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若い時の困難な経験が将来のリーダーシップの糧になった─実業家/東京ガス元社長/日豪経済委員会委員長・広瀬道明さん

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【第28回】最先端ビジネス対談

 日系のクロス・カルチャー·マーケティング会社doq®の創業者として数々のビジネス・シーンで活躍、現在は日豪プレスのチェア・パーソンも務める作野善教が、日豪関係のキー・パーソンとビジネスをテーマに対談を行う本連載。今回は、東京ガスの社長・会長を務め長年にわたってガス事業に携わり、現在は実業家、東京都公安委員会委員長、日豪経済委員会委員長として活躍する広瀬道明氏にご登場願った。
(撮影:クラークさとこ)

PROFILE

広瀬道明(ひろせみちあき)
1974年東京ガス株式会社入社。常務執行役員などを経て2012年副社長、14年代表取締役社長に就任。ガス小売全面自由化で陣頭指揮を執り、18年から取締役会長、日本ガス協会会長に就任。23年退任。22年から東京都公安委員会委員長を務める。長期にわたりガス事業に携わり、業界の発展に尽力すると共に関係団の要職にあって産業経済の発展に貢献した功績がたたえられ、23年春の叙勲において旭日大綬章を受章

PROFILE

作野善教(さくのよしのり)
doq®創業者・グループ·マネージング・ディレクター。米国広告代理店レオバーネットでAPAC及び欧米市場での経験を経て、2009年にdoq®を設立。NSW大学AGSMでMBA、Hyper Island SingaporeでDigital Media Managementの修士号を取得。移民創業者を称える「エスニック·ビジネスアワード」ファイナリスト、2021年NSW州エキスポート・アワード・クリエティブ産業部門最優秀企業賞を獲得


作野:日本とオーストラリアの経済関係の現状について、どのような課題とチャンスがあると思われますか。

広瀬:個人的には、日本にとってオーストラリアはかけがえのない本当に大切な国だと思っています。互いが必要とし補完し合える、いわゆるパートナーシップという面で、戦後からエネルギーを中心に経済的なつながりがあります。これからは、もちろんエネルギーも大切ですが、それだけでなく新しい分野でも協力し合えるのではないかと考えています。例えば、ITやイノベーション、メディカル、宇宙産業などが挙げられます。

 日豪経済会議は昨年60回を迎えました。これまではどちらかというと、エネルギー中心でしたが、今後はエネルギーだけでなく、そういった新しい分野においての関係性を築いていく必要があります。これまでの60年は日豪関係をどのように強化するのかという点に注力してきました。ASEANや島嶼国に対して日本とオーストラリアの2国は協力関係にありますが、より一層発展していかなければなりません。これから環境問題をはじめ、日本とオーストラリアが経験したようなさまざまな困難や課題に直面するはずなので、その際、2国が協力し貢献していく必要があります。これまでは2国間だけについて考えれば良かったのですが、これからは2国で何ができるのか、それを実現する新しい60年にしていかなくてはなりません。

作野:おっしゃる通り、これまでは貿易と資源が中心だったかもしれませんが、これからはサービス産業、イノベーション、テクノロジー、人材交流、人材育成など、さまざまな分野において協力し合うフェーズに入りますね。特に日本はこれから人材不足という問題に直面するため、オーストラリアの多民族国家、多様性のある文化というのは日本にとって非常に参考になると思います。

広瀬:そうですね。

若き日の試練と労働組合での経験がキャリア発展に

作野:ご自身のキャリアの初期において、どのような経験や考え方が現在のリーダーシップに影響を与えたと感じていますか。

広瀬:今だから言えることかもしれませんが、若いころは苦しいことや困難なことなど、いろいろな経験をし、その時はきついと感じましたが、長い人生、その経験が必ず役に立つと思っていました。私は1974年に東京ガスに入社し、1年目から転換事業所というLNGでガスのカロリーを上げる「転換地獄」と呼ばれる事業所に配属されました。たくさんの若者が離職する部署に新入社員で放り込まれ、先輩はほとんどいないし、多忙でいつも夜中にタクシーで帰宅するという生活を続けていました。

