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オーストラリアの田舎で暮らせば⑰ブーダリー国立公園を訪れる

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 夏の間、庭仕事やDIYに向かない暑い日には、住まいからアクセスしやすいブーダリー国立公園(Booderee National Park)で午後を過ごすことがあった。広大な湾岸エリアであるジャービス・ベイ(Jervis Bay)の一角を占めるこの国立公園は、自然状態の森と海の壮麗さをそのまま閉じ込めたようで、オーストラリア固有の生態系や歴史を肌で感じられる場所だ。ブーダリー国立公園を何度も訪れるうち、青い海を泳ぐ野生のイルカ、古い灯台、植物園の湖など記憶に残る風景が増えてきた。(文・写真:七井マリ)

涼を求めて国立公園のビーチまで

ブーダリー国立公園の南側に位置するケーブ・ビーチ(Cave Beach)

 オーストラリアは水も景色もきれいなビーチが多く、水遊びや散歩に打ってつけだ。ビーチごとに自然保護や安全のためのルールもしっかり設けられている。サーフィンや釣りに興じる人もいれば、水着でなく普段着で寝そべって読書にふける人もいて、各々が自由に海辺の空気を満喫できるのがいい。おかげでオーストラリア移住以来、海との距離が格段に縮まり、更にサウス・コースト地方への転居でブーダリー国立公園が身近になってからはビーチで過ごす時間がいっそう楽しみになった。

 ビーチ、キャンプ場、植物園などが点在するブーダリー国立公園は、陸と海を合わせて約7500ヘクタールの面積に湿地や崖、温帯の森から亜熱帯多雨林まで起伏に富んだ風景が詰まっている。野生のカンガルーやオウムなどが多く生息し、豊かな植生のまま保護された森に隣接する複数のビーチを訪れると、人口密度の高い都市圏のビーチよりゆったりとした時間の流れを感じる。

 ブーダリー国立公園の入場は有料だが、その雄大さと静けさが気に入って買った年間パスは盛夏に波音と木陰の涼を提供してくれた。シドニーなど遠方からの来園者も多く、12~1月の夏休みには入場制限がかかることもある。事前に入場パスを購入していなかったらしい車がUターンしてゲートを後にする様子も見た。とはいえ、生態系の保護を目的とする国立公園ゆえに入場数のリミットが低いようで、園内の道路での対向車は数えるほどだ。

目で見る海洋環境の豊かさ

平日は人影が少なく、シュノーケリングや水鳥の観察もしやすい

 ブーダリー国立公園の中には洞窟を擁するビーチ、岩場の多いビーチ、キャンプ場から近いビーチなどがあり、お気に入りの場所を見つけるのも楽しい。

 その中の1つを訪れたある日、砂浜から泳いで行けそうな距離にイルカの群れを見つけた。繰り返し弧を描くように優美に前進しながら視界を横切って、あっという間に波間へ消えていく。オーストラリアの他のビーチでも野生のイルカを見たことはあったものの、海獣との邂逅にはいつも心が踊る。その日はホリデー期間から外れた平日で、ビーチは貸切状態。喧騒から切り離され波と風の音しかない空間で眺めたイルカの群れは、悠然たる海の自然そのものだった。

 国立公園の名称になっている「ブーダリー(booderee)」は、この地域の先住民族の言葉で「豊かさの湾(bay of plenty)」あるいは「たくさんの魚(plenty of fish)」の意味。恵まれた海洋環境がこの地の文化の一部として、言葉と共に受け継がれてきたことを知ると感慨深いものがある。

まだ見ぬクジラと崖の上の灯台

ケープ・セント・ジョージ灯台に近づくとタスマン海を見渡せる

 イルカは見たことがあるが、クジラを目撃する機会にはまだ恵まれていない。サウス・コースト地方を含むオーストラリア東岸の海域はザトウクジラ(Humpback whale)の季節性の回遊の通り道で、世界に複数ある「ハンプバック・ハイウェイ(humpback highway)」の1つだ。夏は南極海で暮らすザトウクジラのうち4万頭ほどが、冬はシドニーより北の温暖な海で出産と育児の時間を過ごす。シドニーから約200キロ下ったこの辺りでも春先には子連れの様子などがニュースの見出しになる。

 ブーダリー国立公園では、東端の崖の上にあるケープ・セント・ジョージ灯台(Cape St George Lighthouse)の遺構がクジラ鑑賞に最適な場所であるようだ。そこを訪れた日はザトウクジラの南下シーズンを惜しくも過ぎていたが、美しく迫力のある眺望を存分に楽しむことができた。

 1889年に役目を終えたケープ・セント・ジョージ灯台は曲がりくねった未舗装の道を進んだ先にあり、歴代の灯台守の厳しい暮らしを偲(しの)ばせる。船を導くはずが訳あって計画外の場所に建設された灯台だったそうで、その数奇な来歴は現地の案内板が詳しい。それでも僻地の高台に鎮座する頑健な石造りの構造物に手を触れると、ガソリン車の登場以前に行われた灯台建設の熱意と労力に圧倒される。

植物園の小道を歩けば

木漏れ日が降り注ぐ植物園内。中央はブラックバット(Blackbutt)と呼ばれるユーカリの一種

 ブーダリー国立公園内で特に気に入っている場所は、在来植物を保護する植物園だ。多品種のユーカリやアカシアだけでなく、この地域の先住民族が昔から食用や医療用にしてきた植物もあり、その他のエリアとは厳格に隔てられている。植生を守ることは、同時に微生物から哺乳類までの生き物を生かすこと。植物の間の木漏れ日の小道を歩くと、固有の生態系の豊かさの価値を言葉ではなく土の香りや動物の声を通して、体感として理解できる気がする。田舎に移り住んで以来、日常の中でもその実感は深まるばかりだ。

 植物園内のユーカリの木立の間に突如として、マッケンジー湖の水鏡が現れる。穏やかな湖面と開けた空、その間になめらかな線を描くように着水する水鳥、広がった水紋が消えた後の静寂。湖が西洋風に名付けられる前から当地を居所としてきた先住民族の人びとも、豊かな自然の中でかつては湖畔から鳥を眺めただろうか。

 ブーダリー国立公園は先住民族が所有者であることを認められた土地で、国の機関と先住民コミュニティーによる共同管理で固有の生態系を維持している。広大な園内の一隅には先住民族の共同体「レック・ベイ・コミュニティー(Wreck Bay Community)」の居住区があり、住民と招待客だけが立ち入ることができる。6万年以上前から多数の先住民族が暮らす土地であったオーストラリアが、西洋文明による侵略の歴史を経て共生の在り方を模索し続ける中、レック・ベイ・コミュニティーの居住区のような存在はその一つの解であるだろう。田舎暮らしの中で感じる先住民文化については改めてページを割きたいが、ブーダリー国立公園が眼前に広がる自然の豊かさと、そこに連なるジャービス・ベイの社会文化史を感じさせる場所であることは確かだ。

著者

七井マリ
フリーランスライター、エッセイスト。2013年よりオーストラリア在住





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