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オーストラリアの田舎で暮らせば㉕回遊するクジラを見に行く

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 10月の南半球は春も折り返しの時期で、オーストラリアの東海岸沿いでは季節性回遊中のクジラの姿を見られるシーズンの終わりが近い。オーストラリアにおけるクジラは身近な季節の風物詩であり、かといって必ず遭遇できるとは限らない特別な存在でもある。海まで近距離の田舎町に移り住む以前からクジラとの邂逅(かいこう)を逃し続けてきた私は、今年こそはと晩秋からサウス・コーストのいくつかのビーチや見晴らし台を巡った。(文・写真:七井マリ)

クジラを見られなかったツアーの思い出

クジラの見分け方などの情報を掲載した地元の観光パンフレット

 クジラを見てみたいと思うようになったのは、オーストラリアで暮らし始めてからだ。南極付近の海に住むザトウクジラやミナミセミクジラは毎秋5月から北上を開始し、極地より温かい海で出産した後、春の終わりにあたる11月までに子を伴って南下する。その時期のオーストラリア沿岸では陸地からだけでなく、ホエール・ウォッチング・ツアーの観光船に乗って間近からクジラを見るという方法もある。

 オーストラリアに来て間もないころに一度、旅行先の町でツアーに申し込んだ。晩春だったのでクジラに遭遇する可能性の低さを事業者から念押しされた上で参加し、案の定、クルージングだけを楽しんで終わった記憶がある。それ以降、シドニー在住時にもクジラ観賞のチャンスはあったはずだが、いつでも見られるだろうと思っているうちに気付けば何年も経っていた。

 クジラを見たいという思いが再燃したのは、サウス・コースト地方の海からそう遠くない田舎町で暮らし始めてから。この辺りはクジラ観賞に適した眺望スポットが多く、観光の目玉の1つにもなっている。今年の秋の終わりから海沿いに行くたびに目を凝らして見るようになったが、チャンスはすぐには巡って来なかった。

買い物帰りに見晴らし台まで

近隣の町の観光事業者が、1日に10頭のクジラが見られたことを知らせていた

 冬の半ばの7月上旬、地元のスーパーマーケットでの買い物帰りに車で寄り道をすることにした。小雨だったが、地図上の見晴らし台がある場所を目指し、住宅地や田園風景の中を抜けて小さな岬の突端まで。目的地に着くと天候が荒れ始め、展望用に設置されたウッドデッキからは浮かぬ顔の2人連れが引き返して来るところだった。海はしけて灰色で、見晴らしが悪くクジラどころではない。冷たい潮風の中、激しく砕ける波を眺めてからあきらめて帰途についた。

 その後も運のない日が続く中、ソーシャル・メディア上でクジラの目撃情報を共有するグループの投稿ものぞき見ては周辺エリアでの目撃例に励まされた。ザトウクジラにまつわるドキュメンタリー映像やニュース記事を漁れば、そのスケール感や謎の多い生態に胸が踊った。現物に遭遇する確率が上がったわけではないものの、準備は万端。まだ見ぬ壮麗な姿へのあこがれは大きくなるばかりだった。

 隣人が、この辺りのホエール・ウォッチング・ツアーに参加してみては、と提案してくれた。近くのビーチ・タウンの観光船は遠方からの旅行者向けと思い込んでいたが、聞けば隣人も乗ったことがあり、間近でクジラを見たという。魅力的な選択肢として記憶に留めつつ、できれば初回は日常の延長として陸地から見られたら、という思いもあった。

灯台のある町でクジラを待つ

カイアマのクジラ観賞スポットの1つ。曇っていたが風のない暖かな日だった

 8月中旬、パートナーと共に車で遠出をする道すがら、観光地のカイアマ(Kiama)で昼前に休憩を取ることにした。カイアマの町にはクジラ観賞に適した高台が複数あるからだ。
 白い灯台のふもとの公共の駐車場で車から降りると潮の香りがした。旅行者らしきグループや散歩中の地元住民が青い大海原に向けて目を凝らし、何人かは双眼鏡を携えていた。オーストラリア東岸の冬の海で探すものといえばクジラだろう。

 張り込みのようにクジラを待つこと約40分、そろそろ昼食を摂ってカイアマを発たねばならない。密かに気落ちしていたら、過去にクジラを見た経験のあるパートナーが軽食を買って来ると言う。その申し出に甘え、私だけ留まってクジラを探し続けたが残念ながら何事も起きず、眼下に打ち寄せる波を見つめるばかりだった。

 パートナーが戻り、運良く海に面して駐車できたので車内で昼食にした。隣のSUVの運転席から海を眺めていた初老の人も、クジラを待つ1人だったのかもしれない。カプチーノを飲みながらホウレンソウ入りのリコッタチーズ・パイを半分ほど胃に収めたころ、遠くの海面で何かが動いた。同時に、2つ隣の車から降りた男性が小型のドローンを抱えて見晴らしの良い方へと足早に向かうのが見え、私も食べかけのパイを置いて後に続いた。

ザトウクジラを見ていた人びと

陸地から距離はあったが、裏が白っぽい尾びれがしっかり見えた

 遠い波間にゆっくりと翻る黒い尾びれを見て、最初はイルカかと思った。しかし、相当な距離なのにはっきり目視できるということはもっと大きな生き物だ。目で追っているうちに尾びれは水中に消えたが、まだ付近にいるはず。周りの人たちは一様に足を止め、尾びれが消えた方角を見つめている。ドローンの男性は手元のリモコンを操作していて、機体は既に海上にあるようだった。

 長く待った気がしたが数分だったのだろう。再び尾びれが現れ、その形と灰白色の裏面を確認できた。ザトウクジラだ。現れたり消えたりを繰り返し、優美に泳ぎながら遠ざかって行く。その後ろを横切った小型のモーターボートとの対比でクジラの大きさがよく分かった。あれほど巨大な哺乳類が見慣れた海を泳ぎ、同じ地球上に暮らしている現実を目の当たりにすると、私たち人間が生きる生態系の多様さに感服するばかりだ。

 私の周りでは大人も子どもも目の前の光景を静かに見守っていて、大きな声を上げる人はいなかった。クジラの全身や潮吹きは見られなかったものの、居合わせた見知らぬ人たち全員が同じものを見て自然の雄大さに心を打たれていたという、その空間を体感できたこと自体が良い経験だった。

 いつの間にか、すぐ隣に3歳くらいの女の子とその父親らしき男性が立っていた。身軽な装いからして地元の人だろう。ほら、クジラだよ、大きいしっぽが見えているよ、と男性が海面を指差す。両手でぬいぐるみを抱えた女の子はあどけない口調で、うーん、遠すぎるよ、と言いながらもクジラから目を離さない。遠方のクジラの姿は、幼い彼女の記憶に残るだろうか。あるいは、毎冬ここに立ってクジラを見るだろうか。クジラが泳ぐ海を原風景として心に持ち、豊かな自然の大切さを我が事と感じながら育っていくのだとしたら、それはとてもすてきなことだ。

著者

七井マリ
フリーランスライター、エッセイスト。2013年よりオーストラリア在住





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