 性格上、良く言えば完璧主義で責任感がある方なので、1年目で何もできなかったことに精神的な苦痛を感じ、会社を辞めようと考えたこともありました。同期の人たちが営業所や工場など割としっかり組織が固まっている部署で働いているのがうらやましく、1500人も若者がいる中でどうして私だけがまだ発足して3年目ぐらいの組織に配属されてしまったのかと思いましたが、今考えると、それ以降はどんなことがあってもあまり苦しいとかきついとか感じなくなったという面では、良い経験をしたと思えるようになりました。

 その後は現場に配属され、私の特徴的なキャリアとしては8年間、労働組合の専従として会社から籍を抜いて組合員の組合費で給料を頂く形式で働いていたことです。そこでいわゆる組織運営について、どのように人の合意形成を作るか、いろいろな雑多な意見がある中でどうやって1つの要求にまとめるかなど、人の気持ちや意見を吸収して、それをどのよう反映していくのかということに取り組んでいました。

 労働組合で8年間経験したことは、今振り返ると、ある意味経営と同じです。いろいろな意見やさまざまな考え方をどのように1つにまとめていくか。若い時にそういったことも含めいろいろな経験をしました、その時は本当に必死で、会社を辞めようと考えた時期もありましたが、辞めないで良かったです。苦しい時は頑張った方が良いと思いますが、これからの時代は苦しかったら会社を辞めても良いかもしれないですね。当時の日本社会はある程度終身雇用で、会社を変えるなどそういう風なことがタブーの時代でしたが、今はそうではないので、早く見切りをつけるというのも良いかもしれません。

作野:労働組合で仕事をされた経験というのは非常に大きいかもしれないですね。広瀬さんのような経営者とは全く異なる労働者からの立場の観点を8年間も経験され、そういった仲間と一緒に向こう側の景色を見続けられたというのは、リーダーシップを養う1つの経験としては非常に貴重な経験だったのではないでしょうか。

広瀬:そうですね。会社を良くしようという目的は1つで、少し違った視点で当然、経営に対しても意見を言わなくてはならないし、あるいは違った考え方を会社に伝えなくてはなりません。そういう面で、経営を若いころに見ることができたというのはすごく良い経験で、それに対して組合の方から処遇だけではなく、当時から経営課題に対して物申すことが労働組合の1つの仕事でしたから、営業政策についていろいろなことを聞いてそれを組合に伝えるなど、経営者からの話を違った側面から聞くことができました。そして、8年間労働組合で働いた後は会社の中枢の総合企画部に配属されました。

作野:180度転換ですね。

広瀬:そうです。私も労働組合の後はどこに配属されるのか検討もつきませんでしたが、総合企画部となり驚きを隠せず、大胆なことをやるものだと思いました。

作野:経営陣が広瀬さんの観点を養うためにその配属を意図的に行ったと想像すると、それぐらい器がある会社ということですね。

広瀬:そこで役員たちが会社のさまざまな物事を決める経営会議などのメモを取ったり、議題を調整したりするような立場になりました。経営者がどのような議論をして、どのようなプロセスで会社の方針が決まるのか、それを30代の時に経験し、いろいろなことをやらせてもらったのが結果的に良かったと思います。

作野:個人的には、広瀬さんは今でこそすごく温厚な人だと感じるのですが、若いころは厳しい方だったのではないかと想像します。その点はいかがですか。

広瀬:今でもそうかもしれないですが、結構、納得するまでに時間が掛かりますね。私は「なぜ?」を3回繰り返すようにしています。答えが出たとしても、それはなぜかと繰り返すのです。なぜかと聞くことで、説明する人も、説明を繰り返しながら更にアイデアなどが膨らんでくることがあります。当時は本当に知りたいから「なぜ?」と繰り返し聞いていましたが、最近は多分こういうことだろうと分かっていても若干意識的に、質問するようにしています。

