴びています。
また、当時 、オーストラリア国内の料理人たち、西洋とアジアの融合料理を成功させたニール・ペリー氏(ロックプール・グループ)、オーストラリアに合うフランス料理を作り上げているカナディアン・フレンチのサージ・ダンセロウ氏(べイザーズ・パビリオン)たちの活躍が、目を見張りました。
90年代に入ると、この3人以外にも、数多くのシェフが誕生し、オーストラリア料理界に旋風を巻き起こしました。そして、海外からの輸入食材、キャビア、フォアグラ、トリュフ、高級ワイン、更には日本食材の輸入を含め、ビジネスも拡大するなど経済に貢献しながらブームを作り出してきました。
このあたりの状況をより詳しく知りたい方は、機会があれば「How Australian Cooking became the world’sbest」(by Stephen Downes、Allen & Unwin)を読んでみて下さい。
出倉秀男(憲秀)
料理研究家。英文による日本料理の著者、Fine Arts of Japanese Cooking、Encyclopaedia of Japanese cuisine、Japanese cooking at home, Essentially Japanese他著書多数 。Japanese Functions of Sydney代表。Culinary Studio Dekura代表。外務省大臣賞、農林水産大臣賞受賞。シドニー四条真流文芸師範、四條司家師範、全国技能士連盟師範、日本食普及親善大使