Fig Tree Pocket, Brisbane

「QLD州では家が引っ越す」と書くと、「家を引っ越す」の間違いで、筆者の誤った助詞のチョイスが校正で直されずに生き残ったと思われかねないが、決してそうではない。事実、QLD州では家が引っ越すのだから。
亜熱帯のQLD州にはこの地域独特の “クイーンズランダー”という、そのものズバリの名前を持つ高床式の住宅様式がある。この様式の家屋は、ブリスベンでも主に昔からのサバーブ(地区)でそこかしこに見られる。最近は、家屋自体を法律で定められた高さになるまで高床部分で持ち上げてから四方に壁を張り2階建てとする住宅が多い。そうして部屋数を増やすことで、不動産価値をぐっと上げられる一種の錬金術だ。
構造上、土地に打ち込まれた頑丈なストンプと呼ばれる柱の上に家屋がバランス良く乗っているので、いざとなれば家屋を吊り上げて移動できるのがこの様式の住宅のユニークな特徴。実際、オーナーの依頼を受けて、空き地に家屋を運ぶ“家屋専門の引越し屋”が存在するのがQLD州。ブリスベンから北に走るブルース・ハイウェイ沿いにはクイーンズランダーを並べて展示する、日本で言う住宅展示場のようななビジネスも点在している。ハイウェイを深夜に走ると「OVERSIZE」と標識を掲げた家屋を運ぶ大型トレーラーが2車線を使いながら家の引っ越しをしているシーンに遭遇することもある。
ブリスベンの高級住宅地に並ぶしゃれた大邸宅にもクイーンズランダーは多い。ブリスベンのインナー・ウエスト、高級住宅地が多いエリアの中でも、広い敷地に豪邸が軒を連ねるのが、フィグ・ツリー・ポケット。そんなサバーブで見つけたのが写真の大きなクイーンズランダーだ。一見、何の変哲もない家屋の写真に見えるが、この大邸宅も理論上は動かせる。もう少し小さければクレーンで吊り上げ、上記のように大型トレーラーの深夜移動で引っ越しできるのだが、さすがにこのサイズだとこのままでは運べない。この家が引っ越すとなると、恐らく数分割されてからの移動になるはずだ。
そんな理由で引っ越しが実現しないのか、はたまた、吊り上げなくとも部屋数も十分なこの家なら既にどこか田舎から運ばれて引っ越しを終えているのだろうか。事の経緯は分からない。
数カ月ごとに近くを通ると、かすかに地面から浮いたこの大邸宅は、ずいぶんと長い間、その変わらぬ姿を緑の芝生の上に晒し続けているのだった。
QLD州では家が引っ越す──その心をご理解いただけただろうか。

植松久隆(タカ植松)
ライター、コラムニスト。ブリスベン在住の日豪プレス特約記者として、フットボールを主とするスポーツ、ブリスベンを主としたQLD州の情報などを長らく発信してきた。2032年のブリスベン五輪に向けて、ブリスベンを更に発信していくことに密かな使命感を抱く在豪歴20年超の福岡人