先週、私はイーグルスの「Life in the Fast Lane」というキャッチーな曲に合わせて車のハンドルを指で叩きながら通勤していました。その曲には「もっと速く、もっと速く、信号が赤に変わる」というすてきな歌詞があるのですが……ラウンドアバウトに差し掛かった時、私の車のセンサーが真正面の車から危険を察知したのか、自動的に急ブレーキを掛けました(私がしたわけではない)。しかし、ハンドルを握っていた私としては、すぐ後ろに車がいる状況ではアクセルを踏んだ方が安全であり、急ブレーキによって後続車両からの追突事故を引き起こしかねない、とヒヤッとしました。
こうした出来事があって、私は自動車設計が進歩した場合の保険の影響について考えてみました。既に米国ではカリフォルニア州サンフランシスコやアリゾナ州フェニックスを含む都市で、自動運転車の車道走行が許可されているので、ウェイモやクルーズといった無人運転車に乗ることができます。
日本でも自動運転テクノロジーの進歩は勢いを増しており、ウェイモは今年後半にテストを行うことを発表し、ソフトバンクとティアフォーは東京の特定地域で車載安全モニター付きの自動運転サービスを試験的に実施しています。
私は、賠償請求のスペシャリスト弁護士として34年以上の経験がありますが、交通事故で負傷された方々の大半のケースで、加害車両のドライバーの過失を証明することに基づき、CTP保険会社に対する賠償請求手続きをサポートしています。しかし、加害車両に運転者がいなかった場合、賠償請求制度はどのように運用されるのか。この種の事故の被害者は賠償請求できないのでしょうか。
どうやら今後オーストラリアは、米国で取られている賠償請求のアプローチをモデルにするようです。米国では、交通事故の被害者に対する賠償請求制度の中で、自動運転の自律性レベルを定義しています。レベル0から5まであり、0は自律性が全くない基本的な自動車で、ドライバーから何もコントロールを奪わないことを意味します。この区分では、従来通り、賠償責任を負うのは加害車両のドライバー(車両をカバーする保険会社)です。

自動運転レベル表によると、既にオーストラリアの車両に一般的に採用されている運転支援システムはレベル1と2に区分されます。例えば最初に紹介した私の車の自動ブレーキ・システムなどがそうです。また、ステアリング制御、車線警告などの半自動化システムも、この2つのレベルに含まれます。ドライバーだけが操作するものではない、半自動化とドライバーのケアにも依存した組み合わせのクルーズ・コントロールのような、より高度なシステムに関するものもこの区分に該当します。
レベル3以上は、より高度な自動運転機能になります。米国では、車両メーカーが運転に責任を持つことを約束し、人間は道路から目を離しても良いが、それでも何か起きた時に交代できるようにしておく必要があります。人間のドライバーを排除することは、車両システムの安全性に対するメーカーの自信の表れでしょう。
広い概念では、無人運転の自動車によって引き起こされた事故で負傷した被害者は、自動車の製造元に賠償してもらえるのですが、 この大まかな考え方は、特定の事故状況において、非常に複雑になる可能性があります。例えば、車線支援システムが使用されている場合、その機能が高く調整されていれば、車両が過剰修正を起こす可能性があるでしょう。過剰修正が起こると、人間のドライバーはその過剰修正を打ち消すための行動を取るかもしれず、人間の操作によって他の車両との衝突が起こるかもしれません。このシナリオでは、ドライバーには自動運転システムを信頼する権利がありますが、システムが正しく仕事をしていない(車両の過剰修正)ように見えた時に事故になった場合、それは人間のドライバーもしくはメーカーの責任のどちらなのでしょうか。
車両から、衝突事故の状況に関するデータを得られるようになったことは、車両技術の向上がもたらした興味深い成果の1つです。 従来は、複数の車両が衝突した状況をつなぎ合わせるのは非常に複雑で、多くの場合、時間/動作の工学的分析が必要でした。現代の車両にはカメラが搭載されているので、衝突時の状況が録画されている場合があります。その映像は、事故後に証拠として使用するのに驚くほど分かりやすく、また、いつ/なぜブレーキが踏まれたのか、車両がどこを向いていたのかを正確に示すデータにアクセスすることもできます。このような技術的な情報は、誰に過失があったかを特定するのに非常に役立ちます。
無人運転車の出現は、保険料の価格設定にも影響を与える可能性があります。現在、自動車保険会社は、車両とドライバーに関する情報(ドライバーの年齢や運転歴、車両の馬力など)に基づいてリスクを計算し、保険料を設定しています。無人運転車両の場合、ドライバーに関するデータはもはや意味をなさず、つまり、ハンドルを握らず車に座っているだけの人は保険金支払いのリスクに影響しないのです。保険会社は、ドライバーに保険を掛ける代わりに、個々の車の構造や技術を考慮するよう、大きくシフト転換する必要があるかもしれません。
米国で関心が高まっているもう1つの興味深い、しかし潜在的に複雑なトピックは、自動運転車を使用する際の消費者契約における強制仲裁の採用により、交通事故被害者の賠償請求権が制限される可能性があることです。その一例として、テスラのような自動車メーカーの購入契約書には、将来起こり得る賠償請求の解決手段として仲裁を要求する条項があります。そうなると、Uberでテスラの自動運転車に乗ってケガをした人は、仲裁を強制される可能性があるのです。自動運転車は視界の悪い状況や旋回時を除き、事故を起こしにくいという調査結果があります。
冒頭の話に戻りますが、私が車に曲をかけるように頼んだ時に、選ばれた曲が「Life in the Fast Lane」でした。
このコラムの著者

ミッチェル・クラーク
MBA法律事務所共同経営者。QUT法学部1989年卒。豪州弁護士として33年の経験を持つ。QLD州法律協会認定の賠償請求関連法スペシャリスト。豪州法に関する日本企業のリーガル・アドバイザーも務める。高等裁判所での勝訴経験があるなど、多くの日本人案件をサポート
