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オーストラリアの田舎で暮らせば㉔木造の船とジャービス・ベイの歴史

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 町ごとの歴史は慌ただしい時の流れと共にその影を潜めがちだが、時間の流れが比較的ゆるやかな田舎では過去と現在のつながりが見えやすいように思う。私が暮らすサウス・コースト地方の中でも、ジャービス・ベイ(Jervis Bay)という大きな湾の周辺はかつて造船業で栄えた町があるなど、海と人の歴史を感じるエリアだ。旅行者に交じって訪れたジャービス・ベイ海洋博物館(Jervis Bay Maritime Museum)で、木造の船や入植をめぐる展示からオーストラリア近代史や先住民史の一端に触れ、自分が暮らす土地の在り方を考えさせられた。(文・写真:七井マリ)

水辺にたたずむジャービス・ベイ海洋博物館

河口近くの水辺に建つ、移設された灯台とジャービス・ベイ海洋博物館

 シドニーから車で南へ約3時間、ジャービス・ベイのハスキソン(Huskisson)はビーチの美しさで名高い町だが、かつては造船業が盛んだったと地域の歴史の本で知った。金属や樹脂製でなく木造の船が主流だった時代には、船材に適したユーカリが豊富に採れることが重要だったようだ。

 時は流れ造船のニーズは変わったが、町の一角の水辺にあるジャービス・ベイ海洋博物館はこの地域と海との長く深いつながりを示している。イギリスの入植者がやって来てからの歴史や、周辺エリアのオーストラリア先住民の文化、灯台建設、海難事故、漁業、観光業など、博物館が伝える海をめぐる物語は興味深い。

 館内の展示物で最も目を引くのは、堂々たる大きさのレディー・デンマン(Lady Denman)と呼ばれるフェリーだ。ハスキソンで地元産の木材を使って建造されたこの船は、遠く離れたシドニー湾で旅客を運ぶ公共のフェリーとして1979年まで稼働していた。現在はこの海洋博物館で、町や人と同様に船にも歴史があることを伝えている。

博物館の中に鎮座する木造船

レディー・デンマンはシドニーで活躍した完全木造フェリーとして現存する最後の1隻

 現代のフェリーとは違い、レディー・デンマンの船体や内装には木材が使われ、磨き上げられた板材の床やベンチからは家の中のような居心地の良さが漂う。内部だけでなく船底付近を歩き回ることもでき、現在のシドニーのフェリーより小型とはいえ見上げると存在感は十分だ。

 レディー・デンマンの引退は今から45年前。金属や樹脂製の船にしか乗ったことのない私は、木造船が活躍した時代はもっと昔のことのような気がしていた。とはいえ、このフェリーの頑丈な造作や手触りのおかげで、漠然としていた近代の木造船のイメージが鮮明になった。

 レディー・デンマンは70年近くにわたるシドニー湾での航行を終えた後、廃船を惜しむ人びとの声に救われ、地元に戻って安住することとなった。壁いっぱいに掲示された歴史年表のような解説を読むと、いかに多くの人が特別な思いを持ってレディー・デンマンの帰郷を後押ししたかがよく分かる。静かな田舎町の博物館で来館者に見守られながら送る船の余生は、凪いだ海のように穏やかであることだろう。

ユーカリの樹皮のカヌーに思うこと

ジャービス・ベイ周辺の先住民はカヌーを漁や移動に使用したことが知られている

 別室に展示されているオーストラリア先住民のユーカリの樹皮製のカヌーは、何一つ装飾がなく、無垢材の色と質感がミニマルな美しさを織りなす。繊細な展示品なので手を触れることはできないが、乾いた樹皮の固くも滑らかな感触は想像できる。これは実用されていた時代の遺物ではなく、昔ながらの工法で現代の先住民コミュニティーの人びとが再現したものだ。添えられた説明はわずかで、同じ水上の乗り物といってもレディー・デンマンとは対照的ですらある。かつて石斧で切り倒した木でカヌーを造り、川や湖に漕ぎ出した人の物語までは知ることができない。

 このカヌーが見られるのは、ジャービス・ベイ地域の歴史を紐解く常設展示室。ここでは西洋文明の流入以降の地域の発展などの近現代史が詳細に語られている一方で、当地の先住民史についての展示はその実際の長さや豊かさと比べると断片的な印象が否めない。その理由の1つは、数万年にわたって築き上げられてきた先住民コミュニティーが入植という名の侵略に伴う虐殺や文化の破壊により弱体化し、歴史を語り継げる人が極端に少ないことだろう。博物館の展示に存在する先住民史の空白は、破れて消失した本のページのように心に引っかかる。

 隣の展示室には、保存状態の良い海洋調査の器具や海図、船の装飾品や絵画など、西洋文明の一部を彩る展示物が所狭しと並ぶ。存在すら見えにくい先住民史との差は大きいが、その現状を視覚的に体験したことは私にとって意義深いことだった。

土地の専有をめぐる歴史と自分が暮らす場所

地元アーティストのアキラ・カマダ氏による展覧会「the land – seeking co-existence」の作品

 ジャービス・ベイ海洋博物館では海に関する展示以外に、湾岸エリア周辺の地域や人にフォーカスした特別展も行われる。初めて来館した際は、入植後の土地分譲の記録と移住者誘致のポスターを集めた特別展が開催中で、手書きの地図の職人芸と移住者に夢を売る宣伝文句の面白さを味わった。なお、オーストラリアの入植開始後にはイギリスの流刑囚だけでなく、最初の数年以降は新天地を求めた自由移民も各地の開拓に加わり定住している。

 今年10月までジャービス・ベイ海洋博物館で開かれているのは、地元の現代アーティストによる展覧会。ユーカリの実や苔などの素材を使った作品群の中で、無数の土塊に数字を振った作品が印象的だった。作品は番地で区切った分譲区画や値札の付いた自然物をイメージさせ、単純化された世界を俯瞰する感があった。

 本来的には、大地や海川は誰に属するものでもない。それを区切り、開発し、値段を付け、所有権を争うという「専有」を目的とした慣行は、先進国中心の人間社会の興味深くも生臭い一面だ。土地専有のための入植・侵略を是とする価値観が、オーストラリア先住民の虐殺・迫害につながったことは想像に難くない。

 「侵略された側」であるオーストラリア先住民の人びとは、生まれ育つ土地との精神的・肉体的な一体感が極めて強いことで知られる。大地や木が傷つけば自分自身が傷みを感じるような感性を持ち、その土地から切り離されて生きることに対しても同様だ。そこには土地の開発や領土の奪い合いといった概念はなじみにくいだろう。

 侵略や土地の専有の歴史について考える時、移民としての私自身が暮らす場所についても思いが及ぶ。暮らすのに適した環境が今も当地にあるのは、オーストラリア先住民の人びとがサステナブルな生き方で自然との調和を維持してきたからだ。当地で暮らす1人として、豊かな水と緑の価値やそこに横たわる歴史を忘れずにいなくてはと思う。

著者

七井マリ
フリーランスライター、エッセイスト。2013年よりオーストラリア在住





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