出倉秀男の日本料理と歩んだ豪州滞在記
~オーストラリアでの日本食の変遷を辿る~
其の参拾六
シドニー・シーフード・スクールの開校
1980年代後半、100席以上の規模を持つレストラン「スエヒロ」や「サントリー」が去った後も、日本料理の大型店はますます増え、「Sushi House」というチェーン店なども登場、オーストラリアにおけるホスピタリティ・インダストリーは更に面白くなってきました。レストラン・ビジネスが拡大していく中、ホスピタリティー業界に携わる人たちの質の向上を目指した育成の必要性が高まりました。育成の教育機関としてはTAFEが主流でしたが、1990年代に入り、プライベートのLe Cordon Bleu Australia、International College Of Tourismand Hotel Managementなどが参入し、スキルを磨き将来のキャリアにつなげようと考える人々が国内外から集まってきました。
オーストラリアでの食文化への関心がますます深まりつつある中、1989年、州政府によるシドニー・フィッシュ・マーケットのリノベーションが終了、競り場を含むメインの建物の2階にあるアドミニストレーション・オフィスの隣に最大60人ほど収容できるデモンストレーション・スペースと、競り場が見下ろせる最新の調理室、ダイニング・エリアを備えたシドニー・シーフード・スクールが開設されました。
シドニー・シーフード・スクールは、一般の専門学校ではありませんが、鮮魚、冷凍魚などの知識や、取引などを学べる教育機関として立ち上げられました。魚料理の基礎から、多彩なバックグラウンドを持つシェフたちが魚料理を紹介する料理教室、また同時に食材のプロモーション、企業のイベントなどにも使われています。
当時、TAFEで日本料理を教えていたこともあり、シドニー・シーフード・スクールの開校にあたり、講師の1人として迎えて頂きました。当時、個人や店など小規模の料理教室はありましたが、ユニークな立地条件と施設を持ち合わせたシドニー・シーフード・スクールは、海外からの視察団も訪れるなど国内外で注目を浴びました。更には学校のプロモーションのために、私もメルボルンやアデレードへ同行し、プロモーションに協力させてもらいました。
また、国内のテレビ局を始めメデイアも、私のクラスを取り上げてくれました。香港、フランス、イタリア、アメリカ、イギリスのテレビ局が取材に訪れたこともあります。今のように、インターネットで情報を流せるような時代ではなかったので、地道な情報発信ではありましたが、日本料理をシドニーから世界へとアピールしたいという思いで、懸命に活動していました。
ちなみに、シドニー・シーフード・スクールの開校時には、東京水産大学を卒業した原田さんという方がフィッシュ・マーケットのアドミニストレーションに加わり、オークション・フロアのシステム改革など日本のノウハウが取り入れられていきました。
あれから31年の年月が経った現在も講師を続けていますが、2020年はコロナ・ウイルスによるロックダウンから始まり、現在に至るまで通常のクラスは開かれていません。「New Normal」という言葉がよく使われていますが、この言葉の意味を考えさせられる年を過ごしています。
そろそろ前途有望な後輩シェフの育成に努め、バトンタッチできればと思っております。
出倉秀男(憲秀)
料理研究家。英文による日本料理の著者、Fine Arts of Japanese Cooking、Encyclopaedia of Japanese cuisine、Japanese cooking at home, Essentially Japanese他著書多数 。Japanese Functions of Sydney代表。Culinary Studio Dekura代表。外務省大臣賞、農林水産大臣賞受賞。シドニー四条真流文芸師範、四條司家師範、全国技能士連盟師範、日本食普及親善大使