第4回:シドニー日系企業の秘書
大阪で働いていたのは、米国に本社があるビジネス・コンサルティング会社の日本支社。90年代の日本では、外国資本の企業は、外資系と呼ばれ何かと別格に扱われていた。そのイメージとしては、高給、実力主義、高レベルの英語力などがあった。
社内文書は英語であることが多かったけれど、実際働いているのは日本人がほとんどでクライアントも日本企業、日本の会社と別に変ったことはなかった。あえて言えば、帰国子女や留学経験者、個人主義の人やプライドの高い人が多く、何かいつもしっくりいかないところがあった。
シドニーでは、日本企業のオーストラリア法人オフィスで働いた。それら通信会社及び旅行会社も、日本の会社組織と同じく、社長しか秘書を持つことができないため、秘書は社内で唯一の存在であり、社員は皆よくしてくれた。オーストラリア人社員がいてもオーストラリアにある日本の会社は、経営陣は社長をはじめ、副社長から部長まで役員はほぼ全員、日本からの駐在員。言葉も、書類も、新聞も日本語。朝礼も行われていた。
そんなことを考えていると、ある時 、これだと思った。日本企業のオーストラリア法人は、カーペット(外国)の床に、布団(日本)を敷いて寝るような感じ。一方、日本国内にある外資系企業は、畳(日本)の上にベッド(外国)を置いて寝る感じと言える。
ベッドは畳に良くないし、やっぱりカーペットの上に布団を敷く方が害がないような、良いような、そんな気がする私であった。
著者
ミッチェル三枝子
高校時代に交換留学生として来豪。関西経済連合会、マッキンゼー・アンド・カンパニー日本支社に勤務。1992年よりシドニーに移住。KDDIオーストラリア及びJTBオーストラリアで社長秘書として15年間従事。2010年からオーストラリア連邦政府金融庁(APRA)で役員秘書として勤務し、現在に至る