レポート・写真=タカ植松(ライター、ブリスベン本紙特約)

10月17日、じっとりと蒸し暑く、暦よりかなり早く夏本番を思わせる気候のブリスベン。同地にて15日から3日間の日程で行われたパワーチェア・フットボール(電動車椅子サッカー)のアジア・オセアニア選手権APOカップ(会場:NISSANアリーナ)の最終日の熱戦を取材した。
同大会は、パワーチェア・フットボールのアジア・オセアニア地域の王者を決める大会であると同時に、26年にアルゼンチンにて開催される同競技のW杯予選を兼ねている。今回、参加したのは開催国豪州に加え、日本、ニュージーランドと今大会初出場となる韓国の計4カ国。下馬評では、この地域を引っ張る日豪両国がタイトルを懸けて雌雄を決する大会となるというのが大方の見立て。実際、日本は予選上位2位でのW杯出場権獲得を最低限の目標に、更には強敵豪州を破ってのアジア・オセアニア王者戴冠を大目標として、周到な準備を重ねてブリスベンの地に乗り込んできた。
大会1、2日目に行われる予選では、参加各国が2試合ずつの6戦を戦い、その順位で3日目の準決勝の相手が決まる。予選を4勝2分で終えた日本の準決勝の相手は、ニュージーランド。その準決勝を4─0で危なげなく勝ち上がって、その試合の終了時点で今大会の目標の1つであるW杯出場権を獲得。気分良く、予選で2戦して2分けと勝てなかった最大の難敵・地元豪州代表パワールーズ(Poweroos)との決勝戦に臨むことができた。

アジア・オセアニア地域ではずば抜けた実力の両者による“日豪戦”は、両国の意地とプライドが真っ向からぶつかり合う頂上決戦にふさわしい熱戦となった。20分ハーフで行われる試合は、前半から一進一退の攻防で緊迫した試合展開となり、豪州が先制して前半を終了。後半開始早々、日本のオウン・ゴールで豪州が2─0とリードを広げ、日本にとっては非常に苦しい展開となった。できるだけ早くに追いつきたい日本は果敢に攻め、コーナー・キックからの得点で1─2と追いすがる。そこから試合は一気に日本ペースとなり、残り2分に絶好の位置で得たフリー・キックがわずかに外れても、日本は最後の最後まで諦めない。ひたすらにゴールを追い求め続けるも、非情にも試合終了のホイッスルがアリーナに鳴り響いた。

1─2。善戦虚しく、惜しくもアジア・オセアニア王者のタイトルを逃した日本。試合終了直後は残念そうな様子を見せていた選手だったが、豪州の健闘を称えた後には、大会を終えた安堵感からか笑顔も見せるようになった。試合後には、日豪両代表が肩を並べての記念撮影。その後に遠征を支えたスタッフや家族も交えての記念撮影のころにはあふれる笑顔が弾けていた。

パワーチェア・フットボールは、現時点ではパラリンピックの正式採用競技には選ばれていない。今後の採用の見込みに関して、日本電動車椅子サッカー協会の荻野芳貴理事は「アジア・ゾーンでの今後の普及次第という面が大きい」と他の地域に比べて普及が遅れているアジア・オセアニア地域の現状を率直に語ってくれた。
26年にアルゼンチンで行われるW杯に同地域を代表して出場する日豪両国が世界の舞台で対等に渡り合うことと同時に、国内での普及とアジア・オセアニア地域での全体的な普及活動など協会や選手、そして彼らの所属クラブを含めた地道な努力が求められる。当然ながら、そのような状況下で関係者は手をこまねいているわけではない。当地の豪州パワーチェア・フットボール協会(APFA)は、今大会の試合会場となったNISSANアリーナには大きなポスターとQRコードを掲出、「パワーチェア・フットボールを32年ブリスベン・パラリンピックの正式競技に」オンライン署名への賛同を募っていた。筆者もさっそく署名への賛同と少額ながら寄付をして応援することにした(筆者注:署名のリンクは記事の終わりに掲載)。
この競技の醍醐味は、当記事の文面と写真だけではなかなか伝わりにくいが、あの重厚なパワーチェアの選手が走り回り、ぶつかり合い、時にはスピンしてキックを放つといったように思った以上にエキサイティングな競技なのだ。現況、幾つかの異なるフットボール系競技や車椅子ラグビーなどがパラ競技として存在するが、パワーチェアのみで行われる競技は他にないので、そういった競技の持つ特殊性なりが評価されれば、パラ競技入りも決して夢物語ではないだろう。

最後に1つだけ提案。日本代表も、国内の普及において更なる注目を集めるためにも、豪州代表のパワールーズに負けない愛称を付けたらどうだろうか。サッカー日本代表がサムライ・ブルーならば、パワーチェアが激しくぶつかるこの競技は“パワフル・ブルー”などはどうだろう。
今回、ひょんなことからこの競技を知る機会を得ることができたのも何かの縁。この記事で少しでも多くの在豪邦人の皆さんにパワーチェア・フットボールの存在を知ってもらえればうれしい。さらには、この縁を繋いで、7年後、32年ブリスベン・オリンピックで電動車いすサッカー日本代表をお迎えし、当地に多い日系のケアラーのネットワークを最大限に駆使しての最高のサポート体制で大会に臨んでもらえることができれば、どんなに嬉しいだろうか。
不肖、タカ植松、これからもパワーチェア・フットボールをどんどん推していきたいと思う。
試合後直撃インタビュー
三上勇輝キャプテン

──決勝の惜しい敗戦の直後ですが、全ての日程を終えた感想と今大会の振り返りをお願いします。
ブリスベンでの今回の大会のために半年前から日本代表チームを作り上げてきた。最大目標としていた優勝が達成できなかったのは不甲斐ない気持ちだが、未来につなげるためにも必ず達成したいと思っていた。来年のW杯の出場切符を獲得することができたことで、応援してくれるサポーターの皆さんやこれから出てくる新しい選手のために(日本代表が進む)道をつなぐことができたのではと思っている。
──将来的なパラリンピック競技入りを目指す競技の今後の普及への思いを聞かせてください。
今大会、韓国が初めてアジア・パシフィックの国際舞台に参加してくれた。今後もインドなど他のアジアの国ももっと世界の舞台に飛び出すようになれば、もっとアジア地域も盛り上がっていくはず。いつかアジアからW杯王者が出るという未来に向けて、日本がアジアの盛り上げをリードしていければいい。
■参考:
豪州パワーチェア・フットボール協会(APFA)による「パワーチェア・フットボールをパラリンピック競技にする」ことへの賛同を求めるオンライン署名