出倉秀男の日本料理と歩んだ豪州滞在記
~オーストラリアでの日本食の変遷を辿る~
其の四拾
名日本人シェフを数多く排出した第二世代
1990年代後半から2000年に向けてシドニーにおける日本料理店は増え続け、大型店への投資も活発で、日本食業界は盛り上がっていましたが、同時に、その明暗が分かれる時代へと突入しました。私は、「我が道を行く」で、与えられた仕事を地道に続けていました。
昨年、SBS日本語放送のインタビューを受けた際、私の紹介の中に「オーストラリアにおける日系第一世代シェフ」という言葉が使われていました。今、20代、30代で活躍されているシェフ達は、第3世代に入るようです。面白い定義だなと思い私なりに分けてみました。
第一世代:85年以前、和食がマイノリティ、専門の料理人が少ない時代
第二世代:85〜05年、ビザのカテゴリーで料理人の受け入れが増え、ワーキングホリデーなどで長期滞在者が増えた時代
第三世代:05年以降、その数が増え、特徴としてオーストラリアでホスピタリティ・インダストリーの勉強をする人が増えた
今回、紹介するのは、第二世代。優秀で多様な経験を積まれた日本人料理人の方々がシドニーへとやって来た時代です。現在はチフリー・スクエアのレストラン「東」のオーナーシェフで、当時は「勇」の料理長をされていた東氏。かつてANAホテルの「雲海」レストランからスターダムへと登りつめた三浦氏。現在はシドニーのクラウン内のNobuで「YoshiiOmakase」で話題を提供する「鮨吉井」の吉井氏。現在も独自の日本食ビジネスを展開されている「ゴールドクラス達磨」のオーナー静氏。「鱒屋グループ」を経営されている定松氏。更には日本でフレンチ、イタリアンなどの経験を積まれた若いシェフが注目を浴び、その中にレストラン「楽」の犬飼氏がいらっしゃいました。
サントリー・レストランの閉店と共にオーストラリアに残ったシェフたち、皆さんの活躍も忘れる事はできません。第一世代から第二世代への移行と共に新たなトレンドが見られ、現在の第三世代の人たちにつながる礎を築かれました。
そして、1988年「美味しんぼ」(1983年開始のロングランのグルメ漫画本)の原作者、雁屋哲氏が日本からシドニーへ本拠地を移され執筆活動に邁進、「究極の味」という言葉を流行らせ一世を風靡しました。何と言っても30年以上、情熱を掛けて大作を作られた原作者の雁屋先生は相当な食への洞察力と愛情を持つと共に、人間の可能性を見抜く洞察力と文才をお持ちで読者を虜にしました。
「美味しんぼ」の中では、シドニーで活躍される日本人シェフを巡るエピソードもあり、多くの若い人たちがシドニー、オーストラリアに興味を持ったかと思います。もしかすると、第二世代、第三世代のシェフの中には美味しんぼの影響でオーストラリアに可能性を求めて渡って来られた方がいらっしゃるかもしれませんね。今は情報社会となり、我々第一世代の頃とは比べ物にならないほどスピードと流通面での便が整いました。
しかしながら、昨今、ビジネスを立ち上げ、運営することはますます複雑になってきたように思われます。更に昨年は予期せぬコロナ禍による不安な日々も送りました。未だ見えぬ未来ですが、世代を超えて、それぞれが生活を豊かにする料理人を目指し、活躍されることを願っていますし、私もそうでありたいと思っています。
出倉秀男(憲秀)
料理研究家。英文による日本料理の著者、Fine Arts of Japanese Cooking、Encyclopaedia of Japanese cuisine、Japanese cooking at home, Essentially Japanese他著書多数 。Japanese Functions of Sydney代表。Culinary Studio Dekura代表。外務省大臣賞、農林水産大臣賞受賞。シドニー四条真流文芸師範、四條司家師範、全国技能士連盟師範、日本食普及親善大使