自身のキャリアはこれまで出会った人たちで形成

作野:若いころ、特にキャリア経済において意識していた価値観や目標はありましたか。

広瀬:長年、企画や意思決定に携わる部署に所属していた経験があり、その際に特に重視していたのが「筋」でした。筋の通らないことは、どれだけ魅力的に見えてもやめるべきだと考えていました。筋の悪い判断は、一時的にはうまくいくこともありますが、必ず後でその代償が伴うものです。その場しのぎの策を講じると必ず反動が来るので、目先の妥協は避けるべきだと思っています。筋が悪い案件に出くわした場合は、その筋をどう改善していくかという視点が必要です。もし改善が不可能なら、その案はあきらめざるを得ません。今でも、話を聞いて「これは筋が悪い」と感じることがありますが、その時はどう対応するかが課題となります。

 変な話、私は会社のピンチやトラブルが嫌いではありません。順調に物事が進んでいる時よりも、問題が生じた時の方がやりがいを感じることが多いのです。社長をしていた時も、次々と課題が出てきましたが、その際、私は大きく構え、問題をどう小さく収めるかを考えました。特にリスク管理が好きで、問題が起きた時にはすぐに対策本部を設け、全員に情報を共有し、どう解決するかを検討しました。リスク管理は、小さく始めて大きくなることを避けるためのもので、私はこの手法を重要視していました。もちろん、自分で火を付けて自分で消す、いわゆる「マッチポンプ」のように自らリスクを作り出すことはしません。

 しかし、組織運営においては、順調な時間よりもリスクや課題の解決が多いものです。多くの優れたアイデアや考えがあっても、それに伴うリスクや問題を解決しない限り、前に進むことはできません。経営とは、ある意味ではリスク管理そのものだと言えるのではないでしょうか。

作野:今だから言える最大の危機などはありましたか。

広瀬:そうですね。私が現場の部長だった時にガス爆発事故がありました。私がたまたま担当していた飲食店でガス爆発が起こり、死者は出なかったのですが、大勢の人がけがをしてしまい、その後1年くらいは、いわゆる前向きな仕事ができなくなってしまいました。組織全体が原因究明や改善策の作成、けがをされた方々への対応を行うなど事後対応に追われました。決して事故を起こしてはいけないと改めて思いましたね。事故を未然に防ぐためにさまざまな対策を講じていると、何も起きない時には「ここまでする必要があるのか」と疑問に思うこともあります、しかし、一度でも事故を経験すると、たとえ遠回りに感じたとしても、きちんと対策しておくことの大切さを痛感します。

作野:これまでのキャリアで受けた最も影響力のあるアドバイスや学びはありますか。

広瀬:会社に入社してから、多くの方々の話や行動、話し方、あいさつの仕方などを観察してきました。特定の「この人だ」という存在はいませんが、いわゆる現場で働く人の中に、話が特別上手なわけではないけれど、人を引きつける力に長けた人たちが何人かいました。そのような方々の振る舞いを、他のスタッフたちも自然と見習っていたように感じます。だから、私にとってキャリアというのは、仕事の経験だけでなく、いろいろな人を見たり、その人の話を聞いたりすることです。人のキャリアで私自身が作られているのかなと思えます。

作野:なるほど。広瀬さんは、仕事の内容というより人との関わり、その人を理解するというところに非常に重きを置いておられるリーダーだと感じていたので、ご自身のキャリアが人で形成されているという言葉がとても腑に落ちました。

広瀬:もちろん、キャリアというと「何年から何年までこの仕事をしていて、何年から何年まではこのプロジェクトに携わっていました」といった経歴の積み重ねを指すことが多いですが、私にとっては、それだけがキャリアではありません。むしろ、そこで出会ったさまざまな人たちとのご縁や関わりこそが、私のキャリアそのものだと感じています。そのため、単純には説明できません。

日豪関係の発展には情報共有と人の交流が重要

作野:今後10年間で日本とオーストラリアのビジネス関係はどのように変わっていくと予想されますか?

