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VIC州初の女性用地下公共トイレ─オーストラリア女性権利運動/マーベラス・メルボルン 第74回

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豪州で最古の女性用公共地下トイレ

 1902年にVIC州で初めての女性用公共トイレが建設された。メルボルン市内中心部のラッセル・ストリートとバーク・ストリートの交差点南側の場所で、バーク通りの中央緑地帯の部分である。

 男性用(南側)と女性用(交差点側)があり、地下に埋め込まれている。メルボルン市土地調査官で公共道路建設技師のアドリアン・マウンテイン(後のビクトリア土木協会会長)の設計である。地下公共トイレは、英国ロンドンやスコットランドでは既に実績があり、シドニーでも1901年にピット・ストリートとキャッスルレイ・ストリートの間など数カ所にオープンしているが全て男性用であった。

 メルボルンでは男性用公共トイレは、1859年にバーク・ストリートとエリザベス・ストリートの交差点近くに初めて設置されているが、当時は下水道がなく、道路の側溝の上に建てられており、家庭やビルからの排水も含めて直接、側溝に流し込まれていた。一般市民からは、道路に設置された公共トイレは、公衆道徳に反しており下品であるとされて不評であった。

 51年にゴールドラッシュが始まり、男性の移民が急激に増えていたことで、メルボルンの衛生はかなり悪くなり、「臭うメルボルン(sMelbounre)」と酷評されていたことが公共男性用トイレ設置の背景にある。

コリンズ・ストリートの地下トイレ

 金塊の英国への輸出により資金が潤沢であったビクトリア植民地政府は、公共衛生の予算も分配し始めた。58年に郊外のヤンリーン水源からパイプを経由して、上水道として飲用水の供給をスタートした。

 その後、公共トイレがあまり増えなかった主な理由は、下水道がなかったからであるが、81年にメルボルン公共建設局が作られ、地下下水道システムの建設が推進されたことで公共トイレの設置も検討され始めた。

 初めて女性用公共トイレが設置された背景には、女性の権利向上運動があった。ビクトリアではゴールドラッシュにより英米の民主運動家が移民したこともあり、50年代には女性の参政権を求める運動が豪州各植民地に先行して始まっている。

 84年にビクトリア女性参政権協会が設立したが、豪州で初めての女性参政権協会であった。女性用公共トイレがないことは、女性、特にシティで働く女性にとって大きな問題であった。90年ごろからメルボルンやシドニーの女性運動家は女性用トイレの設置を要求し始めた。1902年に女性進歩主義団体の代表者が、シドニー市長を訪問して女性用公共トイレの建設を要求している。

GPO前の地下トイレ

 01年に6つの植民地が統合されてオーストラリア連邦が成立し、メルボルンが最初の首都になった。メルボルンで女性用と男性用の公共地下トイレが設置されたことは、豪州の首都整備計画の一環であり、市民の理解のため、公共の目線から外れた場所である地下が選ばれた。

 02年は、豪州連邦議会で女性の投票権が確立された年である。豪州連邦議会議事堂(現VIC州議会議事堂)は、このトイレから徒歩5分の場所にあるのもたまたまではないと思われる。

 ラッセル・ストリートの地下公共トイレを皮切りに、39年までにメルボルン市当局によって市内11カ所に地下公共トイレが設置された。ラッセル・ストリート公共地下トイレは94年に使用が停止され、ふたが付けられて閉鎖された。その場所には器具の歴史、容器、技法という名前の芸術作品(93年、Chris Reynolds作)が設置された。 

 ラッセル・ストリート公共地下トイレは女性用としては現存するVIC州最古というだけでなく豪州最古の物である。50年にわたる豪州女性権利運動の1つのシンボルであると考えられる。

ビクトリア・マーケット前の地下トイレ

このコラムの著者(文・写真)

イタさん(板屋雅博)

日豪プレスのジャーナリスト、フォトグラファー、駐日代表。東京の神田神保町で叶屋不動産(Web: kano-ya.biz)を経営

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