第10回 タスマニア巡り
歴史の原点、監獄史跡ポートアーサー
ホバートから車で約1時間半、タスマン半島の中ほどに位置するポートアーサー監獄跡地。2010年に他の10史跡と共に「豪州の囚人遺跡群」として世界遺産に登録された同史跡は、タスマニアの歴史を語るのに欠かせません。
「囚人の島」と呼ばれたタスマニアには1803年の上陸以来、数多(あまた)の囚人が送られました。開拓の労働力として州各地で刑務に服しましたが、逃亡や命令違反など再度罪を犯す人も出ていました。そうした再犯者を収監したのがポートアーサー監獄でした。労働環境はもちろん、規律や監視も非常に厳しいもので、“生産的労働習慣を身に付け社会復帰させる”という構想の下に作られながらも、“脱獄不可能”、“植民地最悪”の監獄としてその名を馳せました。
ただし、収監された1万2000人の犯罪者全てが極悪人だったわけではありません。ポートアーサーに入場すると、展示場に犯罪者各々のストーリーが書かれていますが、パンを盗んで10年、銀食器を盗って終身刑など、現代の感覚では理解できない厳しい判決も多くありました。また、敷地の一角はポイント・ピュアと呼ばれ、1830年代の英国領土で唯一の少年感化院がありました。3000人を超す10代前半の少年たちが送られてきたと言います。時は産業革命時代。農村から工業都市に移住して職にあぶれ、仕方なく罪を犯した若者もいたことでしょう。
ポートアーサーはその知名度に反し、監獄として稼働していた期間は長くありません。1833年に監獄としての建設が始まりましたが、53年にはタスマニアへの囚人輸送が禁止され、77年に44年に及ぶ役目を終えました。その後は一般に払い下げられ、観光地化されたりもしましたが、1970年代に州政府の管理下に戻り、現在の形に至ります。
山火事や災害などのため、多くの木造建造物消失しましたが、囚人たちが自らの手で造った石造りの建物は今でも健在。ホバートに滞在中に、ぜひとも訪れたい名所の1つです。
このコラムの著者
稲田 正人
タスマニアのツアー・ガイド/コーディネーター。タスマニア大学で動物学・環境学を学んだ後、のんびりゆったりした生活感に魅せられ、そのままタスマニアに在住。現在は現地旅行会社AJPR(Web: www.ajpr.com.au)に勤務する傍ら、多過ぎる趣味に追われる日々を満喫中。