出倉秀男の日本料理と歩んだ豪州滞在記
~オーストラリアでの日本食の変遷を辿る~
其の四拾四
日本料理の奥深さを伝える「庖丁式」
日本では太陽、月、山、川、岩、生き物などあらゆるものに神が存在するとされています。風、雷、火や火山など自然界の力を起こす神などをはじめ「八百万の神」が万物に宿っているとされ、私の親の家や店にも、かまど(台所)の神様として荒神さまが祀られていました。自然と手を合わせ、感謝する機会も多くありました。
日本料理にも、日本料理の神を祀る神社があります。景行天皇(12代天皇)が、息子の日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の東国平定の事績に際し、安房国(あわのくに)に行幸された折、侍臣の磐鹿六雁命(イワカムツカリのミコト)が、ハマグリを採り膾(なます)にして出しました。天皇は、その料理の技を厚く称され、膳大伴部という役職、今でいう、宮内庁の大膳課、天皇の料理人としての役職を与えられました。その後、日本の調味料の基礎となる、漬物、味噌、醤油、塩辛などの基礎を作り上げ、その業績が料理の祖神とされる由縁となりました。
磐鹿六雁命が料理を披露したとされる場所には、磐鹿六雁命を祀る高家神社(千葉南房総市)があり、その子孫である高橋氏による高橋神社が、栃木県小山市や奈良県奈良市などにあります。同地では調理師関係者からの信仰を集め、包丁供養などが行われています。
その後、料理に造詣が深かったと言われる48代・光孝天皇(830~887年)の下、四條中納言藤原が、日本料理を極め、宮中行事の1つとして「庖丁儀式」を確立しました。烏帽子、直垂をまとい、一切手を触れることなく、庖丁とまな箸で魚を調理する作法を披露し、自然界を敬い、感謝を表しました。この所作と、庖丁さばきには熟練の技を要します。今なお日本料理の包丁の冴えと技の基盤となる由縁だと思います。
長年、オーストラリアで「日本料理」について語る機会を得る中、いつか日本料理の歴史の紹介の1つとして「庖丁式」を行わせて頂きたいと願っていました。その願いが最初にかなったのが2006年でした。日本国在外公館設置から110年、日豪友好協力基本条約30周年の節目に、日豪交流年記念のイベントの1つとして「庖丁式」を行う機会を頂きました。多くの方々のご協力を得て、ジャパン・ファンデーション・シドニーで披露しました。
その後も、在シドニー日本国総領事館、キャンベラの日本国大使館、シドニー日本クラブ、シドニー日本人会、豪日協会、キッコーマン・オーストラリアなどの日本企業、またSydney Seafood School、Huon Salmon、豪酒、Vittoriaなど多くの協力を得て続けてこられました。感謝の念に堪えません。
私の日本料理の師の1人、獅子倉祖憲先生らは戦後の混乱の中、戦争で命を落とした料理人の遺志を継いで、日本料理復活のために「庖丁儀式」を通して日本を回られました。日本料理の奥深さと料理人の誇りの復興に向けて真摯に取り組まれる後ろ姿を見させて頂きました。私はまだまだ海外で「包丁式」の意義を伝えきれていないと、自身の未熟さを痛感させられます。
これからも、日本料理の歴史を伝える活動を続けられたらと願っています。なお、庖丁式に関しては日豪プレス発行の英字雑誌『j Style-issue18』(2020年発行)で紹介しているのでよろしければご覧下さい(電子版:issuu.com/nichigopress/docs/js1918)。
このコラムの著者
出倉秀男(憲秀)
料理研究家。英文による日本料理の著者、Fine Arts of Japanese Cooking、Encyclopaedia of Japanese cuisine、Japanese cooking at home, Essentially Japanese他著書多数 。Japanese Functions of Sydney代表。Culinary Studio Dekura代表。外務省大臣賞、農林水産大臣賞受賞。シドニー四条真流文芸師範、四條司家師範、全国技能士連盟師範、日本食普及親善大使。2021年春の叙勲で日本国より旭日双光章を受章。