初めて会った時、ピッチ上で屈強な選手と堂々と渡り合う姿の割には存外に小柄で驚かされた。礼儀正しいそのさわやかな顔に整えられた鼻ひげが凛々しい。「このひげのお陰か、自分のフィジカルが上がったからかは分からないけど、ピッチ上でナメられなくなった(笑)」と屈託がない宗野文弥(25)は、NPL有数の古豪オリンピックFC所属のハード・ワークが売りのMFだ。
弱冠25歳ながら、当地で既に7年のプレー経験を誇る宗野は、日本有数のフットボール処・浦和の強豪、元日本代表の川島永嗣の母校としても知られる浦和東高を卒業後、すぐに来豪。当初は学業優先でフットボールをプレーする気はなかったが、暇を見つけては近くのグラウンドで(まさか、そこがクラブとは知らずに)ボールを蹴る姿がそのクラブの関係者の目に留まったことで、再びスパイクを履くことになった。
以後、ゴールドコースト地域の下部リーグからスタートして時には回り道をしながらも確実にステップ・アップ。昨季、FQPL1を制したサーファーズ・パラダイスで念願の州最高峰のNPL昇格を果たしたはずが、クラブの財政難でまさかの昇格辞退。突然の緊急事態にも現所属を含む複数のNPLクラブからオファーを受け、今季(23/24シーズン)からNPLに個人昇格を果たした。
名門に所属した高校時代は、数多の部員の中でチャンスに恵まれず不完全燃焼に終わった。来豪してからは、「これまでの自分では通用しない」との危機感から、思い切ってインテンシティあふれるプレー・スタイルにモデル・チェンジ。「高校時代を知る人が見たらビックリしますよ」と語るように、今ではゴリゴリのハード・ワーカーとして鳴らす。当地で生き残り、成り上がるために自分を大胆に変える高い適応能力を見せ、7年間で確実な成長曲線を描けた結果として、NPLのピッチに立つ念願がかなった。
ただ、目標としてきた高みに到達したからと言って、その歩みを緩めることはない。自身にまだ伸び代を感じるからこそ、その視線は未来をしっかりと見据える。まずは、なかなか思い描く結果が出ない古豪を何とかファイナル圏内に押し上げるべく攻守に渡るハード・ワークを続けることにフォーカスする。
浦和東高では、 ”赤き血のイレブン”で知られるライバル浦和南高同様、真紅のユニフォームをまとった宗野は、フットボーラーとして生まれ変わったこの地でも、鮮烈な赤き血たぎる浦和の漢に相応しい強烈な存在感を発揮し続けていくに違いない。
植松久隆(タカ植松)
ライター、コラムニスト。タカの呟き「ユーロ、コパ・アメリカの大団円直後にパリ五輪。そうこうする内にプレミアなどの欧州シーズン開幕。Jリーグ後半戦がたけなわを迎えるころには、また“日豪同舟”のW杯最終予選とフットボールの快楽は終わらない。いやぁフットボールって本当に良いもんですね(古っ……苦笑)」