私が暮らすサウス・コーストの田舎町は森に囲まれた内陸部にあるが、海にも程近い立地だ。生活圏内の鮮魚店や飲食店に行くと「地元産の魚(local fish)」や「本日の収獲(catch of the day)」という言葉を頻繁に目にする。この辺りは漁業が地場産業の1つなので、オーストラリア産というだけでなく地元産の新鮮な魚介類が手に入りやすい。その恩恵を受け、フィッシュ&チップスを1つ注文する際にも地元の豊かな海とのつながりを感じている。(文・写真:七井マリ)
地元で獲れた魚を鍋料理に
この辺りの鮮魚店の店頭には他国で獲れたサケ、マグロ、サバ、地元産のイワシやエビなど、日本で見慣れた姿も少なくない。地元産の魚介類は遠方から時間とコストを掛けて運ばれてきた物と違い、新鮮な上にその多くは値段も手頃。並んでいる魚の中にはオーストラリアに移住してからよく食べるようになったものもある。揚げ物やグリルにするマゴチ(flathead)、スモークにも適したオキスズキ(tailor)、刺し身としても供されるフエダイ(snapper)、タラの1種のリング(ling)など種類は豊富だ。
オーストラリア南東部に多く生息するブラックフィッシュ(blackfish)は、ここサウス・コースト地方でよく売られている白身の魚。店のスタッフから揚げ物にもスープにも合うと教えてもらい、スープに合うならと切り身を鍋物に入れてみた。タラよりも更に優しい食感で、くせがないので和風の味付けにも合い、すぐに我が家の定番となった。家庭料理に地元産の魚の味が加わるたび、自分と地域とのつながりが1つ増えた気がする。
夏に食べる岩牡蠣のフライ
サウス・コーストに牡蠣(かき)養殖を行うエリアが複数あることは、引っ越してくるまで知らなかった。
グリーンウェル・ポイントという海辺の町では、小ぶりな固有種のシドニー・ロック・オイスター(Sydney rock oyster)や、日本でも冬の味覚として人気のマガキ(Pacific oyster)が養殖されている。かつて、牡蠣養殖の技術を持つ欧州からの入植者が始めたのが、この地が牡蠣で有名になった歴史の始まりらしい。今は旅行者向けの宿や地元産の魚介料理の店も点在するエリアだ。
さっぱりとした後味のシドニー・ロック・オイスターは春から夏が収獲のピークで、鮮魚店の夏場の「本日のおすすめ」によく選ばれている。生でもおいしいが、この時期はオーストラリアで定番のフィッシュ&チップスに牡蠣のフライを追加で注文したくなる。日本の牡蠣フライとは衣や揚げ方は少々違うが、揚げたてにレモンを絞って味わう滋味は格別で、当地で暮らし始めてからは夏の楽しみの1つになった。
海での釣りと採取のルール
この辺りは漁業だけでなく個人で釣りができる場所も多い。オーストラリアでは個人による釣りと採取はレクリエーショナル・フィッシング(recreational fishing)と呼ばれ、商業漁業とは別の有料の許可証を取得した上で楽しむ。乱獲で生態系のバランスを崩さぬよう、釣る魚の種類、持ち帰る数量、サイズが厳しく定められている。
海釣りに挑戦したことはまだないが、人が採った海の幸をもらったことはある。隣人がくれたアワビは近隣の先住民コミュニティーの住人からのお裾分けで、海辺を拠点とする彼らの文化圏ではよく食べられているようだ。日本同様にオーストラリアでもアワビは高級食材として扱われ、シドニーでの売り値は生の状態で1キロ100〜160豪ドル(約1万〜1万6,000円)ほど。地元産のアワビをスライスしてバターとしょうゆで焼くと香ばしく、歯ごたえのある食感とかむほどに広がる磯の香りを堪能した。
水辺の先住民コミュニティーにとって、釣りや採取は食材を得る手段の1つであると同時に伝統文化でもある。アワビを採る素潜りの技術は親が子に教え、同時に海洋環境や文化的規律などの知恵も伝承されると聞く。先住民のアワビ採取は自家消費と小規模取引を基本としてきた歴史があり、環境に優しい持続可能な漁業慣行であるようだ。
しかし、現代のオーストラリアには「個人が採取したアワビの販売は違法」というルールが存在する。アワビ採取を生活文化の一部とする先住民の個人にもこの法律が適用され、伝統文化に根差した収益確立の権利と機会を奪われた状態にあることが論争を呼んでいる。問題点を見えやすくするには、日本各地の伝統である海女(あま)漁が習俗・生業として認知され、漁業の一種とされていることと比べてみると良いかもしれない。歴史という角度から考えても、約250年前にオーストラリアにやって来た入植者の系譜にある政府が、6万年以上も当地で生きてきた先住民の人びとの合意なしに規制を敷いたこと自体が不自然に思えてならない。
現在、国内の一部地域ではルールの見直しが進められ、先住民がアワビの漁業権を得た事例もある。
フィッシュ&チップスの魚を選ぶ
漁業を地場産業とするエリアに住んで良かったことの1つは、海のきれいさと自身の生活との関わりについて実感がより深まったことだ。廃水やマイクロプラスチックなどで水を汚せば、すなわち地元の海で獲れる魚介類が汚染された状態で自分や家族の口に入ることになり、自分の意識と行動がダイレクトに暮らしに跳ね返ってくる。産地との距離が遠くても状況は同じわけだが、見えないところで起きていることに対して当事者性と責任意識が曖昧になりがちなのは人間の想像力の課題だろうか。
店頭で注文するフィッシュ&チップスの魚の種類を選ぶ際、地元産の魚を自信を持って選択できればフード・マイレージの面でも意義がある。化石燃料の消費とCO2排出を伴う長距離輸送が少ない食品、つまりフード・マイレージが小さい食品を選ぶことは、環境負荷を低減し、気候変動を食い止めることへとつながっていく。気候変動の進行を抑えることは、人間の生活環境のみならず海洋環境の保全にもポジティブな影響がある。「今日、何を食べるか」というささやかな問いの中で、ひと切れの魚であっても未来に関わる選択になり得ることを思い出したいものだ。
著者
七井マリ
フリーランスライター、エッセイスト。2013年よりオーストラリア在住