オーストラリア弁護士として30年以上の経験を持つMBA法律事務所共同経営者のミッチェル・クラーク氏が、オーストラリアの法律に関するさまざまな話題・情報を分かりやすく解説!

陪審員が法的プロセスを理解するために法廷に法律用語辞典を持ち込むと、それを理由に裁判がストップしてしまうことを、皆さんはご存知でしょうか?
オーストラリアの法制度は、刑事事件と民事事件のいずれにおいても、裁判の実施に関して非常に厳格な規則を定めています。陪審員が関与する裁判も同様に厳しいルールがあり、陪審員が裁判の実施中に考慮したり参照したりすることが許される内容にまで及びます。
陪審員のルール違反によりストップしてしまった有名な裁判例をご紹介しましょう。
最近の話ですが、ニュー・サウス・ウェールズ(NSW)地方裁判所で、オックスフォード・オーストラリア法辞典が陪審員室で発見され、裁判がストップしてしまいました。辞書は陪審員の1人が陪審員室に持ち込んだもので、長期の裁判が始まって1週間が経ったころ、部屋を掃除していた2人の裁判所職員によって発見されました。この裁判は “miscarriage of justice”(誤審)を理由に続行不可能となりました。
英語で “miscarriage” と言えば、一般的には出産に関する悪い結果を指しますが、裁判の継続に対する妨害に適用される場合も、それに近い意味を持ちます (不思議なことに、英語の “abort “という、一般的に女性の健康上の処置に関連した単語もまた、法的文脈では、裁判が完全な結論に達する前に中止される場合に使用されます)。
この件は、NSW州で陪審員の不正行為により中止となった、過去2年で8件目の刑事裁判でした。裁判が止まってしまうということは、陪審員の日当を含む数十万ドルの国費(国民が納める税金で賄われている)の浪費を意味します。また、結論が出る前に突然審理が中断されることで、裁判の当事者は当然ながら精神的な負担を強いられます。当該裁判で、判事は陪審員に対し、事件や法律に関連するいかなる調査も行わないようにと標準的な警告を与えていました。陪審員たちは「証拠、法律、手続き」に関する質問は、裁判所職員に書面を通じて行うよう、言われていました。
陪審員に選ばれた際にプレゼントされた辞書を、何気なく法廷に持ち込んでしまったようですが、残念ながらこのような過ちは、州が定めた陪審員法違反となる可能性があるため大問題になってしまいました。“miscarriage of justice” の程度にもよりますが、厳格な規則に違反した場合の罰則は、最高5,500豪ドルの罰金、または2年の禁固刑、あるいはその両方なのです。
陪審員1人が辞書を持ち込んだことは、他の陪審員たちにも大きな影響を与えました。陪審員たちは、陪審員の誰かが独自の調査を行っていることに気付いたら、直ちに裁判長に警告を発するべきであったため、陪審員全員が “miscarriage of justice” に関わったリスクがあると裁判長が判断し、結局は陪審員全員が退廷となり、この刑事事件については同年後半に改めて裁判が開かれることになったのでした。
NSW州犯罪統計調査局の統計によると、2023年にNSW州で陪審員の不正行為により3件の裁判が頓挫しており、その3件とも、陪審員によるあってはならないリサーチが原因でした。
昨年(24年)には、先の法律辞典の裁判を含む、合計5つの裁判が頓挫しました。そのうち4件は、陪審員があってはならないリサーチをしたもので、5件目は他の陪審員への脅迫でした。
このように、陪審員によるリサーチ行為が、今般、より大きな問題になっています。オーストラリア首都特別地域の最高裁判所でブルース・レーマン氏が起こした注目の刑事事件裁判は、それが原因で中止になりました。キャンベラの国会議事堂で起きたとされる、レーマン氏に対する重大な性的暴行疑惑に同氏が異議を唱えていた裁判で、裁判中に、陪審員が性的暴行に関する研究論文を陪審員室に持ち込んでいたことが発覚し、その裁判は(陪審員の不正行為により)中止となり、原告のブリタニー・ヒギンズ氏のメンタル・ヘルスが懸念されたため、更なる裁判は予定されなかったのでした。
なぜ陪審員によるリサーチ行為がこれほど騒がれるのでしょうか?
その理由は、オーストラリアの法体系が、各事件の詳細は法廷内で検証されるべきであり、外部からの影響を排除すべきであるという考えに基づいて構築されているからです。裁判の各当事者は、同じ情報や証拠にアクセスすることができ、陪審員は補足的な情報を得ようとしてはいけないのです。
ソーシャル・メディア・ツールが発達している現代社会において、この法制度を管理することはますます難しくなっています。陪審員がスマホを使って、極めて容易に基本的なインターネット・サーチをすることもできるのですから。
「インターネット上の名言の問題点は、真実でないことが多いということだ」──。このメッセージのトーンは、元アメリカ大統領で弁護士のエイブラハム・リンカーンが言いそうなのですが、彼が生きたのは1800年代であり、インターネットが誕生する約120年も前のことです。今日、インターネット上でこの「名言」を見つけることは、外部からの「真実」に邪魔されることなく裁判を行うという現在の課題を、おかしな方法で物語っていますね。
このコラムの著者

ミッチェル・クラーク
MBA法律事務所共同経営者。QUT法学部1989年卒。豪州弁護士として33年の経験を持つ。QLD州法律協会認定の賠償請求関連法スペシャリスト。豪州法に関する日本企業のリーガル・アドバイザーも務める。高等裁判所での勝訴経験があるなど、多くの日本人案件をサポート
