肯定から入る
SNSが普及し、自分が住む街や地域、国以外の暮らしを頻繁に目にするようになったことで、小さなこだわりやしがらみから解放されて気持ちが楽になったという人がいる一方で、アナログ時代にも増して自分以外の人が皆幸せに見えて、落ち込んでしまうと嘆く人もいます。
人間は、他人と自分の生活を比較して自分の価値や安定度を測りたがるものです。例えば、他人より自分の仕事の方が順調そうだと感じると安心します。それは、自分の仕事に何か問題があったり、将来に対して不安を抱えていたりするからです。比較して勝ったと思うことで、ネガティブな気持ちを払拭したいのです。
家庭内がぎくしゃくしている時には、家庭外の人が理想的に見え、家族への不満が一層強まるというような悲劇も至る所で起きています。
しかし、これらは全て幻想でしかありません。大なり小なり何事も人間の営みの範はんちゅう疇ですから、どこの職場であれ家庭であれ、同じような状況があるわけです。仕事で失敗して落ち込んだ経験のない人はいませんし、もめ事のない家族もありません。もちろん、失敗ももめ事も、仕事や家庭が進化するためには必要なこと。人が人たる所以です。どちらが欠けても人類は破滅していたでしょう。そんな人間同士の比べ合い。お互いを垣間見て、さまざまに思いをめぐらせているのは誰しも同じなのです。ですから、他人を羨ましがったところで全く意味はありません。しかし、意味がないと分かっていても、羨んでしまうのも人というもの。ここまでは万人に共通する気持ちでしょう。
さて、問題はここからです。SNSでもよく見られますが、羨ましいと思った相手を否定する人がいますね。本人はストレス発散のつもりでも、言えば言うほど心は荒み、不平不満が充満し、劣等感はますます強くなってしまいます。
相手を否定したり、罵倒したりするのではなく、良いところを真似、純粋な気持ちですばらしい点を学び、前向きに、素直に自分を変えていこうとすれば、糧となり、自らの成長につながるでしょう。心もさっぱりとして、晴れやかな気分になるに違いありません。
他人を否定するのは簡単ですが、肯定してそこから学ぶのは非常に難しいことです。自分が同じ道を行き、うまくいっていないと実感している時などは尚更です。しかし、たとえ困難であったとしても、垣間見ただけの自分の勝手な想像でしかない他人の暮らしを否定してストレスを抱えて生きるよりも、他人から学ぼうとする方がはるかに有意義で幸せです。
このコラムの著者
教育専門家 福島 摂子
教育相談及び、海外帰国子女指導を主に手掛ける。1992年に来豪。社会に奉仕する創造的な人間を育てることを使命とした私塾『福島塾』を開き、シドニーを中心に指導を行う。2005年より拠点を日本へ移し、広く国内外の教育指導を行い、オーストラリア在住者への情報提供やカウンセリング指導も継続中