クリケット特集、山本武白志独占インタビュー!
オージー・ライフ満喫には知っておいて損はない、クリケットの魅力に迫る!
クリケット、その世界有数の愛好国で暮らす読者の皆様には多少なじみはある存在だろう。クリケットは夏のスポーツで正直、シーズンの佳境は終わっている。しかし、ここであえて皆様を「サマー・オブ・クリケット」には少し遅い、まだ見えざるクリケットの世界へと誘いたい。これを機にクリケットに興味が持てれば、あなたのオージー・ライフも少し違ったものになるのかも……。独占インタビュー、W杯直前合宿ルポ、日系有望選手紹介、ルール解説とてんこ盛りの大特集、とくとご覧あれ。
取材・文・写真=タカ植松(本紙特約記者、ライター)/取材協力=日本クリケット協会
独占インタビュー!
「夢」の途中、山本武白志(むさし)インタビュー
ブリスベンでクリケット武者修行中の山本武白志、22歳。この名前に反応するのは、彼のプロ野球時代、いや、自らが「野球人生の最大の栄光」だったと語る高校時代の活躍を知る人であろう。そんな彼はプロ野球への未練をみじんも持たずに、今、ブリスベンでワーホリ・ビザでローカルのすし屋でアルバイトをしながらのクリケット武者修行中。さっそく、話を聞きに行った。
武白志(むさし)というインパクトのある名前。名前の響きはともかく、その漢字は一度見ると忘れない強烈なオリジナリティーを主張する。本人も「武白志」呼ばれたいということなので、文中でもそう呼ぶことにしよう。まずは、その名前の由来を本人に語ってもらった。
「父(筆者注:元プロ野球選手、ロッテ元監督の故・山本功児氏)が、武士の武、白は白星と紅白で男を表す意味、それに志ということで名付けてくれました。小さい頃は、野球の試合でこの名前がアナウンスされるとざわつくんですよね。同じ“ムサシ”でも“武蔵”じゃないから個性があって、多分、日本で僕だけの名前だし、すごく気に入っています」
山本功児の息子、高校通算34発を放ったスラッガー、夏の甲子園での1試合2発。育成契約とは言えど、プロ野球の世界に入り、そこでの挑戦が不完全燃焼に終わった男が「プロ野球には全く未練がない」と言い切るのには、始めは正直驚いた。しかし、話を聞くうちに、それも納得できるようになった。というのも、今の彼にはクリケットで追う大きな夢があるからだ。今は、その夢の実現のためクリケットに打ち込む22歳の秘めたる熱い志を聞き出すべく、クリケットとの出会いについて聞いた。
「野球(筆者注:15年のドラフト会議で育成契約2位指名で横浜DNA入団)をクビになった段階で、中3の時の日本代表ロサンゼルス遠征に参加した時に感じた『いつか、野球とか関係なしに海外に住んでみたいな』という気持ちを思い出して、だったら、このクビになったタイミングで行ってみようと、海外に行く準備を始めたんです。そうしている時に、一昨年の年末にある知り合いの人と会食した折、その知り合いの知人がメルボルンにいて子どもがクリケットをやっているって話になり、『野球やってたからクリケット良いんじゃないの』と言われて、クリケットの動画を見てみて面白そうだなと。それまでは、野球引退後にスポーツをする気は全くなかったけど、そこで初めて、クリケットという選択肢を意識しました」
プロ野球からクリケットへの転向と言えば、広島と西武で活躍後に引退した木村昇吾の名前が挙がるが、武白志のクリケットの出会いは純粋に自分の興味からによるものだった。
「クリケットという道を意識してから自分でも体を動かし始めて、それから年明けに(日本クリケット)協会に自分からメールしました。結構、僕が協会から誘われたと思っている人が多いけど、完全に僕からのコンタクト。すぐに協会の宮地(事務局長)さんが返事をくださって、佐野(筆者注:日本クリケット協会の本部がある栃木県佐野市。日本クリケットのメッカとしてクリケットで町起こしを行う)に電車で会いに行きました。木村さんの挑戦のことはもちろん知っていたけど、だから同じ元野球選手の僕もクリケットをやるってなったわけではなく、あくまでも、挑戦を決めたのは僕自身の意志。その辺りは、これを機にはっきりさせたいですね(笑)」
その後、実際のクリケットを体感するため先述の知人の知人を頼って、メルボルンへ飛んだ。
「本当は、その息子さんたちがプレーするクラブを見学するだけの予定が、クラブの計らいでほんの少しですけど、プレーすることもできました。もう、その帰り道でクリケットのセットを買いに行きましたよ。ちょうど、クリケット・シーズンの終わりで、セールで日本円で7万円くらいでした(笑)」
