南半球唯一の人が暮らしたというつり橋/タカ植松のQLD百景 第56回

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Text and photo by Taka Uematsu

ウォルター・テイラー・ブリッジ@インドロピリー、チェルマー

 リバー・シティの異名を持つブリスベンには、当然ながら橋が多い。その代表格は、おなじみのストーリー・ブリッジだ。それ以外にも、よく知られた橋は幾つかある。“ウォルター・テイラー・ブリッジ”もその1つだろう。

 ただ、その正式名称を聞いてすぐに「あ、あの橋ね」と分かる人がどれほどいるだろうか。一方で、インドロピリーとチェルマーを結ぶこの小さなつり橋を実際に渡ったことがある人は、かなり多いはずだ。

 1936年に架けられ、今年で建造90周年を迎えるこの橋は、かつて通行料を徴収する有料橋であり、南半球で唯一、住居を兼ねた橋でもあった。もともとの橋では増加する交通量をさばき切れないことから、地元の実業家、ウォルター・テイラーによって建設された。

 テイラーに雇われた料金徴収人、モートン・ジョン・グリーンとその家族は、橋を支える橋塔に設けられた料金所の上の居住スペースで生活していた。55年にテイラーが亡くなった後、その功績を称えて橋は彼の名を冠するようになったが、60年代に無料化され料金所としての役目を終えた後も、グリーン家の一部は住み続け、他の居住スペースは一般に貸し出されていた。

 実は、筆者の知人の1人は、この橋の上で暮らしていた経験を持つ。約40年前、家賃は週85ドル。当時の所有者はブリスベン市だったという。インドロピリー側にはグリーン家が住み、反対側に彼を含めて4〜5人が暮らしていたそうだ。

 彼が「最後の住人についてググってみろよ、面白いぞ」と言うので調べてみた。そう言えば、15年ほど前に最後の住人が退去したというニュースを見た記憶はあったが、詳細は知らなかった。

 最後の住人は、徴収人グリーン氏の孫の1人。退去時には健康状態もあって狭い階段が使えず、窓からクレーンでつり下ろすという大掛かりな“脱出作戦”が行われたという。当時の新聞記事によれば、それは2009年の出来事で、翌10年に完全に退去が完了して以来、橋の上に住人はいない。

 通勤でこの橋を渡る度、「つい最近までここに人が住んでいたのか」と不思議な気持ちになる。知人の話では、橋の上の部屋は意外に広く天井も高い上、眺めも良い。ただし、隣を走る鉄道橋や車の通行による騒音や揺れがあり、住み心地はあまり良くなかったらしい。

 いつの日か、再びこの場所が住居として使われることはあるのだろうか。現在、橋は部分的に改修中ながら、変わらぬ姿で地域住民に見守られつつ、静かに90年の節目の時を刻んでいる。

植松久隆(タカ植松)

植松久隆(タカ植松)

ライター、コラムニスト。ブリスベン在住の日豪プレス特約記者として、フットボールを主とするスポーツ、ブリスベンを主としたQLD州の情報などを長らく発信してきた。2032年のブリスベン五輪に向けて、ブリスベンを更に発信していくことに密かな使命感を抱く在豪歴20年超の福岡人

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