広瀬:日豪経済委員長として、これから日豪間で経済的な協力を促進していくことが私の重要な任務の1つとなります。もちろん、日本は世界中の多くの国々と良好な関係を保ち、連携を強化する必要がありますが、その中でも特にオーストラリアとは今後更に深い協力関係を築いていかなければならないと考えています。委員長に就任してから約2年が経ちますが、オーストラリアを訪問するたびに、またオーストラリアの方々と話すたびに、この国やその人びとに対する理解と親しみが深まっていきます。

 今後、日豪両国の関係を更に発展させるために、私は特に2つの要素が大切だと考えています。まず1つは情報の共有です。日本では、オーストラリアからの情報が非常に少ない状況にあります。多くの日本のメディアが撤退してしまい、現在市場に残っているのは日経新聞のみです。同様に、オーストラリアでも日本に関する情報が不足しているのが現状です。このような情報のギャップを埋めるために、メディアの役割がますます重要になっていると感じています。

 我々の世代にとっては、新聞などの伝統的なメディアが依然として情報源として大切です。ですから、朝日新聞や読売新聞などに対して、再び国外に目を向け、日豪両国の情報をお互いに発信していくようお願いしています。政治や経済、社会などのさまざまな分野の情報を両国が共有し合うことが、今後の関係強化に必要不可欠です。もう1つの重要な要素は、人と人との交流です。昨年の統計によると、オーストラリアから日本を訪れた人数は約60万人、日本からオーストラリアへは約30万人と、大きな不均衡があります。この状況を改善し、両国間の人的交流を更に活性化させることが必要だと感じています。

作野:今年オーストラリアからの訪日者数は100万人を超えると言われていますね。

広瀬:昨年の統計でも明らかになったように、オーストラリアからの訪日者数は増加傾向にあります。これは非常に重要なことですが、最も大切なのは、若い世代の交流が更に活発になることです。我々もそのために尽力していますが、若者同士の交流がもう少し増えて欲しいと願っています。かつては、日本の若者たちが語学研修などでオーストラリアを頻繁に訪れていましたが、最近ではその数が減少しているようです。オーストラリアの魅力が薄れたのか、あるいは他に理由があるのかは定かではありませんが、ワーキング・ホリデーで訪れても、仕事が見つからないという問題もあるようです。報道では、日本人がワーキング・ホリデーでオーストラリアに来ても仕事がないという状況が伝えられています。

 それでも、日豪経済会議が若者のためにセッションを設けている点は非常にすばらしいことだと思います。若い世代がこうした場で交流を深めることが、日豪の友好関係を更に強固にするでしょう。また、最近注目されているDEI(多様性・公平性・包括性)の分野においては、日本がオーストラリアから学ぶべき点が多いと感じています。この分野においては、オーストラリアが非常に進んでおり、日本も学びを深めるべきです。最近の日本のビジネス界は、意識の面では確かに進歩しているかもしれませんが、制度や仕組み、実績においてはまだ十分ではありません。この点に関して、今後もオーストラリアから学ぶべきことが多いと思います。もちろん、オーストラリアでもDEIに関する問題が幾つかあるでしょう。一本調子では進められない部分もあるかもしれませんが、既に毎年テーマに挙がっていますが、やはり日豪経済会議の場で、経済問題だけでなくこうした社会問題についても広げて議論していきたいと考えています。

組織の強さを左右するのは多様性をまとめる力

作野:日本が女性の社会進出に遅れをとっているのはどのようなことが原因で、もっと促進させるためにどのようなことができると思いますか。

広瀬:ビジネス、特に企業においては、多くの社会問題が存在していますが、女性の活躍に関して特に注目すべき点があると感じます。かつての私のように、女性を特別扱いせず、積極的に経験を積ませることが重要だと思います。これまで、どこか女性に対して遠慮がありましたが、私の経験から言えば、女性にももっと多くの機会を与え、経験を積ませることが必要です。

