第17回:国際部のコーディネーター
金融庁で働き始めて3年経ったころ、国際部長のクリスが私の上司に会いに来た。私は、自分が手掛けた仕事で何か間違ったところがあったのではと、内心ハラハラして2人のミーティングが終わるのを待っていた。
国際部のコーディネーターが、3カ月の長期休暇を取るので、その間私にコーディネーター職をして欲しいという依頼であった。それは私にとって、大きな驚きだった。なぜなら当時はまだ自分の仕事も満足にできず、人に奉仕できるようなことは何もないと思っていたからである。もう1つの理由は、日本人である私がオーストラリア連邦の金融庁を代表して他国の金融機関や省庁とやりとりをするということなどあり得るのか? と思っていたからである。
早速、統計部役員秘書ポストには契約社員が雇われ、私は国際部に出向することになった。国際部は部長を入れて3人の小さい部署だった。しかし仕事内容と量は驚くほど莫大であった。他国の政府、金融機関、国際機関、国際会議、インターンの受け入れなど、全て国際部が窓口になっていて仕事の範囲は大きかった。
特に、外国政府の訪問は金融庁会長宛てが多く、会長と仕事をする機会が増えた。会長は、大変フレンドリーな人で職員の名前もしっかり覚えてくれた。国際部の仕事を終えるころには、会長から「ミエコ、そろそろ気軽にジョンと呼んでくれないか?」と言われ、とても驚き、感激した。
国際部での勤務最終日、感謝してもしきれない気持ちでいっぱいの私に、部長のクリスはありがとうと、これま私がやってきた仕事を誉め称え激励してくれた。2人ともほとんど涙ぐんでいた。
このように会長をはじめ、さまざまな部署の役員やアナリストを知ることになったのも、国際部で仕事をする機会があったからだ。いろいろな人を知ることで、誰に何を聞いたら良いのか良く分かるようになり、より仕事がしやすくなった。これは大きな出来事であった。とかく何事も挑戦のみである。
ミッチェル三枝子
高校時代に交換留学生として来豪。関西経済連合会、マッキンゼー・アンド・カンパニー日本支社に勤務。1992年よりシドニーに移住。KDDIオーストラリア及びJTBオーストラリアで社長秘書として15年間従事。2010年からオーストラリア連邦政府金融庁(APRA)で役員秘書として勤務し、現在に至る