「帰らぬ人々の静寂を思い起こす」とアルバニージー豪首相 対日戦勝利80周年

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太平洋戦線でオーストラリア兵1万7,000人犠牲 うち8,000人が捕虜収容中に死亡

 オーストラリア東部シドニー市街地を横切る歩行者専用道路マーティンプレース。高層ビルの谷間に鎮座する戦没者慰霊碑前で15日、対日戦勝利80周年の記念式典が開かれた。戦火を生き延びた元兵士5人を含む退役軍人や遺族、退役軍人会の関係者、市民らが参列し、戦没者を追悼した。歴史を乗り越えた日豪関係の現在地とは?(ジャーナリスト:守屋太郎)

 式典で慰霊碑に献花したアンソニー・アルバニージー首相は、スピーチの中でこう述べた。

“私たちは国の名の下に奉仕したすべてのオーストラリア人に、負っているものの大きさを思います。

倒れた人々も、帰還してもなお戦場を離れることのできなかった人々も。

制服に袖を通した大切な人を誇りと重責をもって送り出したすべての家族。

そして終わることのない悲しみを抱えたすべての家族。

私たちが、あの日多くのオーストラリア人が祝ったこの場所に集うとき、勝利が意味したもの、そしてその代償を振り返ります。

戦場や燃え上がる都市、捕虜収容所、前例のない恐怖の強制収容所から――狂気と残虐さの渦に飲み込まれたすべての命、夢、未来を。

それらは怪物ではなく、人間が人間性を歪めて現実にした悪夢でした。

しかし、その重さを感じながらも、私たちの心は、それに抗ったすべてのオーストラリア人によって奮い立たされます。

戦争の影の中で、彼らの勇気の力と人間性の強さは、今なお私たちを導く灯火です。

彼らは、いかなる状況でも自分たちに誠実であり続けることを示しました。

彼らは、友人や同盟国と肩を並べて立つことの意味を示しました。

そして共に、歴史の潮流を変えたのです。

今日、ここに立つ私たちは、80年前に集った人々を思います。

歓喜の喧騒を思い起こします。

そしてその幸福の響きのすぐ向こうに漂っていた、帰らぬ人々の静寂を思い起こします。

その静寂は、大都市から最も小さな田舎町に至るまで、オーストラリア大陸の隅々にまで広がっていきました。

そして私たちは、再びその言葉に立ち返ります。

その簡潔さゆえに、力強い言葉に。

私たちは決して忘れない“

 玉音放送で日本国民が敗戦を噛み締めた80年前のこの日。シドニーはどんな様子だったのか。

 連邦国防省の史料によると、日本の無条件降伏の知らせをオーストラリア政府が受け取ったのは、1945年8月15日午前8時44分(豪東部標準時)。ベン・チフリー首相が午前9時30分、ラジオで「国民よ。戦争は終わった」と発表すると、最大15万人の市民がシドニー市内のドメイン公園に集結。対日戦勝利を称え、長い大戦の終結を祝福したという。

戦火を乗り越えた日豪の絆

 オーストラリアは、英国植民地時代から現在に至るまで、海外の大規模戦争や地域紛争に兵を送ってきた。旧日本軍の空爆や潜水艦攻撃を除くと本土が本格的な戦場になったことはないが、オーストラリア戦争記念館によるとこれまでに合計10万3,096人の戦死者を出している(下記グラフ参照)。

 連合国の一員として参戦した第二次世界大戦では、約4万人の兵士が亡くなった。国防省によると、日本と戦った太平洋戦線では4割以上の約1万7,000人が犠牲に。このうち約半数の約8,000人が旧日本軍の捕虜として収容中に死亡したとされる。

 このため、終戦直後のオーストラリアを知る人は、反日感情が根強かったと口を揃えて言う。しかし、両国は戦後、オーストラリアが一次産品を日本の輸出し、日本がそれを加工して世界市場に輸出するという補完関係を築き、ともに経済発展を遂げた。ビジネスを皮切りに、観光、ワーキングホリデー、留学、移住などで人的交流も盛んになり、日豪の和解は進んだ。現在のオーストラリアは、世界でも指折りの親日国と言える。

豪海軍次期艦に日本「もがみ」型採用

 加えて、両国は近年、安全保障面でも絆を深めている。地政学的変化を背景に、価値観を共有する民主主義陣営の西太平洋地域の南北軸として抑止力を担う。

 イラクなどでの国連平和維持活動(PKO)での日本の自衛隊とオーストラリア国防軍の連携を土台に、安倍政権下で日豪の安保協力が加速。岸田政権時代の2022年、両国は新しい「安全保障協力共同宣言」に署名し、有事の際に相互防衛を協議する道を開いた。正式な軍事同盟ではないが、いわゆる「准同盟」へと関係を一段と格上げしている。

 直近では、オーストラリア政府が8月5日、海軍の次期汎用フリゲート艦に、ステルス性能を持つ三菱重工製の「新型FMM」を選定したと発表した。海自の現行「もがみ」型護衛艦をベースに能力を向上した新型艦。計画では、導入予定の11隻のうち最初の3隻を日本で、残りの8隻を西オーストラリア州で製造する。

 ドイツ艦とともに最終選考に残ったが、最新技術や省人化設計、納期などで優位に立ったとされる。正式に契約が締結されれば、日本の防衛装備品輸出2例目の大型受注となる。戦後80年の節目に、日豪関係の変遷を改めて印象付けている。

■ソース

80th anniversary of Victory in the Pacific(Prime Minister of Australia)

Commemorating 80 years since Victory in the Pacific(Department of Defence)

NSW Remembers VP Day 80 Years On(RSL NSW)

Deaths as a result of service with Australian units(Australian War Memorial)

Mogami-class frigate selected for the Navy’s new general purpose frigates(Department of Defence)

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