 実際、キャリアアップを目指す女性たちからは「20代のころにもっと責任ある仕事を任せてもらいたかった」との声をよく耳にします。私の会社では、役員クラスの女性が3人いますが、彼女たちも若いころにもっと経験を積みたかったと感じているようです。これは、女性だからと特別扱いしてしまった結果、若い時期に男性が経験するような機会を与えられていなかったことが原因かもしれません。こうした経験を積むことで、女性のキャリアの幅が広がり、人材としての成長が促進されます。もちろん、「そんな経験は必要ない」と考える人もいるでしょうが、これからの長い人生を考えれば、家庭に入る女性も、家庭と仕事を両立する女性もいます。だからこそ、男性と同じように、女性にも平等に経験の機会を提供するべきだと思います。

 私は少数派かもしれませんが、日本においてもクォーター制を導入し、女性のための一定の枠を設けるべきだと考えています。ニュージーランドや北欧では、このような仕組みが一定の効果を上げていますし、日本でも必要ではないでしょうか。DEIは、ジェンダーだけでなく、高齢者や国籍、人種の多様性も含まれます。日本はまだオーストラリアのように多様な国籍や人種を持つ社会にはなっていませんが、今後その必要性は高まると思います。日本はどうしても均質性を好む傾向がありますが、私は、むしろカオス、つまり混沌とした状況の中にある多様性こそが力になると感じています。

作野:その方が新しいアイデアなどが生まれますからね。

広瀬:私はカオスの状況が好きです。それをどのように整理し、既存の枠組みを変えるのかというのは、非常に難しいことです。しかし、むしろカオスの状態の方が、組織を作り上げやすいと感じています。混乱した状況を、いかに理論的に説明し、人びとに納得してもらいながら1つのまとまりへと導くかが大切です。私は自分を「組織屋」と呼んでいます。人事や経理などを手掛けてきましたが、最終的には組織をどのようにまとめるかが私の役割です。

 人間の集団を組織化するという点で、私はよくサッカーを例に挙げます。日本は従来から「チームワーク」を重視してきましたが、実際にはチームワークとは、個々の精神力やフィジカルの強さがあって初めて成り立つものです。個々の強さが基盤となり、それが集まってチームが形成されるのです。しかし、日本は最初から「チームワーク」を前提にしてしまうため、個々の力が疎かになりがちです。本来、チームは個々の力の集合体であり、その多様性が強みとなるはずです。その多様な個々をいかにまとめるかが、組織の強さを左右するのです。

作野:おっしゃる通りですね。例えば、サッカーでゴールキーパーにいきなりフォワードの役割を求めても無理があります。キーパーには守りの要としての役割があり、フォワードには攻める力が求められます。個々のスキルやマインドセット、体格が異なるからこそ、チームとしての力が発揮されるのです。しかし、日本の「チームワーク」では、全員で決めよう、全員でやろうという精神が強く、個々のスキルが軽視される傾向があると感じます。

広瀬:私の会社も、かつては均一性や画一性を重視する風潮がありました。しかし、今では多様性が重要視され、多様な人材が活躍しています。それでも、多様な人材をまとめるのは簡単ではありません。強い芯がないと、多様なタレントを1つにまとめるのは難しいのです。間違えれば、何も特徴のない集団になってしまう危険もあります。しかし、異なる人材同士が化学反応を起こし、より強力な組織が生まれる可能性もあるのです。私は、そうした組織の方が強いと信じています。

作野:最後に、日豪プレスの読者にメッセージをお願いします。

広瀬:これから日豪関係を更に強化するためには、互いの国についてよく知らない人たちにどのように情報を提供し、関心を持ってもらうかが重要です。オーストラリアが好きな人たちはもちろん良いのですが、英語ができない日本人や日本語ができないオーストラリア人にも、もっと広くアプローチする必要があります。そうでなければ、一部の人たちだけが関与する小さな輪になってしまうでしょう。今後、更に幅広い活動を展開し、日豪両国の人びとが互いを理解し合えるような機会を増やしていって欲しいと思います。私もそのために少しでも貢献できればと考えています。

作野:やはり人びとの交流とコミュニケーションが肝となりますね。本日はどうもありがとうございました。

(9月9日、シドニーで)

左から、広瀬道明氏、作野善教氏、この日オフィスを訪ねておられた星野リゾート代表・星野佳路氏




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