帰国後、佐野に移住してのクリケット転向が、いくつかの記事になり話題となった。
「クビになった後、その後の進路を誰にも伝えていなかったんです。周りもやっぱり気を遣って、聞いてこないんですよ。僕も僕でちゃんとした進路が決まるまで誰にも言わないと思っていたので、クリケット転向のために佐野に移り住む直前に記事になった時の反響はとても大きかったですね」
「根本的に物事に動じない、緊張もしないタイプ」と性格を自己分析する武白志。確かに22歳になったばかりにしては、どっしりとした落ち着きがある。言葉も1つ1つしっかりと話し、そこには揺るがない信念を感じさせられる。武白志本人は、高校最後の夏の甲子園で、1試合2ホーマーを含めて3本塁打の活躍を見せた経験を「人生で一番気持ち良い瞬間を過ごした」と語るが、今はクリケットで夢を追う男に「今までの人生最高を上回る瞬間が、次に訪れるとすれば何だろう」と少々トリッキーな質問をぶつけてみた。
一瞬、間を置いてから武白志は、「それはプロになる時じゃないかな。今の自分の現在地からすれば、まだまだ到底、到達可能とは言えないくらいの高い目標だけど、もし、それが実現すればその時こそ、人生最高の瞬間になるはず」。クリケットでプロになることはメジャー・リーグに例えれば、自分の現在地は「ルーキー・リーグ以下」とシビアに評するが、挑戦意欲は旺盛だ。どうやら、その強い意志の源泉は野球への未練が全くないことにあるようだ。
「3年で結果を出さなきゃクビだと言われて入った世界で、ものの見事に結果を出せなかった。だから、当然の結果としてクビになった。他球団もそんな選手に見向きもするわけがないと思っていたので、トライアルも受けなかった。野球界には、本当に何の未練もない」とキッパリ。自分の「3年のプロ野球選手」時代を「何もできないままだったし、そもそも育成契約では、自分が本当の意味でのプロ野球選手だと思っていませんでしたから」としっかりと総括する。だからこそ、新しい夢に完全にシフトできる。そして、その夢への現実を直視する時、やることがあまりに多い。そんな時、「未練」というネガティブな気持ちは、何もプラスに作用しない。彼は、そのことを本能的に理解している。
それでも、新しい世界でのゼロからの挑戦は決して楽なものではなかった。野球では「振るな」と言われるバウンドするボールしか、クリケットでは投げ込まれない。自分に向かってくるボールは避ける野球に対して、クリケットでは、そんなボールすら打ち返さなければいけない。プレーし始めた当初、容易に追い付いたライナー性の打球が何度も手元を抜けていくことに戸惑った。よく考えると、グラブを付けていない素手の捕球でグラブのない分だけ感覚的なズレがあった。クリケットは、彼自身が思ってた以上に「別物」だった。
そんな当初の戸惑いがだいぶ薄れてきた今だからこそ感じる、野球出身が故の含蓄のある言葉も聞けた。
「こっちに来ても思うし、佐野でも感じていたけど、やはり小さいころからクリケットという競技に親しんでいるメリットは大きい。今のU19世代なんか、日本でずっとクリケットをやって育ってきた良い選手がたくさんいる。正直、そういう選手がどんどん出てこないと日本のクリケットは強くならない。僕みたいな(野球からの転向)選手が増えても、正直、そんなに変わらないんじゃないか」
自らの経験も踏まえて、転向選手の限界にまで踏み込んだ非常に貴重な日本クリケットの未来のための提言。しかと書き記しておこう。
最後に「クリケットのプロになる」というある種、究極的な目標と対をなす、現時点で近い将来に達成できそうな現実的な目標を聞くと、よどみない答えが返ってきた。
「打撃で100点を取ることを『センチュリー』と言います。先週の試合で初めてその半分『ハーフ・センチュリー』超えの52点を記録したんです。そうなれば、次はセンチュリー。今季の残り試合で必ずセンチュリーを達成すると読者の皆様にお約束します(笑)」
来季以降も、ピッキングに行ってセカンド・ビザを取得して働きながらブリスベンのクラブ・チームでプレーしたいと語る武白志。彼が、日々確実に成長して、センチュリーを連発する強打者として一歩一歩、夢への階段を上っていく姿を見守っていきたい。武白志の活躍と成長に併せて、当地の日系コミュニティーが少しでもクリケットに興味を持ってくれればうれしい。