食べきれないほどの旬の果物や野菜など、田舎暮らしを始めてから顕著に増えた頂き物。余剰を分け合うことは、物を無駄にせず、誰かと楽しみを共有する良い方法だ。分け合いのカルチャーのおかげで地元住民との交流や食生活の豊かさが増すだけでなく、人の親切に触れ、調理方法を学び、オーストラリアの風土を知る機会にもつながっている。(文・写真:七井マリ)
収穫作業中のおしゃべり

庭のキンカンが豊作だから採りに来ないか、と近所の人に誘われて行くと、よく手入れされた木になった無数の黄金色の果実が甘い香りを放っていた。一緒におしゃべりをしながら収穫作業をする途中、物を売り買いするだけでない経済の在り方の話が出た。鳥や獣も食べきれないほどの量の実りの一部は、フード・パントリーと呼ばれる地域のシェアリング・スペースに置き、欲しい人が無料で持ち帰れるようにするという。熟した実が地面に落ちてしまうのをただ眺めているより、わずかな手間で誰かに豊かさを提供する思慮深い使い方だ。
物を手に入れることと買うことはイコールで扱われがちだが、金銭を介さずにあげる・もらうという分け合いの行動も、物をやり取りする方法の1つ。見返りを求めない「ギフト・エコノミー(gift economy/贈与経済)」という言葉で表現しても良いし、物をもらうなど受けた親切を別の人に返すことで善意をつなぐ「ペイ・イット・フォーワード(pay it forward/恩送り)」という考え方もある。人びとを置き去りにして進む急速な物価上昇の渦中にあっては、自分の持つ物を無償で分け合うことの価値はいっそう見直されていくかもしれない。
オーストラリアの小さな田舎町に移住して以来、分け合いのカルチャーは都市部で感じていた以上に身近になった。たくさん採れた野菜や果実は保存食に加工して長持ちさせる方法もあるし、隣人や友人に分けることもできる。自分が持っている物や時間、スキルなどが誰かの役に立つなら、それを無駄にする理由は特にないことに気付く。余剰分を売ってお金に換える必要があればそれも良いし、お金を介さないやり取りの中で生まれる価値も大切にしたい。
庭仕事とプラム狩り

いつもお世話になっている隣人が多忙で庭が荒れかけていることを嘆いていたので、草むしりの手伝いを申し出てみた。隣人はそのアイデアを喜び、一緒にガーデニングの決行日を計画した。
当日、数時間の作業だったが庭の一部が目に見えて整備されたことは私にとってもうれしく、しかも隣人は作業後に手作りのスコーンと紅茶でもてなしてくれた。帰り際には裏手の果樹園のプラム(スモモ)の木に案内され、好きなだけ採って、と言われて赤い実をもいだ。今にも落ちそうなほど熟れたプラムは、触れる前から芳醇に香る。採ったそばから1つかじると、血のように赤い果肉はジューシーで甘く、思わず頬が緩んだ。
持ち帰ったプラムの一部は、隣人が教えてくれた通りに砂糖とスパイスを加えて皮ごと煮込んだ。クローブやスター・アニスが合うという。皮まで柔らかく煮崩れたら、種を取り除けばフルーツ・ソースの完成。ヨーグルトやアイスクリーム、オートミールにかけて夏の味覚に舌鼓を打った。ジャムにするほどの量の砂糖は加えていないため常温で保存はできないが、たくさんできたので一部を別の隣人にあげた他、冷凍保存してしばらく楽しんだ。
お裾分けの梅で作る飲み物

オーストラリアでは観賞用の花梅を見掛けることはあっても、食用の果実を採るための品種の梅の木には滅多にお目に掛からない。生の実はアジア系住民が多い地域の生鮮食品店でのみ見掛ける程度だ。梅の実のさわやかな香りをなつかしんでいたら、食べきれないほどもらったから、とアジア系の友人から青梅のお裾分けが届いた。庭木として育てている人からの頂き物らしい。
貴重な梅を追熟させて梅干し作りに挑戦しようかと考えたが、上手くいかずに途中でカビが生えることもあると聞いて尻込みした。梅酒や梅ジュースを作るには氷砂糖が必要だが、地方部の小さなアジア食品店には残念ながら取り扱いがなさそうだ。
結局、手持ちの材料で簡単にできそうな甘口の梅酢を作ることにした。洗った青梅を乾かし、フォークで無数の穴を開けてから一晩冷凍する。そうすることで漬け込んだ時にエキスが抽出されやすくなるという。翌日、消毒したガラス瓶に入れてリンゴ酢とキビ砂糖を加えて混ぜ、冷蔵庫で3週間ほど寝かせた。
時々、ふたを開けずに瓶を振っていたので砂糖は溶け、カビは出ていない。開けると甘酸っぱく優しい梅の芳香が漂い、梅酢を炭酸水で割ると暑い日に適したさわやかなドリンクになった。お裾分けをくれた友人には、家庭菜園で大量に採れたキュウリをお礼に持って行った。
初めてもらった柑橘の味

田舎に移住してから、オーストラリア固有の柑橘を分けてもらったこともある。フィンガー・ライム(finger lime)と呼ばれる親指大の果実は、これまでに見たことのあるどの柑橘とも似ていない。皮の中にはキャビアのような粒状の果肉が詰まっていることからキャビア・ライムの異名を持つ。柑橘とミントをかけ合わせたようなさわやかな香りがして、輝く果肉の粒をかむと酸味だけでなくほのかな甘味と苦みも重なって複雑な味わいだ。食感も見た目も特徴的なので、フュージョン料理を出すようなレストランでも食材として使われている。
刻んだパセリ、キュウリ、トマトにクスクス(粒上のパスタ)を混ぜたサラダを、いつもは塩、オリーブ・オイル、レモン汁で和えるだけだが、そこにフィンガー・ライムの果肉を足してみた。粒をかむまで果汁が出ないので水っぽくならず、噛んだ途端に口の中に風味が広がってシンプルなサラダに多層的な味の彩りが加わった。オイスター・ソースを使った炒め物などにトッピングしてもおいしく、弾けるような食感も楽しい。
地元の生鮮食品店でフィンガー・ライムを見掛けるのは柑橘の旬の時期くらいだが、流通量が少ないようでレモンやライムの数倍の高値が付いていた。近隣で1セントも支出せずに分けてもらったことを思い出しながら、物の値段とは曖昧なものだと改めて考える。市場という見えない誰かが決めた価値に振り回されず心豊かに暮らすうえで、分け合いのカルチャーは一助となりそうだ。田舎に移住したことで、暮らし方の選択肢がおのずと増えたことを実感している。
著者
七井マリ
フリーランスライター、エッセイスト。2013年よりオーストラリア在住